海に沈むジグラート21

七海ポルカ

第1話



 時折、そんな風になれればと思っていたのだ。

 お互い多忙で、時間もすれ違うから、考えてるよりもずっと、その寝室を共に使うことはないと思ってた。

 それなのに、最近ずっとネーリは神聖ローマ帝国軍の駐屯地で絵を描いているから、仕事の時間が安定しないフェルディナントがいつ戻っても、ネーリが寝室で絵を描いていた。

 フェルディナントが戻ると彼は長く忘れていたような時間を思い出すようで、「おかえり」と微笑んでくれる。待っていてくれるなんて大層なことじゃない。ただ丁度いい区切りとしてフェルディナントの帰りを時計代わりにしてるらしく、それじゃあ僕も寝る、となるのだ。

 ほんの三十分ほど、今日あったことなどをグラス一杯だけ傾けながら、話して、手を伸ばせば届きそうな距離にあるベッドに入って眠る。

 そういえばこのベッドは最初、もう少し離れてた気がする。

 寝室が広いので、俺はここで寝るだけだし、画材を入れていいよと許可すると、ネーリは喜んで棚に画材を運び込んだ。その時手伝っている騎士たちに、何度かもう少し近づけてと頼んで動かしてもらってるようだ。

 一番最初に寝室にもう一つベッドを入れてくれと頼んだのはフェルディナントだから、今更気恥ずかしいも何も無いのだけど。

(別にいいか)

 俺がネーリのことが好きだなんてことは、あいつらにはとっくにバレてる。

 フェルディナントは抵抗をやめた。

 騎士はむやみやたらに寝室に人を入れないものだとか、駐屯地で睦み合うのは自分の美学に反するとか、結婚もしていない相手に気安く触りに行ってはいけないだとか、理想に掲げるものはあったけど、そんなものを守ってネーリを失ったり失望させたり悲しませたら、自分は馬鹿だと思うようになったからだ。

 抵抗をやめてみると、存外この環境が楽なもので、最初は自分の隣でネーリが寝てると思ったら寝てもいられないほど胸がざわざわしたのに、今は同じ部屋で彼が眠っていてくれると、心から安心する自分がいた。

 まだ街の治安が悪かったころ、今頃教会で寝ている彼は大丈夫だろうか、など心配していた時の方が苦しかった。今はネーリが無事で笑っていることを、駐屯地に戻れば実感できるから嬉しかった。

 いつも通り一日の主立った話をして、寝る支度を整え、ベッドに入る。

 ネーリはいつも、横向きにこちら側を向いて寝に入る。

 寝に入るまで、いつもこっちを見てにこにこ嬉しそうに見ているから、最初は落ち着かなかったけど。

 今日も毛布に潜り込んでから、横向きにそちらを見ると、ネーリもこちらを見ていて、視線が合うと、優しく微笑んでくれた。

 新しい守備隊を編成する為に、解散する警邏隊から使える人材は引き続き使おうと、希望者と話している最中だ。仮面の男が警邏隊に執着しているので、トロイと共にかなり慎重に身体検査は行っている。その為人間を見極めようと神経を使っているから、非常に疲れる。ただ戦っていればいい戦場とはここは色の違う戦場だから厄介だ。

 飛行訓練は開始されたが、例の【有翼旅団】という賊の行方は今だ掴めていない。

 すでにかなりの広範囲を捜索しているのだが、気配すらないのも気掛かりである。

 悩みは尽きない。

 ……でも一日の終わりにネーリが優しい愛情が灯った瞳で微笑んで自分を見てくれると、安心する。自分が決して間違ったことをしていない、このまま努力を続ければいいのだと、そう信じれる気がした。

 微笑み交わしただけで、安心して目を閉じ、そのまま眠ることもあるけど、何かさっき話さなかったことを、少しだけ話すこともある。

「フレディ」

 今日は、ネーリは話したかったようだ。

「ん?」

「……あのね、お願いがあるんだけどね。……でも嫌だったら言ってね」

 ネーリは、自分の奔放な生き方がフェルディナントと大きく違う自覚はあるようで、それに触れた時、一番最初にフェルディナントには大きな戸惑いが生まれるのだということを理解したようだった。だから彼は最近こうして「嫌だったら断わってくれていいから」と言うようになった。これを言わないと、フェルディナントがどうにか頑張って努力しようとしてしまうから、そんな深刻なことではないのだと、伝えようとしているらしい。

