灯りもない路地裏に僕は今も住んでいる

灰湯

01 ―灯りの外―

 今日はまた一段と寒い日だ。今年の冬を僕は越すことができるだろうか。

 

 この日灯国ひとうこくの貧困街には、降り積もる雪を避ける場所も、暖を取れるものもない。去年は雪は振らなかった。でも、今年はもう、いや、まだ十月だというのに雪が少し降り始めている。これでは、十二月頃には一面雪で覆い尽くされるだろう。もっと早まる可能性だってある。そう、例えば今夜からとか。

 

 年中朝昼関係なく人で賑わっている首都桜京おうけい。その中心にある繁華街の裏側、建物と建物の隙間を通って初めて辿り着く、この国の闇の部分。四輪自動運転車が二台通れるか通れないか程しかない隙間の路地を、表に生きる人々は貧困街と呼んで嫌っている。

 

 貧困街には赤錆れた鉄で作られた仮設住居のようなものしかなく、あとあるものといえば木や至る所から掻き集められてきた瓦落多を積み上げて形にした、家とは呼べない代物だけだ。

 

 そんな街とも住処とも呼べない場所に僕は住んでいる。

 

 だが、定住はしていない。できるわけがない。

 一粁にも亘ってある繁華街と、その背に沿うようにしてある住宅街に挟まれてある貧困街。食料は当然のようになく、浮浪者は当たり前だが完全に自給自足。金さえあれば繁華街の人でも物を売ってくれる人がごく僅かいるものだから、浮浪者たちは互いに争い合い身包みを剥がし、有り金を奪った者だけが生き残る。一定の区画に留まれば、そこの頭目に目を付けられるし、食料争いにも巻き込まれやすくなる。あまり姿を現さない奴や、新人には皆警戒して手を出さない。どんな異能を持っているかわからない以上、命を優先するのは当たり前だからだ。

 

 僕は此処に来て一年と半年でそれを痛いほど思い知った。

 

 だから僕は毎日移動しながら生きている。眠るときだけは同じ場所だが、日中は一定の場所に留まらない。まぁ、最近はその必要もなくなってきているが。僕は異能を持っていないけど、そもそも争いに巻き込まれない。強者のふりをしているからだ。

 

 服装は擦り切れて袖が半分程なくなった黒い毛糸で出来ている襯衣しんいと木綿製の厚地綿布で出来た下穿、紐のない紐靴、継ぎ接ぎの布を外套代わりにしているが、これは浮浪者の中では随分とまともで、襲われる可能性がある。実際、僕と似たような身なりの奴が拐われたのを目撃したことがある。

 あの時拐われた奴と同じ運命を辿らない為にも僕は、通常衣類の上から擦り切れた布を纏い目元を除いた全身を覆い隠している。そして痛みを堪え顔や腕、体に小刀で傷をつけて、いかにも怪しくて強い奴を装っているのだ。その成果か、今のところ襲われたことはない。むしろ恐れられているのか人は寄ってこない。

 

 でも襤褸布を剥ぎ取れば僕も襲われる側だ。細心の注意を払って過ごさなければ直ぐに襤褸布の下など見破られてしまうだろう。

 

 よって当然、拠点なども決めてある。拠点を元にして行動していくのだ。手に入れたもので持ち運べないものは拠点に置いておく。いや、隠しておくのだ。大きな物、例えば水を汲む用の桶とか溜めた雨水とかは持ち運んでいられない。かといって盗られてしまえば僕の水がなくなる。きっと表の人たちは水なんて取られてもいくらでもあるとか思うのだろうけど、水道もない貧困街では、溜池にある誰が何を入れたかわからない水を使うか、雨水を使うかの二択しかない。

 

 生き残るためには手段なんて選んでいられないのだ。人は水なしでは生きていけないのだから。冬場は雪を溶かせばいいが、雨がなかなか降らない夏場のためにも今のうちに溜められるだけ溜めて保存しておきたい。

 

