新世祭
小鷹竹叢
新世祭
都を追放された私が荒野を
ふと違和感を覚え始めた頃から私は日の出ている時間を計るようになっていた。初めの頃は勘違いだと思っていた。数え間違えたのだ、そんなはずはない。しかし日を経る毎にそれが間違いではないと認めざるを得なくなった。
日毎に、太陽の出ている時間が減っている。日に日に昼は短くなって行く。恐ろしいことだった。前日よりも長くなることはない。前日と同じ日もまたない。ただ一方的に短くなって行くだけだ。
もしもこのままこれが止まらないとしたら。
ぞっとした。もしもそんなことになれば、いずれは太陽が昇らない日が来る。昼は消え失せ、永遠の夜が来る。
都の学府で眠るように研究をしていた神学者達の言葉を思い出した。いずれ世界の終末が訪れる。世界からは光が消え失せ、全てが闇に吞み込まれる。世界の死だ。
彼らは夢現の境に霊感を
怯えながらも私は、日のある時間を震える指で数えていた。
無人の荒野で、枯れた木々の合間を吹き通る、干乾びた草々を流し去る、
もはや日のある時間は数えるほどにもなくなっていた。夜の端に、南に
衰え果てた太陽は夜を払う力もなくなった。闇に潰され、光すらも力強さを失った。弱々しい細い光も日を追う毎に痩せて行った。
終わりが来る。潰える日が。世界の終わるその日は近い。
光りなき世界で人はどうやって生きて行けると言うのだろう。私の望みは絶たれた。
絶望の淵に沈みながらも私はどうにか這い回っていた。しかしそれは肉体が動いているだけだった。心は既に潰れていた。もう日は昇らない。世界は永遠の闇に閉ざされた。一筋の光明さえも今はもう、ない。
息を吸い、吐き。水を飲み。物を食う。それで肉体だけは生きていた。感情も、情動も死に果てて、精神は失し、希望は絶たれ切っていた。
心なき肉体に引き回される私は漆黒の闇の中で生きていた。息をしているだけだった。動く屍に過ぎなかった。
だからと言って私に何が出来ただろう。二度と太陽は昇らない。世界はただ一色の闇となった。そんな中で動いているだけ凄いというものだ。
世界が闇そのものになってからどれだけの月日が流れただろうか。日に日に昼が短くなっていた頃が懐かしかった。終末へと向かっているのが確かとはいえ、それでも光はあったのだ。今はない。絶望だけだ。
空気中には灰が舞い、地面は塵に覆われている。埃に塗れた闇の世界に息詰まり、私はただ死んでいた。
そうした永遠の夜を彷徨っていると、遠くに赤い火が見えた。最初は幻だと思った。火が、光が、この世に存在するものか。
悲観的な思考とは裏腹に肉体はそちらへ向かって走っていた。たとえ幻覚であろうとも
その火が焚火であったと分かった時、心の底から後悔した。悪魔は地獄で光を見せると言う。望みを感じさせて縋り寄る人々をより闇深くの絶望へと落とす。
焚火の周りを幾つもの影が回り巡っていた。
あれは異教徒の野営地であったのだ。闇に閉ざされたこの世界で、この世界を
息を殺して立ち去ろうとした。彼らに関わってはならない。たとえ終末であってもだ。遥か過去から世界の破滅を願っていた。破壊は救済だ、死の先にこそ生がある、と。そして今や彼らの望みは叶っていた。死んだ世界に浸り込み、厳しい冬に顔を火照らせていた。
だが何ということだろうか。心はここから逃げ出したがっていると言うのに、体は、足は、意識とは逆に彼らの方へと歩み寄って行っていた。
ああ、私は、熱を求めていたのだろうか。太陽の昇らぬこの世界、永久の冬が続く世界で、体はすっかり冷え込んでいた。火の熱、人々の熱気、温まりたいと心の奥底で思ってしまっていたのだろうか。
意識は危険を告げていた。見ろ、見上げろ、燃え上がる炎の舌先を。太陽の御台である聖なる天を舐め回し、煤で穢しているではないか。それを彼らは祝っている。狂乱の態を晒しながら。
私は騒ぎ立てる彼らの内に踏み入った。しかし誰一人としてこちらを見向きもしない。私が来たことにも気が付いていないようだった。各々の狂気に身を任せ、正気を保っている者などいなかったからだ。
飛び交う叫び声を掻き分けて私は炎の目の前に来た。あともう五歩も踏み出せば炎に包まれるような距離。視界には満面の灼熱の色が揺らいでおり、両手を差し出せば赤い熱が感じられた。長い間ずっと寒風に奪われ続けていた体温が再び戻って来るようだった。
