あの子の為に
古い記憶の中で、故郷に火の手が上がっていた。
それは木から木へと燃え移り、動植物は悲鳴を上げ、雲のような白煙を上げる。
その一帯では未曽有の山火事であった。所以の分からぬ不審火を、後に人間達の間で『八尾九山大火災』と語られることになる。
『こっちもあかん! もう火は消せん!』
『せやったら女子供を逃がせ! 何時まで耐えられるか分からん!!』
『くそっ、化け狸共め!! 幽斎様が亡くなった途端に攻めてきやがって!!』
が、それは元を辿れば狐と狸の抗争によるものだった。抑止力を無くした妖狐の土地を奪わんと、化け狸が均衡を破ってきたのだ。
数は圧倒的に不利。負け戦であることが約束されていて、故郷が火の手に包まれる様を、幼いマコトはどうすることも出来なかった。
『マコト! 逃げて!!』
普段はおっとりしている母も、その時ばかりは必死に叫んでた。
『ミコトを連れて出来るだけ遠くに!!』
何が起こっているのか分からず、涙目で不安そうにしているミコトを押し付けながらだ。
この日のことを夢に見る度に、今でもマコトは後悔に押し潰されそうになる。
どうして自分も残らなかったのか? 普段はあれだけ減らず口を叩けていたのに、どうして一緒に戦わなかったのかと。
『……約束する』
しかし何を思ったところで過去は変わらない。
震えた手で小さなミコトを抱え、幼いマコトは言った。
『うちが……うちがいつか必ず取り戻したる……! 必ず迎えに行くさかい……!!』
そうして仲間達を置き去りにして、山を下る彼女に雨が降り注ぐ。
おびただしい火の手の消すほどの勢いはない。ただポツポツと頬を叩く水滴が、逃げ出した自分を責め立てているかのように思える。
『絶対に、絶対に取り戻したるから……! どんなことをしてでも……なにをしたって……!!』
何時しかそれは涙と混じって、前も分からなくなる。
道中で何度も転んで、何度も擦りむいて。それでも口惜しさを振り切らんと、マコトは足を止めることなく下山を果たした。
『はっ……なんやねん……』
そうして上がった息で空を見上げると、皮肉にも雲の隙間に星が瞬いていた。
降り立った途端に止んだ雨は祝福か、或いは呪言か。いずれにしても見慣れぬ人里は異世界のようで、火事に群がる人間達の声は暴力的で、マコトの膝はあまりの心細さにペタンと崩れ落ちてしまった。
***
「突然で申し訳ありませんけど、堪忍してください」
あの日以降、マコトはパートに行くことを止めた。
電話一本の一方的なものだった。今は一分一秒でも惜しく、それに直接顔を出してしまえば、なんだかんだで引き留められるような気がしたから。
「こんなこと言う義理やないですけど、みんな御達者で」
実際に店長は酷く狼狽えていて、電話口の向こうからはどよめきが聞こえた。
――考え直してくれ。待遇なら可能な限り応じる。
――悩みとか、困ったことでもあった? どうかまずは話だけでも。
と、矢継ぎ早に告げられた発言は怒りよりも気遣いだった。
そんな濁流から逃れるように、マコトは携帯を電源ごと落とす。
「……おねえ?」
次は部屋にいるミコトだ。何事かと言わんばかりに眉を潜めている。
「仕事を辞めた。今のところは給料が安いからのう」
マコトは淀みなく返事をする。どうせ妖狐の耳では聞かれており、ここで下手に嘘を吐くのは得策ではない。
「せやからもっと稼ぎの良い場所を探しに行く。橋宿周辺あたりやったら、ここよか時給もええやろうからな」
「そ、そっか。まぁ……初めてのことやないし、せやったら荷づくりを」
これまでもマコトの仕事が駄目になって、住む場所ごと変えたことは何度もあった。
故にミコトは不満を述べず、引っ越しの準備に立ち上がろうとするも、
「いや、とりあえず住居は変えん。ここにおっとけ」
マコトはその肩を掴んで、座り直させる。
「うちだけで今から探しにいく」
「え、でも」
「先立つもんもないのに、あんな高いとこ住めるかい。今から一週間ほど留守にして、どうにか仕事を見つけるさかい、その間お前はここで大人しゅうしといてくれ」
「は? いやいやいや!」
「今月の家賃はもう払っとるし、買い溜めも済ませとる。一週間後には必ず帰るから――」
「ちょっと! ちょっと待ってよおねえ!? そないなことして、おねえは何処で寝泊まりするつもりなん!? ご飯は!? お風呂は!? ただでさえ生活力皆無やのに、うちがおらんかったら――」
「言い方を変えるわ。お前がおったら邪魔や」
「っ!?」
なんて、遮ったマコトの胸がチクりと痛む。
妹にこんな顔をさせたいわけではない。が、これも必要なことだと自分に言い聞かせる。
「丸一日中探すつもりなんや。その間もずっとバレたらあかんし、尚更お前を連れ回すわけにはいかん」
「…………」
「ええ加減、もう少し生活レベルっちゅーもんを上げたいんや。一応はあの男の前では、ええとこのお嬢さんを装っとるんやし、それに相応しいくらいのな」
それに雪人のことを出せば、きっと口を噤むだろうと思っていた。
実際にその通りであり、ミコトの瞳は不安に揺れながらも、それ以上の異を唱えようとはしなかった。
「せやからちょっと行って来る。戸締りはちゃんとしけとよ?」
マコトは後ろ手に別れを告げ、アパートを離れる。
それから一旦は駅に向かうフリを見せながら、ちょこちょこ振り返りつつ、見送るミコトの視線がなくなるのを待つ。
やがてパタンと、部屋の扉が閉じられたのを見れば百八十度旋回。ダダっと山に向かって小走りで駆け出していく。
田んぼを超え、川を越え、麓を突っ切り。山の一合目、二合目、三合目まで行けば、もう人の気配は微塵も感じない。
ここまで来ればもう大丈夫。
マコトはふーっと汗を拭って、背負っていたリュックサックを降ろした。
「さ――始めよか」
その中に入っているのは、履歴書でもなければ証明写真でもない。線香にマッチに粉末と、数珠に袈裟にお札と、今から葬式にでも赴かんばかりの道具である。
が、それもある意味では間違いではないのだろう。
マコトはこれより一週間――山に籠って『死降』の修行を始めるのだから。
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