 僕の拠点は、繁華街に店を出している弁当屋『灯り処』の近くにある壊れかけの仮設住居だ。『灯り処』の店主をしている沢倉さわらという女性には何かと世話になっている。彼女は浮浪者である僕にも差別なく接してくれる数少ない人だ。僕の顔に傷をつけるために使った小刀も彼女が護身用にくれたものだった。女身で成人もしてない幼い見た目の僕を気遣ってくれたのだろう。それで傷をつけていることが露見したときには、とても怒られた。でも同時に心配されていることもわかって嬉しく感じたものだ。

 

 今、僕を心配して気遣ってくれるのは沢倉さんだけだ。あの人しか僕を人として見てくれない。でも、あの人に頼りっぱなしなのは良くない。僕は浮浪者で彼女は普通の人なのだ。暗闇で生きる人扱いされない浮浪者と、灯りの下で生きる人である沢倉さん。彼女を僕の事情に巻き込むわけにはいかない。しばらくは会いに行かないほうがいいだろう。僕が会いに行った所為で他の浮浪者に目をつけられて彼女の店が荒らされたりするのだけは避けたい。僕には彼女の店も、彼女自身も、何より自分の身を守る力すらない。だから賢く生きるしかない。馬鹿で無能だと蔑まれていた僕が、頭を使わないと生きていけないなんて。笑えてしまう。

 

 とにかく、雪が積もるまでに食料をあらかた確保して、暖を取れるように対策しなければ。今年の冬は厳しいものになりそうだ。


 ―――――――――――――――――――――――


「わっ、異界の扉だ」

 

 翌日から僕は、冬の間過ごす壊れかけの仮設住居を補強するための金属棒や布、固定できる紐などを探しに貧困街を隅から隅まで歩いて回った。

 

 その途中、空間が黒く歪んでいる場所を見つけて、慌ててそこを避けて歩いた。

 あの歪んでいる部分に触れると吸収されるように別空間に飛ばされると言われている・・・・・・。そう、言われている・・・・・・のであって、僕も直接は知らない。行ったことはない。

 

 異界は今から三百五十年前に発見され、政府より行き来が許可されている、この世界とは別の世界だ。もちろん、この扉の向こう側には知らない世界、知らない人たちがいる。知らない世界と行き来ができるということは、当然向こうの人たちもこちらと行き来できるということで。今となっては、人種も混ざりに混ざって。でも、その所為で、こちら側の人間である現世人が本来当たり前に使えていた、異能という非科学的な力を使えない人が増えてきている。僕も使えない奴の一人だ。

 

 向こうの世界には何があるかわからない。法律も何もかも向こうの基準に沿わねばならない。言ったところで利点もないし、万が一帰れなくなることを考えれば貧困街で暮らしていたほうがよっぽどいい。価値観の違いや差別もあるかもしれない。当然こちらにも異界人への差別はある。

 

 そして異界の扉は、ずっとそこにあるわけじゃない。でも、突然現れるわけでもない。少しずつ扉ができる場所の空間は黒く染まっていく。空間に黒い染みができると、歪んで扉ができるというわけだ。そして、消えるときはいつの間にか消えている。

 通常、異界の扉は政府に管理されている。でも、無法地帯の貧困街ではそれは適用されない。だから、この扉の先は保証されない。いつ現れるかも、自分たちでよく観察して見ておかなければならないというわけだ。

 

 危なかった。最近は寒さで観察力が落ちている。長生きするためにも、周囲には警戒しないと。

 

 僕は扉を避けて、そのまま歩き出した。あの扉はいつ消えるだろうか。うっかり触れてしまわないためにも、できるだけ早く消えてほしいものだ。

 

 僕は拠点に辿り着くと、扉のない玄関から中に入り、壊れている屋根の下に腰を下ろした。手に持っていた物を床という名の、ほとんど剥き出しになった地面に置く。

 