爆ぜる火の粉を浴びながら自分の顔が煤で黒くなって行くのを感じていた。頬を黒い涙が伝っていた。火の熱を感じ取り、人々の熱気に包まれていると私も叫び出したくなっていた。その衝動を必死で堪えた。
それを誤魔化すように私は改めて辺りを見渡した。衆徒の中に入り込み、間近に人々を眺めても、やはり彼らは狂っているように見えた。しかし都の住民からすれば今では私も異教徒の一員だ。彼らと変わらぬ扱いとなる。だから私は彼らに対してそうした目は使わないよう心掛けた。それでもやはり、彼らは正気を失っていた。
騒動に取り囲まれて、私の心情は逆に、しん、と静かになった。安穏とも言えるこんな気持は都を追放されてから初めてだった。
体も心も穏やかさを取り戻し、炎の傍からそろそろと離れた。
熱狂に酔い痴れる異教徒の乱痴気騒ぎの中を私は静かに歩いていた。いや、人心地がついたのも束の間、現実を思い出して再び憂鬱へと戻っていたと言った方が正しいだろう。彼らはこうして騒いでいるが、結局のところ世界は終わったままなのだ。
陰鬱な影を引き摺り人々の間を
眺め続けていたからだろう、彼は私に気が付いた。彼は私に向かって小さく頷いた。私はおずおずと彼へ歩み寄った。
先に口を開いたのは彼の方だった。
「新たに来た者か」
「ええ」
彼ら異教徒からすれば私こそが部外者であり、異端だ。そうと分かれば何をされるか分からない。それでも私は口籠りながらも正直に答えた。社会から外れた者達の集団となれば結束は固い、構成員の顔は全て覚えているだろう。嘘を吐いてもどうせ分かる。
そんな考えと共にした
「そうか」
の一言。それで話は終わってしまった。周囲の喧騒が遠くなって行くようだった。
私は彼に問い掛けた。
「
「世界の終焉を祝っている」
簡単な答えだった。私はそれを聞いて後悔した。やはり異教徒は異教徒だ。それでも私はなお聞いた。
「貴方もですか」
「そうだ」
一抹の期待も
「お前は」と、彼は私に問い掛けた。「ここで何をしている」
しばし迷い、それから言った。
「私は荒野を彷徨っていたのです。そして夜がやって来ました。二度と朝にはならない永久の夜です。世界が闇に閉ざさるのをこの目で見ました。私には何もないのです。希望も何もありません。世界は終わってしまったのです」
「追放された者か」
「ええ」
「都では今でも昼が来ているだろう。都の連中は今でも太陽の光を浴びている。これまでと変わらぬ恒久の夏を謳歌していることだろう」
「私も都から離れなければあの人々と同じく平穏な生活を送れていたのでしょうか」
「追放されていなければ。しかしお前はそうであっても自分からあそこを離れていただろう」
「そうなのでしょうか」
「運命だ」
私は都を篤く望郷しているというのに、そう言い切られては返す言葉がなかった。
「帰りたいと思っているのか」こちらの心を見透かしたように言った。「お前はあそこへは帰れないというのに。たとえどんなに望もうと。いや、お前はそれを望んでいない。帰れようとも帰るまいに」
一つ深い息をして、それから続けた。
「世界の終わりを嘆いているのか。世界の死を悲しんでいるのか。何故そんなことを思う。死こそがこの世に必要なものなのだ。死は災いではない。歓び迎えるものなのだ。
死んでこそ世界は新たになる。更なる世界を迎えるためにはこれまでの世界は死なねばならぬ。夜の先にこそ朝がある。死んでこそ次の生がある。世界は死に果て、その後に新たな世界が生まれるのだ。
お前は世界が終わって希望が潰えたなどと思っているが間違いだ。世界が終わらねば希望は叶わぬ。闇がなければ光は差さぬ。世界が闇に覆われてこそ初めて光は生まれるものだ。
もしもお前が都に住んだままでいたなら世界は終わらなかったに違いない。今でも光の下にいただろう。しかしそれでは先はない。世界は終わらぬ。終わった先には進めない。新たな世界は生まれない。
お前の世界は今や闇に覆われて何も見えない。何もない。しかし死んだからこそ再誕する。闇中に沈んだお前だからこそ光は差そう。死の世界を彷徨い惑うお前こそが新たな生を迎えるのだ。
追放された者よ、闇に閉ざされた者よ、汝は幸いである。世界が新たになるのだから」
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