第2話 マリーゴールド。

「奥様、どうかなさったのですか?」


「ううん、メアリィ。何でもないのよ」


「でも、あまりにもお顔の色が優れませんわ。ああ、どういたしましょう、薬師をお呼びしましょうか」


「いいえ、それには及ばないわ。それよりも、街に行きたいの。いつものように着替えと馬車をお願いできるかしら」


「わかりました。今夜のお夕食はそちらで摂られますか?」


「そうね。旦那様はわたくしとお食事を共にしたくはないのでしょうし、お部屋で頂くのも侘しいですからね」


「了解しました。それではお着替えの準備をしてまいります。しばらくお待ちくださいませ」


 ユーラッド伯爵家からずっとわたくしについてきてくれたメアリィ。

 彼女がわたくしのことを一番に考えてくれていることは、わかる。

 それでも、まだジュリウス様に「わかれよう」と言われたことを、そのまま話すことはできないでいた。


 ユーラッド伯爵家は経済力だけはある家だった。

 従来の領地経営だけではなしに、一般の平民向けの商売にまで手を広げていたお祖父様、お父さま。

 特にグランドルフお祖父様の時代には、のちに国内一の商会と言われたグラン商会を立ち上げ、国内のみならず国外にまで販路を広げていた。

 今は商会はお父さまの代になってはいるけれど、わたくしがレイングラード家に嫁ぐ際にはその商会の一部を暖簾分けしてくれた。

 わたくし自身でも経営を学ぶようにという意味と、わたくし自身にもちゃんと財産を分けてくださるという意味でのもので。

 わたくしのマリーゴールド商会は、主に雑貨と飲食系のお店をいくつか経営している。

 今日訪れる予定の金華亭も、そんなお店の一つ。

 一人で摂る夕食が侘しくて、どうしてもこちらに足を運ぶことが多かった。


 表通りにある金華亭は平民向けの食堂だ。

 外装は素朴な佇まいで、決してお金をかけてあるようには見えないけれどそれでも、実は至る所に工夫が施してある。

 外壁と内壁の間には断熱材をふんだんに使用し、空気の流れにも凝って、冬は暖かく、夏は涼しく過ごせるようになっている。

 内装も、一見庶民的な色合いに見えるようにはなっているけれど、椅子のクッションからテーブルの触り心地に至るまで、わたくしの趣味がこれでもかというくらい反映させてある。

 儲けだけ考えたら回転率を上げたほうがいいのはわかっている。けれど。

 お客様にはできるだけ快適な空間を提供したい。

 それがわたくし、マリエル・ユーラッドの経営方針だった。


 裏口からお店に入る。

「お疲れ様」

 そうなるべく笑顔を作って挨拶する。わたくしが落ち込んでしまったままだときっと従業員のみんなに心配をかけさせてしまう。

 それは望まない。


「オーナー、今夜の賄いは玉子焼きですよ〜」

「きのこがたっぷり入ったニラ肉炒めも美味しいです〜」


「あら、美味しそうね。じゃぁ私も着替えてくるわ」


 そう言って更衣室に向かう。洗面台でさっとお化粧を落とし、薄くナチュラルな化粧に変え、従業員用のエプロンドレスに着替えてバックヤードに戻る。


 食堂のメインは夕食時ゆうしょくどきだ。

 ピーク時間になってしまうとなかなか休憩もしていられないから、その前に交代でこうして賄いをいただくことにしている。


「あは。マリーだ」

「マリーってほんと、オーナーの時とマリーの時で別人のように見えるよね」

「もう、サリーもミラも揶揄わないで。私はこっちの方が素顔に近いんだから」

「お貴族様の時は、ガッチリ濃いお化粧で固めてるって言ってたものね」

「しょうがないのよ。『貴族の娘は隙を見せちゃいけないんだ』って、そううちのお母様がうるさくて」


 席について大急ぎで賄いをいただく。

 うん、美味しい。

 こうやって友人と談笑しながら食べるご飯は美味しい。

 昼間、旦那様に言われた「わかれよう」という冷たいセリフに落ち込んでいたけど、こうして美味しくご飯をいただいていると少し精神的にも回復してくるような気がする。

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