第二章 罪の告白
第8話 一夜明けて
「昨日はどうしたんですか?」
翌朝、英樹が出勤すると、すでに隣の席には佐々木の姿があった。机の上のパソコン画面には、たくさんの文字が縦横無尽に並べられている。担当教科である国語の授業プリントだ。
他に出勤している人はまだおらず、職員室はひっそりとしている。
「うさぎを探しにいったあと、一度帰って来たかと思ったら、またすぐに出かけて……いったいどこに何しに行ってたんですか?」
「うさぎを探してたんです」
英樹はカバンを下ろして、地面に置く。机に買っておいた飲料水を出して、椅子に座る。机には生徒が提出した夏休みの宿題が積まれている。
「わざわざ外まで探しに行ったんですか?」
佐々木が目を丸くする。
「いえ、うさぎ自体は学校内で見つけました。どうやら生徒が隠していたみたいで」
怪しまれないようにさらりと嘘を吐くと、佐々木はそうなんですか、と眉を下げた。
「生徒ってもしかして……内野さんですか?」
英樹が頷くと、やっぱり、と佐々木が付け足す。
「内野さん、大切にうさぎを飼っていましたもんね。死んじゃったの、すごいショックでしょうね……」
死んじゃった、という表現だけが、耳からこぼれ落ちる。
「内野さんって、すっごく動物が好きですよね。虫とかも好きみたいで」
「そうなんですか?」
動物や虫が好きであることは、昨日由紀子から直接聞いた。もちろん、佐々木の思っている好きと由紀子の好きの内実は異なるが、佐々木が由紀子のことをどう見ているのかが気になった。
「一学期のときですけど、一回授業中にカエルが入って来たんですよ」
佐々木はよく換気のために窓や扉を開ける。その日はたまたま網戸をしていなかったのだろうか。一年生の教室は一階にあるから、網戸がないと虫の侵入をたやすく許してしまう。英樹は授業の声が外に漏れるのがいやで、窓も扉もきっちりと閉める。
「女子はみんな気持ち悪いって感じで、距離をとるんですけど、内野さんだけはなんでもないようにカエルを素手で捕まえて、外に逃がしたんです。私もカエルとか苦手なタイプなんで、内野さんのことかっこいいと思っちゃいました」
へぇ、と相槌を打ちながら、英樹は昨日の夜道を思い出していた。
実は花火大会の夜に裏山で由紀子を目撃したことを英樹は伝えた。由紀子ははじめ驚いたものの、すぐに納得した顔でつぶやいた。
――だから私がいる場所がわかったんですね。
ぼんやりと光を放つ街灯の間で、英樹は由紀子にたくさんの質問を投げかけた。
――いままで、どんな生き物をいじってきたんだ?
もし誰かに聞かれても問題ないように、いじる、という言葉を選んだ。
――蝶とか、蝉とか、カエルとか、です……。
由紀子の心は罪悪感と恥じらいが混ざっているようだった。赤らむ頬は、少女特有のあどけなさが残っていた。
もし今、内野の本当の姿を佐々木に教えたら、いったいどんな反応をするだろうか。昨日知った由紀子の秘密が、重い爆弾としてからだの底に沈みこんでいる気がする。
自分はとんでもない人間のとんでもない秘密を知ってしまったのではないか。由紀子と別れて冷静になると、次第にそんな疑惑が顔をのぞかせた。
唯一ほっとできたのは、人をいじりたいと思うことはあるか、と質問したときだ。
――それはないです。全然ないです。
本人もそれはまずいと思っているのか、二度の否定が返って来た。
由紀子に合わせてゆっくりと歩きながら、ならば大丈夫だろうと、英樹は安堵していた。
世間をさわがせた殺人事件の容疑者のなかには、ただ純粋に人を殺してみたかったと証言する者もいる。そういった人たちは大概、人を殺める前に動物殺傷を繰り返しているらしい。だから、由紀子ももしかしたら、と考えてしまったが、杞憂だったようだ。
「それで、結局うさぎはどうしたんですか?」
「内野が、自分の手で埋葬したいということだったので、ふたりで山に穴を掘って埋めました。山に勝手に埋めるのはあれですけど、もう所有者のわからない山を選んだので、そこは見逃してください」
予想される反応をあらかじめ封じておく。そろそろ会話を切り上げて、作業に集中したい。
「それ、校長とか小野さんには伝えました?」
「あとで伝える予定です。あの二人なら、特別問題視しないでくれると思います」
「まぁ、それもそうですね……」
英樹は生徒が提出した夏休みの課題本を、一冊手に取る。ぱらぱらとめくって、出来具合を確認する。ほとんど丸が付いているところを見ると、答えを写したのかもしれないと感じたが、宗太という名前を見て、そうではないと判断する。宗太はクラス一のお調子者だが、なぜか勉強はできる。
「そのちょっと、話変わるんですけど」
英樹が作業を始めたにもかかわらず、佐々木は問うた。
「寺田先生、金曜日の夜って空いてますか?」
「だいぶ話変わりましたね」
はぐらかしてみるが、隣からは笑い声が聞こえてこない。見ると、少しぎこちない表情で、佐々木はこちらを見つめていた。
「……金曜日の夜に、なにかあるんですか?」
たぶん、飲み会かなんかだろう。来週は月曜日が祝日だから、そういった企画が立ち上げられていてもおかしくない。
「また飲みに行きませんか?」
思ったとおりの提案がやってくる。用事があるからと言って断ろうとしたとき、佐々木がとつとつと言った。
「その……ふたり、だけで」
佐々木の耳がほんのりと赤い。うっとりとしたような表情を浮かべている。前にも似たような表情を見たことがある。
もともと断ろうとしていたが、その意志が冷凍されたようにさらに固くなる。
「すみません。ちょっと用事があるので」
「そ、そうですか……」
「また今度誘ってください。予定が空いていれば、一緒に飲みましょう」
そのつもりはないが後腐れのないよう英樹はそう言い足した。「わかりました」佐々木もその意図をくみ取って、軽く笑う。
英樹は別の課題本を取って、表紙をめくる。紙面には、赤いマルとバツがぐちゃぐちゃに広がっている。
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