 だがフェルディナントからすればネーリの願いを「嫌だ」なんて思うはずがないから、そんなことは言わないでいいのにと思う。

「……なんだ?」

 いつものようにそんな風に付け足したネーリに目を向け、小さく笑い、優しく聞き返してやる。

「このベッド、もうちょっとフレディの方に近づけてもいい?」

 フェルディナントは目を瞬かせる。

 怒られないからと思ってネーリは今まで何も言わず近づけていたので、何で今更そんなことを聞くのだろうと思ったのだ。

「……いいけど、今だってかなり近くないか?」

「近いけど……こうやって手を伸ばしても、まだ手を繋げないもん」

 一瞬言われた意味を想像して、フェルディナントは赤面する。

「お、お前はまた……」

 なんでそんな可愛いことを言うんだよ。

 それじゃまるで、寝ながら俺と手を繋ぎたい、みたいに聞こえるじゃないか。

 今まで誰かと寝たって、手を繋いでやったことなんか一度もない。

 嫌というか俺の自制心が無理だと断わりたかったが、ふと、何故そんなことをネーリがしたがったのかの方が気になって来る。

「……寂しいのか?」

「そういうんじゃ……無いと思うけど」

 ネーリはいつも否定するが、フェルディナントは彼が人懐っこいことを知っているので、時折彼が自分の境遇を、寂しがってるように思えることがある。ただ確かに、寂しいから猛烈にそれをどうにかしたい、という気持ちは彼の中には見えない。幼いころから孤独を飼い慣らして来たのは事実なんだと思う。孤独の全てが寂しいわけではないと知っているネーリは、この辺りには繊細な感情を見せた。

 ヴェネトを海上から見つめた時、彼を涙させたのは、ここを離れなければいけないという寂しさだっただろうし、独りでヴェネトを巡り絵を描き溜めていた、あの頃のスケッチには所々に、孤独の影を感じた。

「さびしいんじゃなくて……どんな感じなのかな、してみたい。寝る時に誰かが側にいて、望む時に手が届く距離にいて、望んだ時に手を繋げたら……それはどんなに幸せなことなのかな?」

 小さく息を飲む。

 それを望むことが、寂しさを感じることと、同義じゃないのかとフェルディナントは思ったが、口には出さなかった。

「……フレディはそういう時、誰かと手を繋いだことはある?」

「いや……」

 ネーリがそうしたいならいいのだ。俺も願いを叶えてやりたい、と思ってフェルディナントは頷く。

「いいよ。俺も……知らないし。それなら、やってみよう」

 ネーリがすぐ側だけど、触れられない距離で安堵したみたいな顔で笑った。

 柔らかい頬に触れたくなって、ぐっ、とフェルディナントは手を握り締めて誤魔化す。

「手の届くくらいの距離だな? ……部下に動かすよう、言っておく……」

「僕がお願いしておくよー 僕がしたいって言った方が、また竜騎兵の人達が『えっ⁉』って驚かなくて済むし」

 くすくすとネーリが笑う。彼はあまり、本国や今までのフェルディナントがどう過ごして来たかをまだ知らないけど、要するに、部下と言えども恋愛のことや、彼個人のことは話したがらないところがあるようだ。

 補佐官のトロイ・クエンティンとは信頼し合ってるけれど、彼も「団長の恋愛事情にはあまり詳しくならないようにしています」と言っていた。

 よく分からないが、軍人の上官と部下は、規律を重んじるから、あまり個人的なことには口を出さないそうだ。

 だからこれまでも竜騎兵団の騎士たちは、フェルディナントとネーリの恋愛めいた面をうっかり目撃してしまうと、非常に驚いたり狼狽した顔を見せることが何回もあった。

 し、失礼いたしました! と逃げていくようにいつもするから、相当フェルディナントの恋愛面を見慣れていないし、彼自身も許して来なかったのだろう。

 その証拠にネーリが寝室を共にするようになったことには、驚きはするが、ベッドの位置を動かしてほしいとか、一緒にごはんが食べたいからいつ戻って来るか知りたいとか、ネーリが騎士たちにそういうことをお願いした時は、驚くような顔はするが、彼らはどちらかというと微笑ましそうに「いいですよ」と応えてくれるので、フェルディナントのそういう面を偶発的に見てしまうのと、ネーリが自分たちの上官を慕ってくれていると感じることは、全く彼らが受ける印象が違うようなのだ。後者はむしろ、歓迎してくれているのが分かる。

