エンドロール 勝負の後

「ありがとう。あなたのことが好きでした。ずっとずっと好きでした」



うっすらと目蓋を開く。

まだ視界が霞んでいるけれど、頭ははっきりと覚醒している。


僕の頬には冷たい地面の感触がある。

セメントで固められたバスケットのハーフコート。

駅前の見慣れた風景。


ゴロリと寝返りをうって仰向けになる。

右手は携帯を持った姿勢で耳に添えられていた。


上部に取り付けられている小さなスピーカーフォンからキミの声が届く。

声が微かに震えている。

川の水が流れる音が微かに聞こえる。


あぁ、戻って来たのだな、此処へ。

僕は仰向けになったまま、上空に浮かぶ月を見る。

月は変わらず其処にあった。



京一「蓮華、待っていて。今からキミを迎えに行く」

蓮華「うん」



小さく頷く、キミの声。

これほどに愛おしい音と響きがこの世にはあるのだな。


僕はその場でスッと起き上がると、周囲を見渡す。

深夜の駅前コートに人影はない。

誰もいない。


ただ変わらぬいつもの夜が広がっていた。

僕は闇夜を疾駆した。




ドンっ!




強い一歩を踏み出す。

凄まじい足音を響かせ、駅前コートを走り出る。


高層ビルの影を抜け、大通りに出ると、前方の夜空にベガとアルタイルが輝いているのが見えた。

織姫星と彦星。

今日は七夕。


頭の中に川原までの最短ルートが即座に思い浮かぶ。

区画に沿って走るつもりはない。

道なき道、あぜ道、全てを使った最短ルートを、最高速度で駆けてゆく。

両足のチェーンはトップギアに入れた。


ギュンッ!


街中を走っているのに、車道を走る車は不思議と一台もなかった。

信号機を無視して大通りを横切り、ビルの裏手を抜けて裏通りに出ると、そのまま民家を横切り正面に横たわる用水路を睨む。


水路の幅は6メートルといったところか。

橋を渡れば大周りとなる。


このまま突っ切る!


僕はギアをトップに入れたまま、用水路の縁(へり)まで駆け込むと、利き足一つで跳躍した。


ズドンっっ!!!!!!


周囲に地面を踏み鳴らした音が木霊する。

片足で放つドルフィンキック。

僕の身体はぶわりと宙へ舞い上がり、夜風を切りながら円弧を描く。


前方の夜空には、変わらずベガとアルタイルが輝いている。

綺麗だな。


二人の間に横たわる”天の川”は視えなかった。

身体が夜風に溶け込むようで心地よく、風がビュンビュンと耳元で鳴っている。


夜空を舞っている感覚。


この世界の重力から解放された感覚。

全てを手に入れた感覚。



スタン!



対面の道路に着地するとそのまま道沿いに最高速度で駆けてゆく。

僕の中にはただキミの姿だけがあった。


駆ける、駆ける、駆ける。


トップギアのまま、己の最高速度で疾走してゆく。

ただ、キミを目指して。


冥府を抜けてキミを取り戻した。

現世はすでに決した事象をなぞるだけ。


あぜ道をものともせずに駆け抜けると、再び用水路を水平飛びでショートカットし、アスファルトの上を疾駆する。


前方に輝く二つの星。


周囲が開けてくる。

川の香りを感じる。

前方の土手を一気に駆け上がると、大きな川の中腹に佇むキミの姿を捕えた。


キミの身体は半分が川の水の中に埋もれている。

先日までの雨で増水した川は、ところどころ、深みがあり、流れも速い。

少しでも気を許せば足元をすくわれる。


瀬の速い流れが二人の間を流れる天の川に思えた。

キミは天の川の中腹まで歩いて渡ってきてくれた。

ならば残り半分は僕が行く。


一気に土手を駆け下り川の中に飛び込むと、急な流れをものともせずに中腹を目指し突き進む。


ズボンっ!

バシャッバシャッ!


