決心と絶縁


「おねえ」


 その夜。駅で雪人と解散し、自宅で夕食を済ませてた後のことだ。

 湯飲み片手に向き合ったミコトが切り出す。


「もう雪人さんを騙すの……やめにせえへん?」


「は?」


 と、マコトが相当な間抜け面を晒した。


「うちはどんな手段を使っても、おねえが満足やったら、それでええって思ってたけど」


 一方でミコトは、顔一杯に後ろめたさを浮かべながら続ける。


「でもやっぱ、ちゃうと思うねん。あんな人を騙すやなんて……そんなんおねえらしくないわ」


 それを黙って聞いていられるマコトではなかった。


「おうミコト。絆されたか?」


「絆されとらんわ。前から思うてたことや」


「それを絆されとるっちゅーんや。あの男に何を言われたんか分からんけど、所詮は人間の戯言やて」


「それ、おねえの本音?」


「…………」


 ミコトはジトっと目を細めて、マコトを睨みつける。

 マコトはほんの少しだけ迷って、いやいやと横に振って、努めて冷静に切り返す。


「昔から爺ちゃんが言ってたやろ? 妖狐は誇り高くあれってな。覚えとらんか?」


 物心ついて間もなかったミコトにとって、祖父の記憶は乏しいものだ。それでもコクリと頷き返す様を見て、マコトは話を続ける。


「せやったら分かるやろ? 妖狐っちゅーもんは人を騙すもんや。妲己様玉藻様と、昔からずっと続いてて、言うなればサガみたいなもんや。そこんところは今の時代になっても変わっとらん」


「…………」


「後ろめたく思うことなんて、なんもないんや? なんなら今かてそうやろ? こうやって人のフリして周りを騙し続けとる。人間の役人を騙して、人間の経営者を騙して、うちは今の生活を確保しとるんや」


 故に騙すという行為そのものに対して、マコトは何の罪悪感も抱いていない。

 それは人里に下りる前からずっとだ。そう言う意味で言えば、彼女は妖狐としての本能に従っているとさえ呼べる。


「……せやかて」


 が、ミコトに言い返される。


「今回のは違うやん。ホンマにおねえは、それでええの?」


 真っ直ぐに合った視線は、何処か縋るようにさえ感じられた。


「――っ」


 途端、マコトに得体の知れない感情が湧き上がる。ヘドロのように濁ったソレは瞬く間に胸を満たし、酷い息苦しさを感じさせる。

 良いか悪いかで言えば良いに決まってる。ミコトの問い掛けに頷いてしまえばいいのに、どうしてそうすることが出来ないのか?


 ――本当は自分でも分かってるクセに。


 ふと、そんな自分を嘲る心の声。

 かっと頭に血が昇り、目の前が赤く染まっていく。


「ええもクソもあるかい」


 そしてマコトは吐き捨てた。


「うちはアイツを騙して山を掠め取る! それは決定事項や!! 誰になんと言われようとな!!」


「お、おねえ!! ちょっと何処に!?」


「何処でもええやろ!! あぁ胸糞悪い!!」


 一度口火を切った後は、淀みの全てを吐き出すつもりで捲し立てる。

 バタンと乱暴に玄関を閉じて、早足で向かう先は近所の酒屋。きついボトルを買って、一人でラッパ飲みでもしてやろうと思った。


「なんやねん! うちがどんだけお前のことを想ってやっとると!?」


 内心に湧き上がるのは不平不満。激情に身を任せて、ぷりぷりとしている。


「余計なお世話やっちゅーねん! んなことしとる暇があったら、お前がもうちょい変化をしっかりさせろや!!」


 青岳町の夜道は暗く、その分だけ夜目をギラギラと光らせる。

 元々の細い瞳孔も相まって、すれ違う人が自然と道を開けてしまう威圧感だ。


「うちがどんだけ……どんだけ……」


 が、そうは思っていても姉妹。そうは思っていても姉であり、目に入れても痛くない可愛い妹のことである。

 ズカズカとコンクリートを鳴らしていた足音は、いつしかスタスタと。ぷりぷりといわしていた肩も、やがてシュンと下がってしまう。

 そうするとヤケ酒という気持ちにもなれず、かといって家にトンボ帰りするのも恰好が付かない。


「……あっ」


 そんな時に渡りに船だと思った。何気なく探ったポケットの中から、湿ったハンカチが出てきたのだ。

 紺色の落ち着いたデザインはマコトの趣味ではない。雪人が映画館でミコトに渡したものを、そのまま持ち帰ってしまっていた。


「終電はまだ……うん。ちょっと雑談しても余裕があるわな」


 マコトは駅から電車に飛び乗って、白透町へと向う。

 正直布切れ一枚なんてどうでもよく、返すにしても洗ってからにすべきであったが、妹と顔を合わせる気まずさがそこに勝る。


「あ? なんやねん」


 ところが辿り着いた雪人の自宅は暗く、インターフォンを鳴らしても応答しなかった。

 よもやよもやの留守であったが、それは珍しいことではない。『じえいぎょう』とやらを営んでいる彼は、平日でもまったく働かない日があったかと思えば、何日か留守にすることも珍しくなかった。