 そんな背景があったので、ネーリはそう言ったが、フェルディナントは身じろいで、仰向けになると、額を押さえつつ、前髪を掻き上げるような仕草をした。

「……いいよもう……。俺が……、……お前のこと好きなことくらい、あいつらにはとっくに筒抜けてる」

 ネーリは目を丸くした。諦めたような言い方がフェルディナントらしくなかったが、ある意味で、誰よりも彼らしい率直な言い方だとネーリは思った。

 自分は単なる画家なのだ。

 フェルディナントは神聖ローマ帝国の若き将軍で、おまけに本当の出身はエルスタルの王族だ。彼は本来、ネーリに何も譲る必要はない人なのだ。命じて、従わせたって、彼は許されるほどの地位にある。でもそれをしないのは、フェルディナントという青年の持つ優しさや誠実さなのである。

「……フェリックスにすらバレてるし……」

 ネーリは付け足された言葉に可愛い声で笑った。

 ゆっくり、身を起こす。

「……そっち行ってもいい?」

 時々、ネーリはそんな風にいって、同じベッドに潜り込んで来ることがある。

 でも、普通ならそれは肉体関係を伴う、その延長上になるはずなのに、ネーリは入って来ると、フェルディナントの肩や身体にもたれて、本当にそれで寝るのだ。

 最初はもう、そんな好きなやつが同じベッドに入って来てくっついて来たらどうなるか分からんと思っていたが、ネーリが驚くほど本当にほどなくあっさり眠るので、フェルディナントの方は落ち着かなかったが、何とか、そういうこともある、という言葉に集約して眠れるようにはなった。

 それはそうだ、夫婦になったら別に、同じベッドで眠ったって毎晩肉体関係があるわけじゃないじゃないか従って、これは別に何も変なことじゃない、と力いっぱい頭で思ってなんとか自分を納得させた。そうでもなければ、フェルディナントはそれこそ、そういう用でもなければ他人など自分のベッドに入れたりしないからである。

「……いいよ」

 ネーリが安心したように笑って、本当にベッドから抜け出し、フェルディナントのベッドに潜り込んで来た。すぐにフェルディナントの腕が伸びてきて、ネーリの身体を包み込み抱き寄せた。目を瞬かせているネーリに、赤面した顔を見られないようにしながら、フェルディナントは言う。

「背中にくっつかれたり、腕を組まれたりすると、かえって落ち着けないんだ! これが結局……一番……、」

 フェルディナントの胸に埋もれて、目を丸くしていたネーリが、そっと彼の身体にも腕を回して来た。

「……落ち着くわけじゃないけど」

 落ち着いたら問題だある意味。俺はこいつが欲しいんだから。

「うん……フレディの心臓ドキドキしてるね」

「口に出して言うな考えないようにしてるんだから」

 ネーリは微笑む。

「僕もドキドキしてるから」

「そうは見えないんだよな……」

「してるよー。ほら、触ったら分かるよ」

 フェルディナントの手を取って、自分の心臓の上に触れさせる。

 いきなりそんなことをされて、驚いた数秒後、爆発するみたいにフェルディナントは赤面した。

「ネーリ!」

 とうとう怒ったフェルディナントから隠れるように、彼の胸と毛布にネーリは笑いながら潜り込んだ。絵を描く時や礼拝で歌ったり奏でたりする時は、芸術の女神が乗り移ったように気高く大人びた表情をみせるのに。普段の彼は人懐っこく、こんな少年のような悪戯もする。彼の描く絵のように、豊かで、多彩な色合いの魅力を持つ彼に、本当に心を奪われている。

「……頼むから、あんまり、誘惑しないでくれ。俺は冗談でお前を好きだとか言ってないし、触れ合うと、……欲情だってする」

 欲情だ。

 長く独りで生きてきて、今は聖堂で絵を描く、ネーリ・バルネチアが本当にその感情を正しく理解してるのかと、彼を抱いてしまいたいと考える時、必ず怖くなる。

「お前に親とか、兄弟がいたら、必ずそっちに先に付き合わせてくれと言いに行ったけど。

そういう意味では、お前を守れるのはお前だけなんだから、俺をからかいたい一心で焚きつけるなよ……。」

 今のだって一瞬、初めて会った時のことを見下ろした瞬間思い出しかけて、危なかったぞ。

「焚きつけてないよ。それにこういうことでフレディをからかいたくない。だって君は、恋愛感情を面白おかしく扱われることは苦手だし嫌いでしょ?」

 少し驚いて、腕の中のネーリを見下ろした。彼は優しく、微笑んだ。

「わかるよ。それくらいなら……僕でも」

「……。俺はお前を本国に……、自分の屋敷に連れ帰りたいって言ってるんだぞ。そこでは、俺は軍隊の長として振る舞う必要もないから、その……、一緒に寝てたって、もっとそれ以上のこともお前に求めるつもりがある」