川の水面を駆けてゆく。

例え両足が水の中にあろうとも、凄まじい脚力を秘めたこの足と、跳ね飛ばされてもブレない強靭な体幹がグングンと水をかき分け進んでゆく。


ああ、僕の両脚は、この時のためにあったのだな。

鍛えぬいた身体は、この時のためにあったのだな。


少しずつ君に近づいてゆく。

徐々に、キミの顔が見えてくる。

そして、表情までもが読み取れる距離にまで近づく。

キミは、涙をポロポロと零し泣いていた。


グラリ!


一瞬ではあるが、君が足元をすくわれバランスを崩す。

でも、次の瞬間、僕の両腕が君の身体を抱きしめていた。



川の水で冷えたキミの身体の温度が、火照る僕を少しずつ冷やしてゆく。

月明りでも分かるほど、美しい藍色をした浴衣が濡れている。

キミの美しい顔に、濡れた髪の毛が張り付いている。

ほのかに朱を帯びる口元にも黒い髪の幾つかが張り付き中へと消えてゆく。


キミの温度。

キミの香り。

首筋にかかるキミの吐息。


そのすべてが現実のものとしてここに在る。

今、初めて僕はキミを抱きしめ、抱き上げる。

川の流れに背き、二人ぶんの重さを支えるのは鍛えぬいた僕の両脚。

幼いころは、まともに走ることさえできなかったこの脚が、強い水流をものともしない。





ちりん、ちりん





キミの手元にかけられた可愛い風鈴が、かすかに鳴いた。

その美しく透明な音色を聞いて思い出す。


藍色のガラスの中を、真っ赤のヒヨドリが長い尾を引きながら舞っている。

幼い頃の夏祭りで、僕がキミに買ってあげた風鈴。

まだ、持っていてくれたんだ。

その可愛らしい音色を聞いて、僕は気持ちを抑えきれなくなった。



京一「キミのことが好きだった。ずっとずっと好きだった。今も、昔も、これからも」

蓮華「・・・・・・うん」



あの日、竜王山の頂上で結ばれた二人が果てしの無い年月を経て、今、再び結ばれる。


これほどに愛おしいものが世界にあるだろうか?

これほど魂を鎮めるものが世界にあるだろうか?


今、僕の腕の中にキミがいる。

それだけでいい。

これだけでいい。


腰から下を川の水に浸したまま、僕と君の温度が混じり合ってゆく。

全てが愛おしい。

この夜も、川の水も、今を満たす空気すらも。


僕はキミを抱き上げたまま、ゆっくりと対岸に向かって歩いてゆく。

水流に足を取られることは無い。

サラサラと流れてゆく七夕の川水が火照る身体を心地よく冷やしてゆく。



「ただいま」

「おかえり」



僕はゆっくりと、キミの中に入ってゆく。

少しずつ、心の境界線を破り、交じり合ってゆく。


水面を駆け抜ける夜の風。

キミの髪をふわりと揺らす。

それが僕の頬を優しく撫でる。

キミの香りが伝わってくる。


あの日、夏祭りの花火大会の日に、初めて知ったキミの香りだ。

月明かりに照らされたキミの顔を見る。


中央を裂く、その傷痕。

僕は改めて気づく。


京一「その傷、“むむ”の身体を走る炎の痣と同じだったんだね」

蓮華「……うん」


きゅっ。

僕に抱きかかえられた蓮華が、さらに僕を抱き返す。

青葉祭の後の事故。

それで負った傷は、“むむ”の痣がこの世に現れたものだったんだ。

僕はキミの顔を走る傷が愛おしかった。

唇を中央から割いて駆け上がる傷痕を、初めて美しく、愛おしいと思った。

きつく抱き上げる。

そして口づけた。


蓮華「……ん」

京一「……ん」


二人の吐息が触れ合い、混じり合う。

深夜の川面。

誰もいない世界。


清らかな水の流れの中で、僕は蓮華と結ばれた。

あの日、竜王山の頂上でキミと結ばれてから、那由多x1000年の月日を数えた。

今、二人は一つになった。

白銀の月夜が僕と蓮華を照らし出す。



ここは天界。

キミが創った僕たちだけの世界。

あとはひたすら、重なるだけ。

永遠に、

永遠に。


それはもう本当に

目も当てられないほどに

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る