切り花
柳 一葉
第一章 舞う
「一枚、二枚、三枚、とても綺麗ね」
太夫道中、今日も高下駄履いて練り歩く。
つま先を外側へ外側へと運び歩く。
外八文字描き歩く。
「あら、とても綺麗な花ね」
太夫であるお鈴が目に掛けた。
おれがお鈴様と出会ったのは確か秋風ひゅるりと吹いていた頃。
いつもの様に、実家の茶屋の手伝いをしていた。
夏の日照りから解放された秋雲。最近は朝夕が涼しくなったなと常連さんと話していた。
いつもと変わらぬ日々だ。そう思った矢先、こんな田舎町じゃ珍しい、紅葉が色付いていた模様の着物を召してた、とても艶やかな女性と、その御付の男性が店を訪れた。
「一寸、良いかしら?」
そう女性が尋ねた。
「ええ、何の御用だすか?」
おれは小走りで返事をした。
「お前さん此処辺りじゃ有名な芸者と聞いたわ」
「ああ、はい。近頃おれの和歌を聞きたいとお客さんは仰ります」
おれは温かいお茶を渡した。
「そうかい。和歌が得意なのかい。一遍聞いてみたいわ。あ、そうだお前さん名は何と申す?」
そう言い女性はお茶を含んでいた。
「おれはお菊と申します」
「お菊か。お前さん私と一緒に江戸へ参らぬか?」
おれは突然過ぎて困惑した。この様なお美しい方が何故ここ「秋田」まで来たのか。謎で仕方がない。
おれが江戸 おれが
「あの、何故おれがですか?」
「まあ当然の反応よ、お前さんがここの国で有名な事を知って、家の芸者がたくさん居る【吉原】へ来て欲しいんだ」
おれは更に驚いた。
「あの、お名前をお伺いしてもいいでべが?」
「ああ、すまぬ。まだ名乗っていなかったな。お鈴と言う。吉原で芸者をしている」
お鈴と言うこの女性に付いて行ってもいいのだろうか。
「返事はまた明日にでも伺うさ。それでは」
今すぐの返事ではない事に安堵したが。どうだか。
出したお茶がもう冷めていた。
そうしてお鈴様達を見届けた後は、いつも通りに店番をしていた。
夕になり店を片付ける。
「返事は明日」
おれは夕ご飯中を準備する。今日は魚の姿焼きだ。
俯いてて食べていると、主が
「どしたお菊よ」
訊かれた。だが、おれは
「なんでもねぇだ。今日もうんめぇ、うんめぇ」
おれは夕ご飯を食べ終えると風呂を沸かす事で気を紛らわした。
沸いて早速風呂に入る。お湯が溢れる程、肩までしっかりと潜る。
唇でお湯をぷくぷくして考えていた。
「この店を出て江戸か、想像もしていなかっただ」
やはり告げようかと思い、寝る前の少しの時間に昼間の事を伝えた。
おれを幼い頃から育ててくれた主に。そうしたら
「お前がここで人生を全うするには勿体ねぇべ。だからその方に、お鈴様に付いて行ってもええべ」
「おーぎね。おれをお菊と名付けてくれて、今までお世話してくれて感謝で胸がいっぱいだ。おーぎね」
「気を付けて行くでべし」
「今日という最後の夜を一緒に過ごしてくれて本当に……」
主の顔を見る。初めて見るその緩くなった頬に流れる雫。
胸が詰まる。おれにも伝わってくる。おーぎね。
それが主と過ごした最後の晩だった。
明くる朝早くおれは目覚めた。いつもの部屋。文机。お香。筆。
はあ、今日で此処とはおさらばなんだなと思い、持っていく荷物を整理していた。主が最初にくれた筆と和歌を綴った和紙も持っていく事にした。
「お菊よ、お鈴様が来てくれてるべ」
「んだが」
おれは、目一杯に今まで過ごしてきたこの家を焼き付けた。
「お菊や、おはよう。どうだ江戸へと行く気にはなれたか?」
「お鈴様。おはようございます。一つ聞いてほしい和歌があるので其方を聞いて、お鈴様が判断してはくれませんか?」
「ああ、良いぞ。私もお菊の和歌を一度は聞きたくてな」
「それでは」
両親は つうとなぞって 祖母に似る
行き上がれば 揺れる頭は
「あはは、お菊良いではないか。確かにお前さんは秋田の良き女子だ。気に入ったわ。共に江戸へ行こう」
「お鈴様ありがとうございます。おれは漸く決心致しました」
横に居た主も一緒に頭を下げ、感謝を述べる。
「お菊を、お菊をよろしく頼みます。この子は俺が今まで愛を込めて育てたたった一人の子。何処へ行くにも恥ずかしくない立派な子です。よろしく頼みます」
「また里帰りの時に会えるさ。また更に立派な子になったお菊がお前さんを待っている。礼は付き人の与吉に頼んである、受け取ってくれ」