「前に干潟のところでキスした時、フレディ少し違う感じがしたもん。この前も。一緒にいて、安心するだけじゃない、そういうことでしょう?」

「……こんなこと、聞くのは、……ルール違反だと分かってるけど。お前はまだ十五歳だし、だから確認の為にも聞くけど」

「十六歳になったよー。この前」

「えっ?」

「一週間前くらい」

「知らなかった。言ってくれれば」

 花ぐらい用意したのにと思いかけて、そんなつまらないものを体裁だけ整えて贈らないで良かったとすぐに思った。

「そんなのいいよー。フレディにはいっぱいお願いごとして叶えてもらってるし」

「そんなの叶えた覚え、ないんだがな……」

「駐屯地のみんなとごはん食べたり、礼拝できたりして、毎日嬉しい」

「ネーリ……。」

 そんな俺たちにとって当たり前の日常、そんなに有難がるなよ。両腕で強く抱きしめる。

 十六歳。

 大人と子供の狭間、だ。

 多分貴族なら、親から何か家柄による役目をもらい社交界へと出て行ったり、軍隊にいても、実戦に連れ出されるかどうか一番最初に判断されるくらいの年齢。

 でもネーリは家がないから、いつまでも狭間に佇んでる。

「俺とそうなること、怖くないのか?」

 思い切って聞いてみる。

「大人の男の人と、女の人がしたりすること?」

 もうその聞き方が危うい。

 しかしネーリは頷いた。

「なんとなく分かるよ」

「……どうして?」

「猫とかが時々してる……」

 フェルディナントは思わず吹き出してしまった。

 笑ったのではなく、何かを言おうとして言葉にならなかったのだ。

「ねこって」

 確かにそれは世界の真理だ。

「うちの教会の庭の木の側で小さい子猫いっぱい生まれてたこと何回かあるし」

「そ、そうだな……まあ、……そういうのもある……」

 そういえばかつて、竜の交尾の話をネーリにしたことがあった。単なる成り行きだったけど。あの時はごく自然にネーリは話を聞いていた。彼は生物には生殖本能があり、人間の場合は願望もそれに伴うことを、理解はしているようだ。動物が好きな青年なので、彼らの生き方を見て、なんとなくは確かに分かっているのかもしれない。

「ずっと前に、お前に竜の交尾の話をしたことがあるよな」

「うん」

「お前は確かに理解出来てたようだけど、……あ、ああいうことを……例えば、お前がこうやってくっついて、俺が、万が一したくなった時に、お前が真剣に拒んでくれないと、……ここには止めてくれる人がいないから」

 本当にそうなってしまうかもしれないんだぞ、と釘を刺すつもりで言ったが、ネーリはその時は静かな表情でフェルディナントの胸に頬を付けている。

「……。フレディ」

「ん……?」

「ぼくだって、そうなるのが嫌だったり怖かったりしたら、こうやって同じベッドに入ったりしないよ」

 息を飲む。

「そうなったらいいなって思わないと……こんなことしない」

 額にフェルディナントの唇が優しく触れた。

 頬に手の平が触れる。

 それから、その手は、彼自身がさっき誘われた場所に、今度は自然と触れた。

 打ち返す心臓の上。

 唇がそっと重なる。余計な火が付かないように、慎重に。

「悪かった。そうだな……それは、お前の言う通りだ。いや、俺だって同じだよ」

「ぼく、フレディがそうしたいなら」

 分かってる、と強く抱きしめる。

 ネーリはちゃんと心を示してくれてる。これは誘惑とは全く別のことだ。

「フレディは、いつも、……えっと、そうしたい人がいる時、どういう時にそうなるの?」

 そうしたかったわけじゃない本当は自分で望んでそうなりたいと思ったのはお前だけだからあとのことは大した衝動じゃなかったと律儀に否定したかったが、今は後回しにしておく。