「ちっ……無駄足かい。せっかくうちが返しに来てやったのに」


と、マコトは拗ねたように地面を蹴飛ばす。恩着せがましいことには目を向けず、理不尽に心の中で罵る。


 ――アホ、ボケ、仏頂面、唐変木、朴念仁。人の気ぃも知らんと、何処をほっつき歩いとんねや。知らんところで、なんか変な事件にでも巻き込まれたらどうするつもりや? まぁうちが隣におるんやったらどうにでもなるけどな。猛虎にでも化けて、チンピラを追い返すことなんざ造作もあらへんけど。せやかてそれはうちが隣におる時に限った話で……いや待て。なんでうちはアイツを助けること前提で考えとんねん。いやいや。いやいやいやいや、あんな奴どうでもええから。チンピラに金を強請られようが、狸に身包み剥がされようが、大蛇に丸呑みされようが……いや、丸呑みは流石にかわいそうやな。せめてそれくらいは助けたろ。まったく人間は世話が焼けるわ。昔っからそうや。登山だか山菜集めだか知らんけど、うちらの山に入って、そのたんびに遭難しくさって。うちがおらんかったら今頃白骨死体やで? うちの慈悲深い心に精々感謝するこったな……って、なに? あれ? なんかまた自然と助ける感じになっとらん? いやいやいやいや!


などなど――マコトは一人で考えては、一人で突っ込みを繰り返す。

 最近よくあるスパイラルだ。思考の渦に陥ったマコトはあぁでもないこうでもないと、檻に閉じ込められたライオンのようになる。


『…………ぇ』


 が,不意に建物の中から物音が聞こえた。

 そこにマコトは頭頂部から飛び出した狐耳をぴくんと動かす。

 なんやおるんやないかと、もう一度インターフォンに手を伸ばそうとして、


「――雪人さん」


 今度は正確に捉えた音に、その手が止まった。

 女の声だった。それも甘く、媚びるような。


「っ!?」


 すかさずマコトは敷地の塀を乗り越える。出来るだけ足音を殺し、息を潜め、慎重に壁をよじ登る。

 山で育ったこともあって、高所への上り下りはお手のものだ。そうして音の出所であった二階の窓の縁に、懸垂の要領で掴んでは、中を覗きこんで見ると――


「どうしたの? ほら」


 雪人が女といた。

 普段使われていない居室だ。電気も付けぬまま、互いに向かい合っている。


「ありがとうございます。こちらはお礼ですので、少なければ遠慮なく――」


 雪人は女から何かを受け取り、代わりに封筒を差し出そうとする。


「もう、そんなのいいってば。雪人さんとの仲なんだし」


「ですがこちらを分けて頂いてるお陰で、最近はずっと安定しています。今こうして、体力が人並み程度に戻ったのは間違いなく」


「それは雪人さん自身が頑張ったおかげ。これはただのサプリメントなんだから、そこまで大袈裟に考えなくてもいいよ」


「しかし」


 一体何の会話をしているのか、マコトには理解出来ない。

 ただ分かっているのは、雪人が手にしているものは見慣れたプラスチックボトルであり、頑なに女が受け取ろうとしない封筒の中には、そのお礼が入っているであろうということのみ。


「何時も言ってるよね? あーしが雪人さんに求めるものは三つだけだって」


 やがて女は三本の指を立て、雪人に向ける。


「一つは一日に三回、食後に必ず飲むこと。一回でも抜いちゃうと効果が良くない方にって可能性があるから、それだけは忘れないで」


 雪人が頷き、女が指を一本たたむ。


「二つはあーしが用意してるってことは秘密。一応管理士とかアドバイザーは持ってるけど、趣味で勝手に作ってるものだから。めんどーなトラブルとかにならないように、ね?」


 雪人が頷き、女が指をもう一本たたむ。


「でー、あと一つはぁ?」


 そして女は甘えたような声を出しながら、その身体を雪人に近づけ、最後の人差し指を自らの頬につける。


「ね、雪人さん。あーしとのこと、そろそろ真剣に考えてくれたぁ?」


 そこでマコトはぎょっと悲鳴を上げそうになった。

 佐渡コトネだ。窓から入った月明りが彼女の顔を照らしていた。


 ――どうしてあの女が雪人の家に? さっきまでのやり取りは何? 

 ――どうしてそんなにも距離が近い? 何でそれをうちに黙ってた? 

 ――どうして、どうして、どうして、どうして?


 と、マコトは酷く混乱する。

 そんな中でも目の前の光景はフリーズせず、やがてコトネの両腕が雪人の身体に巻き付いて、


 ――くすっ。


 と、笑われたような気がした。

 まるでマコトが覗いていることを知っていて、勝利を知らしめるかのように、雪人の胸の中からニンマリと。


「っ……!!」


 すかさずマコトはその場から逃げ出した。

 理由の分からぬ恐怖と、失望と、焦りに苛まれるがままに。ぞわぞわと指先から這い上がって来るような悪心を振り切るように。


「はぁっ……! はぁっ……!」


 やがて気づけば知らぬ道。何処をどう走ったかなど覚えていない。

 ぜぇぜぇと荒い息を吐いて、ぽたぽたと流れる汗を拭って、マコトはうつろな瞳で空を見上げる。


「あぁ――」


 そして理解する。

 奪うつもりが、またしても奪われそうになっていることに、自分は酷く恐れているのだと。


 そして思う。

 人間と妖狐は違う生き物で、交わる点などない。

 あらゆる故事がそうであったように、無知な人間が掠め取られるか、悪辣な妖狐が懲らしめられるか、どちらかが不幸になる形で物語は終わりを迎える。


「頃合いや。もう時間はない」


 故にマコトは迷いを振り切り、今度こそ決断する。

 兼ねてより練っていた嫁入り計画の最終段階。それを実行に移す時が来たのだと。

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