「こちら少ないですが、店の足しにして下せぇ旦那」
「ああ、銭までも。とてもおーぎね」
主が泣いて喜んでいる。おれも感謝を込めて和歌集から一枚主に渡した。
「主。へばまんず」
「ああ、気を付けて行っでなお菊よ。お鈴様の元でも頑張るんだべ」
「はい!」
それが主とおれの最後だった。
「はあ、ここが江戸でございますか」
「そうよ。お菊は今日からここにある、吉原へと住むのよ」
おれとお鈴は蕎麦を食べながら話をしていた。
「おれなんか務まりますかね?」
「まあ、そんなに肩入れなくても私が、身振り手振り教えるから安心しなさい」
「おーぎね」
「あとは、その方言をまずは抜く事かしら」
おれは真っ赤に頬を染めた。田舎丸出しでとても恥ずかしく思えた。
「大丈夫よ、すぐに姉様たちと話してたらその言葉も段々と慣れてくわよ」
「お鈴様は何故おれを吉原に連れて行こうとしたのでせうか」
「ん〜そうね、吉原はただ客と寝るだけじゃなくて、芸事がとても重要なんだよ。今は和歌や香道といった芸を熟す芸者が居なくてな。他にも今探してはいるんだがな」
おれは昔から読み書きは出来たけど、香りの選別は分からないな。
まあ、でもお鈴様がおれを救ってくれた。
おーぎね……
あっ、おれはまだ半人前だ。
そうして蕎麦を食べ終え、吉原へと向かう。
それはもう夕の刻だ。
徐々に町は薄明かりになり、火が灯される。提灯や行灯が【吉原】という場所を照らす。
張見世をする遊女や。町を歩く新造と遊女。それに見惚れる男。
色んな人間が居た。おれもこの町に見惚れていた。
今夜から、おれもこの芸者の一員になるのかと思ったら、どこか秋田の茶屋が恋しくなった。
「お鈴様、おれ本当にここで働くんですよね?」
「ああ、そうだ。どうした此処へ来て怖くなったのか?」
「はい。少し怖気付いているのが本心です」
「まあ、最初の一週間は誰だって今までの生活が恋しくて、地元に帰りたいと思ってる女子はおる。大丈夫だ、お前には私が付いて居る」
そう言うとお鈴様はおれを抱きしめた。
「秋田まで行った甲斐がある働きをしてくれると、あちきは嬉しゅうござりんす」
おれは不意にドキリとした。
お鈴様貴女は何者なんだべ。
「お鈴様時間です」
「ああ、与吉分かっておる。今ゆく」
「それじゃまたなお菊よ」
そう言うとおれの元からお鈴様は去っていった。
暫くすると、道の真ん中で白粉に笹紅、真っ黒な艶のある結った髪がとても艶かしい女性が歩いていた。
「あっ、あれはお鈴──」
「おおお、あれが太夫か!」
太夫?
「あ、雪柳太夫ではないか」
周りがざわつき始めた。
皆がお鈴様を見ている。いや、雪柳太夫を。
お付の与吉が客が纏わり来ぬ様に見張っている。
外八文字で、太夫が八の字を描く様に歩く。
今までに見てきたお鈴様と違って、また別の美しさがそこにはあった。十七のおれでさえその違いが分かった。
おれには優しい眼差しをくれていたお鈴様は居なくて、この世界。【吉原の女】として何十年も生きて、生き抜いた迫力と美しさがあった。
おれは改めて決心をした。お鈴様がわざわざ秋田まで、おれを探してくれた理由も、この世界で生きていく理由も、貴女様を見て気付かされました。
あれから数日お鈴様直伝で芸を学んでいる。
「やはりお菊は文が上手いの」
「ありがとうございます」
「他の芸は必死でしがみついている様だが、まだまだだな」
「はい、わっちはまだ頑張れます、いや、もっと励みます」
「おお、威勢の良い。それではまた昼を食べてから顔を見せな」
「ふぅ」
わっちは一休みする。ここ吉原へ来て五日程経つがまだ、慣れない事ばかりだ。
徐々に訛りは抜けてはきたが、
昼間幼い
「あの、初めまして。おれ、いやわっちはお菊と申しんす。主さん様のお名前伺っても宜しいでありんしょうか?」
「ふふ、初心な子。わっちはお百合と申しんす。お菊、わっちとそこまで歳は変わらぬだろう」
「はい、わっちは十七でありんす」
「わっちは十八でありんす。もしかして、雪柳太夫からの誘いにのった芸者はお前かい?」
「そうでありんす。お百合様も太夫からでありんすか?」
「そうよ、わっちの元に来てくださって、わっちを買っていったわ」
「買った?」
「そうよ。お前も売られたのではありんせんか」
まて、おれは売られてここへやって来たのか?
