超大型モンスター《ラグナ・オーガ》
それは、まるで神話の悪夢が具現化したかのようだった。
瓦礫と化した建物の残骸、ひしゃげた車、血の気のない空気。
ここがほんの数時間前まで、無数の人々が生活を営んでいた街だったという事実が、もはや信じがたいほどの光景が広がっている。
戦場に駆け付けたマホが最初に目に入れたのは、一体の怪物だった。
遠くからでもはっきり確認できるほどの白い巨影が大地を圧倒していた。
60メートルを超えるその巨体は、まるで生きた山のように大地を踏みしめている。
その全身を覆うのは鋭利な棘のような装甲であり、その隙間から紫色の光――魔力が脈動していた。
圧倒的な密度の魔力が、血流のように脈打ち、怪物の体内を巡っているのが目に見えるほどだった。
とりわけ異様なのは、その「足」と「胸」だ。
巨体を支える二本の脚、その表面にはいくつもの水晶のような紫色のカバーが埋め込まれていた。透き通るようでいて、中の様子はまるで見えない。だが、その内部には“何か”があることだけは、肌で感じられた。
そして、胸の中央――そこには、まるで心臓のように脈動する巨大な紫色のコアがあった。こちらもまた、水晶のようなカバーに覆われ、その内部が見えない。
だが、その奥底から発せられる凄まじい魔力の奔流、そして何か異様な存在の気配をマホは感じていた。
「マホ様!」
「セラ」
瓦礫を踏みしめ、黒髪の魔法少女がマホに駆け寄ってきた。
マホより一つ年下の少女――
彼女の魔法少女としての衣装には、細かな汚れが見え、既に戦闘を経ていることが窺えた。
「わざわざごめんなさい。ここの指揮は誰が執っているの?」
「私です。現時点より、現場指揮をマホ様――隊長にお戻しします」
「わかったわ。ありがとう」
アカツキの魔物掃討を一手に担う『セイクリッド』は、防衛省魔物災害対策本部直属の国家特務機関である。
そして、その主力戦闘部隊として魔物討伐の最前線に立つ『
「状況は見ての通り芳しくなく……我々の攻撃も、魔法耐性があるのか通用していないようです。あのモンスターの記録もありませんでした」
「そうみたいね」
現在、既に数人の魔法少女が戦闘を行っていた。
変身し、魔法少女としての力を思う存分に振るっている彼女たちの攻撃を――しかし、怪物は歯牙にもかけない。
まるで、虫にでもたかられているという気分なのか、ほんの少しだけ身じろぎをする。
だが、そのわずかな動きでさえも街を破壊する様は、まさに災害そのものだった。
「被害状況は?」
「周囲の建物はこのように……。しかし、奇跡的に人命の被害はありませんでした。住民は既に安全地帯まで避難しました」
「そう……魔法少女の戦力は?」
「近くにいた魔法少女に招集をかけ、およそ30人が集まっています。まだ少ないですが、その他の魔法少女は本部に集合後、こちらに応援に向かうと」
「流石ね。ここまで被害を抑えられたのは、あなたの迅速な対応のおかげよ、セラ」
「いえいえっ、恐縮です!」
マホはわずかに微笑んだが、すぐに険しい表情に戻る。
「それで、あのモンスターはどこから現れたの?」
「それは……」
セラは言葉を詰まらせ、視線を伏せる。何かを迷っているような、あるいは言いにくそうにしているような様子だった。
マホがいぶかしげに眉を寄せた、その時——。
「マホ姉!」「マホお姉様!」
突如、空から甲高い声が響いた。
マホが顔を上げると、二つの小さな影が高速でこちらへ向かってくるのが見えた。
やがて、残骸と化した建物の間を縫うように飛行し、砂埃を巻き上げながら軽やかに着地する二つの人影。
一人は、元気に弾むレモンイエローのツインテールを揺らす少女——現実ミア。
もう一人は、風になびくライトブルーのロングヘアを片側でひとつに結んだ少女——現実マナ。
現実アオハルの妹であり、幼い頃からセイクリッドの魔法少女としてその使命を果たしてきた二人は、息を弾ませながらも、迷いのない足取りでマホのもとへ駆け寄ってきた。
「マナ、ミア、どうしてここに! あなたたちは戦闘継続を言いつけておいたでしょ!?」
セラが眉をひそめながら問いただすと、ミアがぷくっと頬を膨らませる。
「いいじゃん別に! なんかあいつ攻撃きかないし、マホ姉の指示をすぐ聞ける場所にいたほうがいいと思ったんだもん!」
「それに、あのモンスターを最初に目撃したのは私たちですし」
「だ、だからって指示を無視して……もうっ! あなたたちはどうしていつも私の言うことを聞かないの!?」
息を荒げながら二人を叱るセラ。しかし、その表情には怒りよりも呆れが滲んでいる。三人は長い付き合いで、気心が知れた間柄だからこそ、どこか和やかな雰囲気が漂っていた。
「ほんとにあなたたちは……!」
「いいわ、セラ。……それで、二人とも教えてくれる?」
マホはセラをなだめながら。マナとミアに視線を向ける。
二人はうなずいた。
「あのモンスターは、まるで最初からそこにいたかのように現れました」
「マホ姉信じて! セラ先輩とマナと一緒にたしかに見たんだ! 突然ぱあっと現れたの!」
「……はい、二人の言う通り、モンスターは急にその場に出現したのです。空からや地中からというわけではなく、本当にそこに……気配も前兆もありませんでした」