 今日の収穫は薄手で風呂敷くらいの大きさをした布三枚、麻の細綱が二米ほど。金属棒は見つからなかった。内心とても焦っている。皆、考えることは同じなのか、捨てられている使えそうな瓦落多はあまり落ちていない。本当に使えない瓦落多ばかりだ。

 

 それにしてもだいぶ雪が積もるようになってきた。日差しでも溶けないくらいには積もっている。この調子だと今日の夜には僕の膝辺りまで降り積もることになるだろう。僕は身長が低いとはいえ、それだけ積もればもう地面は見えない。歩きにくくなれば食料探しも難航する。寒さも増すことだろう。そうなる前に僕も冬支度を終わらせたい。

 

 お腹空いた。でも食料はもうない。五日前に沢倉さんから貰った小さな麵麭は今朝で最後だった。ということは、明日は毛布と、食料かな。また、沢倉さんに頼ることになってしまうかもしれないけど。何にせよ生き残るために最善を尽くさなければ。

 

―――――――――――――――――――――――


 冬の夜は冷え込む。僕は寒さに抗うように足を擦り合わせながら白い息を吐いた。胃が何か食べ物を与えてくれと唸るが無視する。壊れた屋根から振り込む雪が、足元に小山を作っていくのを僕は見つめていた。空腹や寒気を誤魔化すために。

 

 眠れない。でも、それはいつものことで。

 

 僕が貧困街で安心して眠れたことなど一度もない。寝ている時に物を盗まれるかもしれない。襲われるかもしれない。そんな不安に駆られるからだ。生き残るためにも、完全に眠りについてはいけない。ほんの僅かな空気の変化でさえも感知できるように。少しの物音も聞き逃さないように。

 

 だからといって眠らないのも短命に繋がってしまう。貧困街では、いかに短い眠りで体を休められるかが求められているのだ。それに、この寒さで完全に寝てしまえば、死んでしまうかもしれない。それほどに寒い。

 

 余計な体力は使えない。それは皆同じなのか、今日は夜に活動する浮浪者たちの数も少ない。普通の人間に夜型と昼型がいるように、浮浪者たちの中にも昼間に活動する者から夜中に活動する者まで幅広くいる。

 

 夜型の浮浪者たちは比較的体格のしっかりした者が多い。夜は物騒な人々、暴力団なども活動する時間だ。僕も合法でないやりとりに危うく顔を突っ込みそうになったことが一度だけあるが、あれは恐ろしかった。まともな人間じゃない。浮浪者である僕が、まともかまともじゃないかなんて言える立場じゃないのはわかってるけど、明らかに裏の世界の住人たちだった。そんな奴らの闊歩する夜の貧困街を歩くには比較的腕に自信のある強者であるしかない。つまり僕は無理だ。

 

 だから夜は眠れなくても拠点で丸まって寒さに耐えながら息を殺している。関わらなければ向こうも関わってこない。夜の僕は動きませんと、貴方達の邪魔しませんと行動で示すのだ。そうすれば裏の人々も僕を空気として扱ってくれる。まぁ、僕に構っている暇がないだけかもしれないが。

 

 ああ、壊れた屋根から見える星空が綺麗だ。星はいつでも綺麗だが、冬は別格だ。綺麗で、輝いていて、僕を優しく照らしてくれる。蝋燭みたいな灯りなんて必要ないくらい夜なのに明るい。夏場では、見られない景色だ。それに、こんなに星が綺麗に見えるのは貧困街だからもあるだろう。貧困街は街灯という概念がないようで、夜になると基本真っ暗だ。だから、星がよく見える。あの家にいたら見られなかったと思えば僕は浮浪者で得をしたと言える。そう思うことで僕の精神の支えになる。明日もまた頑張ろうと思える。

 

 何だか急に眠気がやってきた。駄目だ、寝るなら仮眠程度にしろ。熟睡しては駄目だ。僕は閉じそうになる瞼を必死に開けながら意識を保とうとしたが、無力にも僕の意識は夢の中へ飲まれていった。

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