BLUE TEARS
月丘翠
第1話 忘れかけてた遠い記憶
白いカーテンがひらひらと揺れる。
白い壁に白い天井。
私の大嫌いな消毒液の匂いが充満している。
目の前に座るメガネをかけた初老の男性は、なんだか困ったような悲しいような顔をして、首を横に振った。
私は静かに頷いて、部屋から出た。
会計を済ませて外に出ると、冷たい風が頬に触れた。
暖房で中は少し暑いくらいだったので、気持ちいい。
ゆっくり歩き出す。
一歩、一歩…。
自分の足で歩いているのに、なんだかふわふわとしている。
街の景色も見えている様で見えていない様な不思議な感覚だ。
空を見上げると、薄く淡い水色の空が広がっている。
あの時もこんな空をしていた。
「ひでちゃん」
この名前を言うのは15年ぶりくらいだろうか。
懐かしい響きは白い息に包まれて、消えていった。
□■□
「
母がもう何度となく繰り返した言葉でまた聞いてくる。
「うん、1人でゆっくり少し静養したいの」
何度なく繰り返した言葉で亜理沙は答えた。
「わかったわ…。一応電気とかガスとかつくようにはしといたから」
「ありがとう」
部屋の中は整理整頓されていて、物はだいぶ無くなった。
机の上に置いていた指輪をそっと左の薬指に付けると、玄関に向かった。
静かに部屋に頭を下げると、部屋を出た。
ここから祖母の家までは3時間ほどかかる。
かなり田舎で、最寄駅からもバスで40分もかかる。
最寄駅に着くと、思いっきり息を吸った。
東京の空気より澄んでいる気がする。
バスに乗り込むと、乗客は3人しかいない。
おじいちゃんとおばさんと亜理沙だけだ。
少ししてエンジンがかけられ、ゆっくりと走り出す。
走り出すと見えるのは、田んぼや川、そして奥に山が見える。
のどかな風景が広がっていて、学生時代に幾度となくみた風景だ。
何も変わらない。
“ねぇ、
“クッキー?”
“
“わかった。じゃああとで
“うん!楽しみー!”
藍が嬉しそうに笑顔でクッキーの作り方を調べている。
(そんなこと話してたっけな)
バスに揺られて、2人でよく話しながら帰っていた。
それからもう15年ほど経つ。
あの頃は若くて何をしても楽しかった。
33歳になった今、このバスも景色も変わらないのに、私は変わってしまった。
薬指の指輪に触れる。
“ひーくん、一緒に遊ぼ?”
懐かしい自分の声を思い出す。
幼い頃の記憶だ。
大切な大切な記憶で、とても悲しい記憶だ。
気づいたら寝てしまっていて、終点に着いていた。
バスから降りると、キャリーケースを引いて昔歩き慣れた道を歩く。
平家の小さな一軒家に着くと、亜理沙は門扉を開けて庭に入った。
祖母が亡くなってから、もう5年以上放置されている。
家の中はたまに近くの親戚が風を通してくれているらしいが、庭は荒れ放題だ。
雑草がたくさん生えて、うっそうとしている。
その中でもなぜか百合だけは元気に大きく育っている。
時間があれば綺麗にしようと思いながら、家の扉を開けた。
家の中は綺麗に整頓されていた。
心配していたトイレも問題なく使えそうだ。
懐かしい匂いがする。
キャリーケースを部屋の隅に置くと、窓を開けて風を通す。
電気もつくし、問題なく生活はできそうだ。
「疲れたな」
亜理沙は座布団を枕にして和室で横になった。
天井も懐かしい。
(あのシミ)
シミが人の顔に見えて、怖くて寝れないと騒いで祖母を困らせたことがあった。
祖母は大丈夫、大丈夫と言って、一緒に寝てくれた。
亜理沙は小学3年生で祖母の家に引っ越した。
喘息が酷くて、田舎の方がいいだろうということで祖母の家に行くことになったのだ。
そうは言っても、父や母には仕事があったし、何より弟も身体が弱く入退院を繰り返していたので、東京から離れるわけにはいかなかった。
そんなわけで亜理沙、1人で祖母の家に行くことになった。
最初は寂しかったが、祖母が優しくていつも一緒にいてくれたので、むしろ東京にいた頃よりも寂しさを感じることはなかった。
それに同じ年頃の友達が出来たことも大きかった。
本当に仲のいい5人組だった。
亜理沙は、押入れに入れたはずの懐かしい箱を探し始めた。
(確かここにあったはず…)
押入れから段ボールを出すと、埃が舞う。
「けほけほ…」
開けてみると、懐かしい思い出の品がたくさん入っている。
「これだ」
アルバムを取り出した。
カメラ屋さんでタダでもらった紙のアルバムだ。
少し黄ばんでいる。
ゆっくりと開くと、幼い日の5人の笑顔の写真が入っている。
(英人―)
笑うとチラリと見える八重歯。
今でも英人のことは忘れたことはなかったはずなのに、写真の中の英人と記憶の中の英人が少し違っていた。
“亜理沙、英人くんが…”
亜理沙が電車を降りると、祖母が涙目で立っていた。
“嘘だ!嘘だ‼︎”
うわぁあああと自分でも出したことのない叫び声をあげて、膝から崩れ落ちた。
英人は高校3年生の時に、病気で亡くなった。
ずっと一緒にいると思っていたから、本当に辛くて、その後逃げる様に大学で東京に出た。
蓋をしてきた記憶が溢れてくる。
震える手でアルバムを閉じた。
“ねー、君はどこから来たの?”
“私?とうきょうからだよ”
“すごい!とうきょうから来たんだね。お名前は?”
“まちだありさ”
“僕の名前は、すぎやひでと。よろしくね”
小さな手で握り合った。
(ここだ)
買い物ついでに英人と出会った公園に寄った。
ブランコに座ってみる。
あの時ブランコに乗っていたら、隣のブランコに英人が乗ってきて、話しかけられたのだ。
突然隣のブランコが揺れる。
ゆらゆらゆらと揺れ、錆びついているのかキーキーという音もする。
驚きで心臓がドキドキする。
「ねぇ、君はどこから来たの?」
はっきりと懐かしい声が聞こえる。
瞬きをしているうちにだんだん姿も見えてくる。
ニカっと笑う口からチラリと八重歯が見える。
「ひ、英人…?」
「おかえり、亜理沙」
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