義姉を支えるために養子になった

ホノスズメ

陽一からの提案

 母が死んだ。晩秋の暮れ、こたつに突っ伏して動かない母を見つけたのは俺だった。

 シングルマザーで育ててきてくれたが、中学の学年が上がるごとに母は怒鳴るようになった。パート先の人間関係、先行きに見えない不安、しきりに口にしていたことがせきを切って表れたかのように感じた。けれども他人が言うほど悲しくはなかった。

 だって、どれだけ悪態をつかれようと捨てられることはなかったし、家事をほぼ全般うけおえばたまに笑ってくれた。ある意味ゴールなんじゃないかとさえ思い、ホッとする節もあった。

 様々な手続きののち、驚く一報を受けた。

 むかし、人生相談を受けてアドバイスした親戚のおじさんがうちに来ないかという。

 聞いてみれば俺の助言で夫婦仲が保たれたことをいたく覚えていたらしい。とても信じられるような話ではなかったので、後日おじさん——二条陽一さんとカフェで顔を合わせるということになった。


「久しぶりだね」

「陽一さんこそお変わりないようで安心しました」


 対面した陽一さんは仕立てのいいスーツを着た初老の男だった。生え際の白髪すら大人な雰囲気を醸しだすアクセントになっている。

 対する俺は毛玉の目立つフード付きの服で、どこか畳の匂いがしていた。嫌とも失礼とも感じないのは、それ以上に陽一さんが穏やかで不可解だったからだ。

 自然と硬くなった声で返事するのは罪悪感があった。


「ごめんね、僕口下手だからさっそく本題に入らせてもらうよ」

「お構いなく……要件というのはやっぱり養子の件ですよね」

「うん。唯くんのお母さんにもお世話になったことがあるからね、そういう事情だと受け取ってくれていいよ。なんならウチのが早く承諾もらってこいってうるさくてね」

 

 首裏をかく陽一さんは敵わないとばかりに苦笑した。つられて口元をゆるめてしまった。

 二条夫妻は親戚らしい。らしいというのも母つながりであちこちを転々としているときに借宿として住まわせてもらったことがあり、当時は母が親戚と言っていた。今では真偽不明なところがあるから疑わしい。だが見るべきは今だ。

 二条さんらが元気そうでよかったと胸を撫でおろした。

 

「もう三年以上まえになりますか、あのときは母も少しは余裕が出てたようで比較的穏やかに過ごせました」


 寂寥の念を込めてつぶやくと、そうだねえと心地よい相槌が返ってくる。

 久しくまともな会話ができてなかっただけに感動もひとしおである。というか最近の記憶がどこも判然としないから感じ入るところもないのかもしれない。


「……俺の苗字、梓川から変わりますか?」

「いや、変えなくてもいいよ」

「そうですか…………俺、おかしくなってるって言われたんですよ、同級生に」

 

 氷が弾けるグラスを見つめて、できる限り真実を吐露する。受け入れられるのは嬉しい、けどそれ以上に怖かった。


「会話の脈絡がなくなったり、ぼうってすることが増えたそうです。こういうところもありますし、その……」

「いいんだ、そんなこと。いいんだよ……君はよく頑張ったんだから」


 噛み締めるように訴えかけてくる陽一さんは口を引き結んで居住いを正した。

 どうやらただ養子にむかえたいというだけでもないらしい。母譲りの勘の良さは自信があるからか、そう確信できた。

 

「唯くんに頼みたいことがあるんだ」

「なんでしょうか」

「娘の社会復帰を手伝ってほしい」


 娘……雪音さんか。それにしても社会復帰って、病気でも患っているのかな。

 小首をかしげると、順を追って説明してくれた。


「雪のことは覚えてるかな」

「はい。たしか今年で高校二年になりますか。社会復帰となると学校に通えないほど重篤な問題を抱えていると思いますが、俺に頼むことですかね」


 借宿として住まわせてもらっていたときでさえ、あまり接点を持たないよう避けられていた。その点を踏まえると俺におはちがまわってくる理由がわからない。

 

「そうだね。本来なら私たちが対処すべきなんだけど、傷つけてしまったから、近しい状況にある君に頼みたいんだ」


 手を組んだ陽一さんが真剣に見つめてくるので背筋が伸びた。


「似た、ですか。それはつまりうつ病かそれに類する診断を受けたということですね」

「ああ」


 俺は肩の力を抜いて緊張を解く。重々しい陽一さんのことだから介護でも必要になったのかとも思ったがそうではないらしい。雪音さんが心をねえ。知らぬこととはいえ、あまり同情する気にもなれなかった。

 される側としてみじめになるだけなのは身をもって知っていた。想像するに厳しいことがうかがえて生唾をのみこむ。

 

「雪音さんの状況は」

「ここ数ヶ月は部屋に引きこもってるよ。話を聞こうにも返事すらしないどころか、うちのが言うには四六時中部屋でぼうっとしてるそうだ」

「失礼ですが病院のほうには行ってますか」

「行ったよ。けどうつ病であると診断されて、定期検診を受けにくる以外に指示はされなかったんだ。お医者さんからは無理やり外に連れ出すような真似をするなときつく言われてるよ」


 しぼんでいく言葉を最後に陽一さんはぐっと水をあおった。八方塞がりなのだろう。

 提案そのものに反対する理由はないが、どうにかできる自信もない。俺の顔が曇っていたのか、陽一さんは苦笑した。


「あんまり難しく考えることはないよ。娘の件がなくとも引き取るつもりではあった。そこは覚えておいてほしい」

「そう、ですね」


 平日ということもあり窓際では人が少なく、あたたかな小春日の陽光とゆったりした時間が心地よい。

 話に一区切りがついて陽一さんがコーヒーを頼み、俺はコンポタージュを所望した。人におごられるのは罪悪感が強い。もう人の金で物を食う気は起きないだろう。

 その後は引越しや高校に入るかなどいろいろと話し合うことが多くなり、解散したのは日暮のことだった。

 

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