五月三日 十五時
その喫茶店には看板が無い。
開店・閉店の札もかかっていない。
喫茶店の扉には、尾っぽの長い猫を象ったステンドグラスが嵌め込まれている。
ステンドグラスから店の光が漏れ出していたら開店、閉店はその逆だ。
店主の気まぐれで店を休むこともある為、扉の前に立つまで状況がわからない。
午前十一時、喫茶店巡りが趣味と言っていた顔見知りの女の子が、snsにリアルタイムで黒猫パフェの写真をアップしていた。
目に入れても痛く無い、そんな友人の娘、芽生の為に、春は親指を忙しなく動かしチャット文を送信する。
-本日2時15分〜20分の間に勝負をかける!-
十四時十三分、早足で現地に到着した。
店の扉の前に立つと光が溢れているのを確認する。
気まぐれで早々に閉店、なんてことは無かったようだ。
そして右斜後方を振り向き、「これまたラッキー」と言い、停車していたワゴン車の陰にしゃがみ込む。
芽生とはこんなやり取りもしていた。
-夏生を おどろかせよう-
-父さんを?? おもしろそう!-
-お店の近くに とまってる車のかげから春くん登場!ってのはどう?-
-でも 車がとまってなかったら?-
-その時は春くんが ちがう方法で父さんをビックリさせる-
-車がいっぱいとまってたら?-
春は喫茶店周辺の画像を共有し、作戦会議を続ける。
大前提として、喫茶店の一番近くに停まっている車に隠れる
車が複数停まっていたら一番大きな車に隠れる
大きさが同じ車が複数あったら一番色の薄い車に隠れる
大きさが同じ、色も同じ車があったら、喫茶店を背にした時の右手にある車に隠れる
車が停まっていない 又は 一番近い停車場所が、建物三棟分先にあった場合は喫茶店の扉の前まで誘導してもらい、膝カックンという予定であった。
幸い車はこのワゴン一台だけ。
芽生は飲み込みが早いだけで無く、気の回る子である。
「逃げちゃうかもしれないじゃん!」
無邪気な声が響き渡る。
それは春に聞かせる為の一言であった。
大層驚いていたのは、目の前でアイスコーヒーを啜る
喫茶店は常に満席なため、待ち時間が生じたが、十五分程で通される。
扉を開けると、モダンなカウンター席が先ず目に留まる。
ガラスシェードのペンダントライトがぶら下がり、温白色の明かりが店内を包む様に照らしていた。
カウンター席から近いテーブル席へ案内される。
お冷を持ってきた店のおばちゃんに、芽生は元気よく言った。
「黒猫パフェふたっつと、アメリカンコーヒーをアイスでひとっつ下さい!」
「あら威勢のいい子ねぇー」
と、おばちゃんはガハハと笑う。
その笑い声は、店の雰囲気をぶち壊すものであった。
そして、春と夏生の顔を交互に見るや否や、
夏生の方を向き、「パパさん?よね」と聞いた。
誰が如何だっていいこの時代に、誰が如何だと聞いてくる店のおばちゃんに少し驚く様子をみせて、夏生は「えぇ」と答える。
「やだー!歳の離れた兄妹かと思ったじゃない!」
気圧される夏生は、頬を引き攣らせ「そうですか」と笑った。
「パパ、若くてイケメンで素敵ね」
と、芽生にまで飛び火するこの不毛な会話を濁そうと、息を吸い込み、制止の一言目を口から溢そうしたその時である。
「うん!運動会の時にね、友達がカッコいいねぇって」
夏生は思わず言葉を飲み込む。
おばちゃんは質問の答えを聞くと、満足したのかカウンター後ろのキッチンへ戻って行く。
春と目が合った。
春のにんまりとした顔に、「なんだよ」と苛立ちを含んだ声で言う。
「素直じゃ無いんだから」なんて言ったら、後で殴られそうだから止めた。
十分後、黒猫パフェが運ばれる。
下層から上層までぎっしりと詰まった中身を見て芽生は言った。
「コーンフレークが入ってない。これは本物だ」
春も共感したのか、「正しくだな」とこたえる。
名前に黒猫が入っているだけあってか、ココア味の猫を形どったクッキーが添えてあった。
芽生と春はスプーンを持ち、クリームを掬おうとする。
夏生はそんな二人に咳払いをしてこう言った。
「食べる前に言うことは?」
二人は一旦スプーンを置き、声を合わせる。
「「いただきます!」」
夏生も後に続き、ボソっと「いただきます」を言った。
いくらフィーリングが合うとはいえ、六歳と二十八歳の食べ進め方は顕著だ。
芽生の一口は小さいため、春が完食しても芽生の器にはまだ半分残っている。
春は腹をさすり、「ゴチ」と言うと、お冷を口に持っていく。
そして何の気なしに扉へ視線を運ばせると、丁度、女性客が入って来た。
思わず春はその女性客を凝視する。
目線はその女性客の胸元に注がれ、心の中で「やば、デカ」と呟いた。
続いて入店する男を二度見し、大きな声の独り言が漏れる。
「デッカ!」
女性客の後ろにそびえ立つ巨塔は、先ほど驚かせてしまった、アノ兄ちゃんであった。
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