「ほら付き人の、誰でありんしたかしら。男の人が銭を渡さぬかったか?」
ああ、そうか……
「あらっ、お菊とお百合よ。禿達には内緒だよ」
お鈴様はわっちとお百合様に「水飴」をくれた。
「こうやって箸と箸を混ぜ合わせたり、伸ばしたりすると段々色が変わっていって、更に美味しくなるんだ。二人で分け合って食べな」
「お鈴様ありがとうござりんす」とお百合は云った。
わっちは目の前に居るお鈴様が怖かった。
昼を過ぎて水飴も食べ終えると、朝からしていた芸事の続きをした。
わっちは必死に食らいついた。ただ、ただそうした。お茶や歌舞もずっと習った。歌舞はお百合様が得意だったから、お鈴様との練習時間以外でも付き合って下さった。
お百合様は
「あまり練習し過ぎるのも良うないわよ」
と、優しい言葉で諭してくれた。
数週間後お鈴様が
「お菊の芸を見てみたい。と仰るお客さんが居たわ。明日の夕刻にお見えになるわ」
「わっちの芸を?」
わっちはこれまでしてきた事が、実を結んでくれた事に感動した。
夜になっても中々眠れず、いつの間に虎の刻だ。グズグズしていつの間にか朝を迎えた。
朝からお昼は遊女たちが帰り客の支度をするから、今のうちにわっちは、今日会いに来てくれる方を思い、文を試しに書いている。
お昼ご飯を食べ、お鈴様に身なりを丁寧に整えて貰った。
いよいよ、わっち初めての芸をお客さんの前で披露する。
「今日はお菊の晴れ舞台となってやす。おしげりなんし。それでは」
「初めまして、わっちはお菊と申しんす。よろしゅうお願い致しんす」
わっちは緊張で口がまめらない。正座し、お辞儀している今も、どう顔を上げて笑えば良いのかも分からない。そこに男が一声発した。
「お菊や、今日俺が会いに来た理由は、お前の和歌が聞きたくて堪らなかった。あの太夫が秋田まで行った理由が知りたくてだな」
「まあ、そうでありんしたのでありんすか?」
「文吉だ。これからよろしく頼む」
「文吉様でありんすね。では、今からわっちは和歌を詠みんすね」
「ああ、どれだけ時間を掛けても良いからな」
追いかけて あちきも入れて 相合傘
一人の少女が 異国の言葉
「おおお、お菊。お前さんは凄いな。一分足らずで作り上げておいて、この感動実に素晴らしい」
「文吉様。わっちも嬉しゅうござりんす」
わっちは照れた。だが、お鈴様が褒めてくれた時より何故だか虚しい。これが此処で生きてゆく事なのか?これからもそうなんか?