「とりあえず、戦場だとそういうことは俺は望まないから……本国に戻ってから。戦地から戻ると、少しは休みがもらえる。だから、本当は今回もお前を神聖ローマ帝国の邸宅に連れ帰ったら……そうした方がいいかなと思ってたんだけど」

 最初はそう思ってた。

「でも今の状態じゃ、帰国はいつになるか、さっぱり分からない。何年も先になる可能性もあるし――」

 帰れない可能性だってあるのだ。

「……そういう場合はどうするの?」

「そういう場合は、今まで、なかったけど……帰国してとかは諦めるしかない」

 すると、国に帰ってからネーリを正式に屋敷に招いてから結ばれるという工程がごっそり抜けるわけだ。

「その場合は?」

「……その場合は……、あとは俺の一存だ。……あと、お前が許してくれるなら」

 恐ろしいことに気付いてしまった。それは、今この瞬間行為に及んでもいいということだ。ネーリは賢いから、同じ事に気付いただろう。見下ろすと、明かりを消した中でも彼の頬が花色になっていることが分かった。まあそれを笑えるほどの冷静な顔色を自分がしていないことも分かったが。

「僕あんまり、……竜騎兵団の予定とか事情とか分からないから、フレディに決めてもらってもいい?」

 胸に顔を伏せたネーリの、髪から覗く耳まで赤い。

「分かった、なん……、なにか丁度いい日を決める。……お前がこの日は不都合とか、あるなら、」

「ううん。ぼく、絵描いてるだけだから……いつでも」

「ネーリ。本当は、今日だっていいんだ」

 抱きしめて言うと、小さく身体が腕の中で跳ねて、こみ上げた愛しさを、こらえる。

「だけど、……一番最初は、さすがに突然は、……お前に対して礼を欠く気がするから、日を決めてからにするよ。俺はそうしたいから」

 うん、と小さく頷く。

「……初めてが終わったら、あとは、二人がしたいって思った時に身体を繋ぐの?」

 フェルディナントはネーリの率直な言葉に、赤くなる。自分も大概同じ人間と長く続いたことがないから、全く分からない。

「た、多分。そうだと思う」

「フレディ前に、竜の交尾を人間が管理すると、上手く行かないことが多いって言ってたよね。竜だって、自然にお互いがそうしたいと思って身体を繋いだら、お互いケガをしたりすることが少なくなるって」

「ああ……。まあ、あいつらそんなにその気になってくれないっていうのが難なんだが。

もっと馬犬猫みたいに分かりやすい発情期みたいなのがあれば、こっちだって気が楽……」

「発情期……」

 天青石セレスタイン黄柱石ヘリオドールの瞳が出会う。

 そんな単語を話している時に絶対出会いたくなかった。

 これだから俺は女心の分からない奴だと女から罵られたりするんだ。

「じゃあ、今の僕、そうなのかな……」

 フェルディナントは驚いた。

「前はそんなことなかったけど、最近きみに触れられると、すごくドキドキすることがあるから。これってそういう時期なの?」

「ネーリ。人間に発情期はないよ。明確な自我と、感情と、心を制御する力を与えられてる俺たちは、動物たちと、自由に選べるものの多さが違う。人間の場合、ただ発情するんだ。好きな相手がいて、触れることを許されて、触れたいと思った時に」

 ――欲情が目覚める……。

「多くは、少しくらい欲しくなっても我慢や制御が出来るけど。……俺はお前相手だと、少し難しくなるみたいなんだ。前も一度、やらかしたもんな」

 あんな道端みたいなところで、本当にどうなってもいいと思いかけた。

「……自分でも驚くぐらい、お前が好きなんだ」

 ネーリも、フェルディナントのこの、いつもと少し違う、優しい響きを含む声を聞いてると、同じことを想う。

「好きな人と繋がるって、……どのくらい幸せかな?」

 まだ知らないネーリに、今すぐ教えてやりたい。

 そうなった時に、それを彼が自分相手に分かってくれたら最高に幸せだ。

「たぶん……好きな人と永遠に引き離される悲しさの、反対だ」

 ネーリは伏せていた顔のまま、目を開いた。

「強い悲しみの反対くらい、幸せなことだと思う……」

 自分で口にして、腑に落ちた。

 何故自分がネーリ・バルネチアをこんなに狂おしいほど求めるのかを。

 この胸にある、失われた痛み……。

 大きな喪失感を、初めて、埋めれるのではないかと思える人に出会ったから。


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