第5話 ありがとう。

「ねえ料理長、さっきのオーダーのおすすめなんだけど、あのお客様の分だけ私が用意してもいいかしら?」


「ああ、いいですよ。オーナーなら厨房でも邪魔にならねえから。任せます」


「ありがとう」


 邪魔にならないって言うのは、多分褒め言葉だ。

 コックさんって厨房で邪魔に動かれるのを嫌うものだけど、わたくしはなんとなく料理長の動きに合わせ邪魔をしないように最小限の動作で動ける自信はある。


 期待に応えなきゃ、ね?


 まずオニオンスープ。

 これは作り置きなんだけどこのままじゃきっとしょっぱすぎる。

 さっとコンソメの作り置きを一杯分火にかけ、そこにオニオンスープの具を少し入れて、と。

 オニオンの風味を損なわず、それでいて上品なお味に仕上げる。


 でもって若鳥のソテーだけど。

 火加減に気をつけ下味がつけてあるもも肉を焼いていく。

 皮目をこんがりパリッと仕上げ焼き上げたらお皿にあげレモンをさっと絞りかけ、フライパンに残った油でソースを作る。その時のソースも、さっぱり味になるように薄味に仕上げて出来上がり。


 他のお客さんとは味付けが違うしお貴族様贔屓? と言われたらそうかもだけど、どうせ今夜のメニューは今夜だけのおすすめメニューだ。次に同じようなメニューを召し上がった時に味が違おうがそれはそれで構わないし。

 全てのお客様にそれぞれ違ったお味で出すのは難しいけれど、できるのであればなるべくたくさんのお客様に満足して帰って欲しいから。


 あのお客様がお塩の濃い味が好きだって言うならしょうがないけど、どう見ても普段から庶民の食べ物を口にしている風でもない。

 お味的には侯爵家で出るお食事に近く、それでもってわたくしの好みにも合わせてみた。


 どうかな? 美味しく食べてもらえるかな?


 チリンチリンと鳴る小さな鈴がつけてあるワゴンを押して。


「お待たせいたしました」と、そう笑顔でお料理をテーブルに並べる。


 出来上がったお料理をそのお客様のテーブルに運ぶ。

 お店ではお料理を運ぶのにはワゴンを使っている。男の人や熟練のウエイトレスさんならたくさんのお皿を一度に持つこともできるけれど、それだと新人の子とかが入った時にわりと定期的に失敗しお皿を落としてしまうといった出来事も起きていた。

「それくらい。失敗して覚えるもんですよ」

 そういう熟練ウエイトレスさんもいたけど、やっぱりそれでは体の小さい子とかはなかなかできるようにならないし、せっかくのお料理が無駄になってしまうのも、大きな音でお客様に嫌な気分にさせるのもいやだった。

 もちろん、サーカスのように器用にお皿を何枚も運ぶウエイトレスさんは尊敬しちゃうし、みんなが練習してできるようになっていくのはいいとは思う。でも、ワゴンを使えばきっとどんな子でもちゃんとお料理を落とすことなく運べるから。

 貴族の世界では当たり前のワゴン。

 平民の世界で受け入れられるかは心配だったけど、使ってみると皆気に入ってくれてあっという間に全員使うようになった。それも渋々とかではなしに喜んで使ってくれているから嬉しい。


 三段になっていていっぱいお料理が運べるように工夫してあるワゴンは、物珍しさからも大概のお客様からも好評だった。

 すれ違うときも、粗野に「邪魔だ」とお怒りになる方が全くいないわけじゃなかったけど、このお店はテーブルとテーブルの感覚も広く設計してある。丁寧に謝れば許してくださるお客様が多かったのも幸いした。


「ごゆっくりお召し上がりくださいませ」


 そう挨拶してワゴンを押しキッチンに帰る。


「ありがとう」


 そんな声が聞こえた。

 フードから除く、ちょっと変わった青色の髪がふわっと揺れるのが視界の隅に入った。



 ふふ。


 思わず顔が綻んでしまう。


「ありがとう」

 この言葉、わたくしは好きだ。

 ほんの些細なことでもいい。

 他人に感謝の言葉を告げることのできる人って、本当に素敵だと思うから。


 そして、こうしてお店で働いて、お客様からそんな感謝の言葉が聞けた時はもう幸せで舞いあがっちゃう。


 ワゴンを押して厨房に戻って、そしてまたフロアに出たわたくしは、また周囲をしっかりみて回った。

 そんな中でも、さっきのお客様が美味しそうにご飯を食べてくださっているのを横目で見ながら、心の中で幸せに浸っていたのだった。






 

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