文吉様がわっちを抱きしめた。
「俺はお菊が気に入った。此処から抜け出して俺と暮らさないか?」
わっちはすぐにでも此処から逃げ出したかったが、秋田から出てきて漸く一ヶ月となるがこんな事で、お鈴様から教わった事を蔑ろにしても良いのか。
いや、だめた。
文吉様、いつの日か一緒に暮らしましょう。
わっちは
「小指を捧げた」
約束でありんす
文吉様を見届けた後、わっちはすぐにお鈴様に呼ばれた。嗚呼、叱られて当然だ。と思いお鈴様の元へ向かう。
「お菊や」
「はい、何でありんしょうか」
「お前さん情は余り貸すでは無いぞ。いずれはお前さん自身が危うくなるぞ」
「今回の話は申し訳ございません」
「いや、あちきはそこまで怒ってはおらぬから安心しな、それと話はその件じゃないんだ」
「何でありんしょうか。もしかしてわっちは、秋田へと出戻りでござりんすか?」
「いや、違う。あちきと一緒に城へ着いて来て欲しいんだ」
「城でありんすか」
「ああ、そうだ。まあその姫様が太夫である、あちきの連れの芸事が見たいと言っておいてだな」
「わっちは構いませんが、何方でありんすか?」
「ここから少し離れた【
「なんと有難い事で。でありんすが、芸事と言っても和歌でも良いのでありんしょうか?」
「良い。あちきの連れなら芸事は何でも良いと言っておる」
「分かりました。では、お供致します」
「よろしく頼むぞ。お菊よ」
おれが主から聞いた昔話
河の下から赤ん坊の声が聞こえたと、主が当時三十代半ばの頃だった。おれが風呂敷で丸め込まれてたらしくて、主がおれを抱きかかえて家に居た、今は亡き奥さんと育ててくれた。
田舎だったおれの家だったが、文字も言葉も沢山教えて奥さんが教えてくれた。
だから、おれは主いや、両親に感謝している。特におれが得意とする和歌を、お鈴様に気に入られて今此処にいる。おーぎね。
明くる朝おれはここを離れ城へ行く。
いよいよ親孝行が出来る。今から楽しみで仕方がない。
このたびは 幣もとりあへず 手向山
もみぢの綿 神のまにまに
このおれの一番好きな和歌だ
明け方早く起きてわっちは準備をする。
やっと慣れた帯の結び方、お鈴様に髪飾りに「菊の花」を付けて頂いた。黄色や白と色付いていてとても綺麗だ。
「よし、お菊。共に行こうか。さぁ与吉も行くぞ」
「へぃお鈴様」
「はい」
二人大きな返事をした。
「道は慣れているから与吉は、お菊の足場を見ていておくれ」
「へぃ」
三十分は歩いたか。どんどん林から森にそして、山へと土地が変わっていった。
「あっ」
「お菊どうしたか?」
「すみんせん。鼻緒が切れちまいましんした」
「与吉膝を貸して結んでおくれ」
「へぃお任せ下せぇ」
ものの数分で直った。
与吉さんは何でも出来て本当に凄いなと。流石太夫の付き人だ。
「与吉さんありがとうござりんす」
「いやぁ〜これしきの事任せて下せぇ」
「さぁ、ゆくぞ。後もう少しだ頑張れ」
「お鈴様ありがとうござりんす」
「お菊や、もう指は痛くはないか?」
「ああ、これでありんすか。はい、あれからは痛うのうござりんす。心配かけて申し訳ありんせん」
「余り無理をするでは無いぞ。お前さんはこれからだからな」
「はい……」
お鈴様からの期待に応えねばいけないな
そうこう数十歩足を交じあわせたら
「さあ着いたぞ」
それは今までに見た事の無い
わびさびを感じる城だった。何処か立派だが山にあるからか苔も生えていた。
戸をお鈴様が三回叩く。そうしたら家来の方が来て何か話し合っている。
「よし、お菊ゆくぞ。もう少しで姫様に会えるぞ」
「はい、わっちも楽しみでありんす」
そう切替える事も容易くなった。
城の中へ入ると、初めて武家屋敷に入った身としては、色々と物珍しくて見ていたら、お鈴様からの視線が痛くて戻った。
山奥だからか、余り日が入り込まないなと思った。
二階へ上がると、お鈴様が襖を開けた。
そこにはポツンと一人の姫様が居た。
わっちと同い年?それとも下の姫様なのか?
足元に手毬が落ちてあった。
「こやつがお菊か?なぁお鈴よ」
「はい、今あちきが……」
「これ
「失礼致しました。この娘が今私の下で働いているお菊と申します」
「ほぉ、かわいい顔をしておるな。あ、この娘小指が無いではないか。あはは、想い人でも居るのか。まあ更にかわいいな」
わっちはずっと眼を見開いていた。何か恐怖心が傍たっていてわっちは……
「お菊私はお前みたいな娘が大好きじゃぞ」
「それでは、私はお席を外します」
わっちは、わっちはずっと怖い怖いまま、一瞬で今から何が始まるかが分かった。
待ってあの足元にある手毬は
待って。待って。
「待って下さいお鈴様、お鈴様!襖を開けて下さい!お鈴様」
屋敷中に金切り声が響き渡った。
【指切りげんまん 嘘吐いたら
針千本飲ます 指切った】
切り花 柳 一葉 @YanagiKazuha
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