「なるほど、わかったわ」
彼女たちの口ぶりからすると、おそらく完全に意識外から現れたということだろう。
魔力の存在を感知できる魔法少女であれば、魔力を介した能力であれば発動の直前に察知できる。しかし、それすらも知覚できなかったということは——魔法や異能ではない、ということだ。
そして、魔力を用いず、それでいてこの現象を生み出せる存在をマホは知っている。
それこそ、アカツキ中の人間の認識を操り、あのモンスターが「最初からそこにいた」と思わせる——そんなデタラメな力を持つ存在。
「ディーヴァの力ね……」
「――ご名答」
『ッ!?』
上空から響く声。
見上げると、そこには白い髪と灰色の肌を持つ悪魔が浮かんでいた。
「――フフフ、ごきげんよう。黎明院マホ」
「ディーヴァ……!」
「なにアイツ、人間……!?」
ミアが驚愕の声をあげる。セラとマナも緊張した面持ちでディーヴァを見つめるが、マホのただならぬ気配を感じ取ったのか、即座に警戒態勢をとった。
「現実アオハルはどうしたのかしら? ここにはいないようだけど」
「……言うと思う?」
「フフ、そうよね。……まぁいいわ。アナタたちを片づけてから、殺しにいけばいいだけだし」
「――させるわけないでしょ。アンタなんか私たちだけで十分よ」
マホの身体から、今までにないほど強力な魔力が溢れ出す。空気が震え、周囲の温度が一瞬で変わった。その膨大なエネルギーが彼女を包み込むと、周囲の空間が歪むような感覚が広がった。
後方にいるセラ、マナ、ミアも一斉に戦闘態勢に入る。セラは鋭い目でディーヴァを見据え、マナとミアも素早くその身を構える。彼女たちの動きに無駄はなく、戦いの準備は整っていた。
ディーヴァはその様子をじっと見守り、やがて口元にわずかな笑みを浮かべた。
「やってちょうだい――ラグナ・オーガ!」
「……ッ!」
白い怪物――ラグナ・オーガがディーヴァの命令を受けた瞬間、その巨体を揺らした。
そして、ラグナ・オーガの口腔部が、不気味に開かれる。まるで巨大な門が軋むような鈍い音とともに、その奥で紫色の光が蠢き始めた。
それを見て、マホの目が一瞬、鋭く細められる。その眼差しには冷徹な判断が宿り、瞬時に状況を読み解く。ラグナ・オーガの攻撃が単なる光線ではなく、圧倒的な威力を秘めたものだと直感的に理解した。
「――総員、防御態勢!」
マホの声が鋭く響くと、彼女の周囲にいた魔法少女たちが即座に反応した。
ラグナ・オーガの喉奥で、紫色のエネルギーが収束していく。光はまるで生きているかのように脈打ち、回転しながら凝縮されていく。黒い空間に紫の稲妻が迸り、轟音が鳴り響いた。
そして、収束された魔力が、限界まで膨れ上がった次の瞬間――。
バシュウゥゥゥゥン!!
灼熱の紫光が、凄まじい速度で放たれた。
放射されたエネルギーは一瞬にして空間を裂き、まるで街そのものを焼き払うかのように奔る。軌道上の瓦礫が蒸発し、建物の壁面が触れた瞬間に融解した。
およそ10人ほどの魔法少女たちは空間に手をかざし、魔力を凝縮する。純白の輝きが放たれ、交差するように広がっていく。魔力が織りなす障壁が、分厚いバリアとなって眼前に展開した。
そして、魔力障壁に直撃した瞬間――衝撃波が空間を裂いた。
バリアの表面が激しく軋み、白い光が揺らめく。圧倒的なエネルギーに押され、少女たちは踏ん張るが――。
バギィィィン!!
魔力障壁は、音を立てて砕け散った。
強大なエネルギーの余波に魔法少女たちは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
そして、レーザーは街に直撃する寸前で角度を変え、遥か上空へと逸れた。
その先で、分厚い雲に巨大な風穴が穿たれ、空を覆っていた雲が一瞬にして吹き飛ぶ。そして、光弾は爆発し、空が一瞬にして明るく照らされた。
「なんて威力……!」
上空で爆発が起き、マホはその強烈な光に手で目を覆う。まるで目の前に太陽が現れたかのようなまぶしさだ。
「フフ、さすがは魔法少女といったところかしら。ワタシのラグナ・オーガの一撃を複数人がかりとはいえ弾くなんてね。一人ひとりの魔力は『昔』と比べたら乏しいけれど、集団で戦う術を身につけると、これほどの力を発揮するのね。よくここまで集団戦術として発展させたものだわ」
ディーヴァはわずかに微笑みながら、まるで納得したように口元に手を当てる。その笑みには、何かを見越しているかのような余裕が滲み出ていた。
「――さて、本腰を入れましょうか」
「……!」
その言葉が発せられると、ディーヴァの表情が一変した。まるで遊びのように接していた相手を、獲物を狩るような冷徹な目で見据える。
それに気づいたマホは、すぐさま動いた。
「セラ、マナ、ミア! 私たちもいくわよ!」
『はい!』
マホは右腕を掲げる。
その手首には魔法少女の潜在魔力を引き出すための鍵――『マジカルリンク』が光り輝いていた。
「マジカルリンク――
その言葉と同時に、腕輪に刻まれた魔法の刻印が鮮やかに輝きを放ち、マホの身体から膨大な魔力が一気に溢れ出した。その力はまるで太陽のように圧倒的で、周囲の空気すらも震わせるような温度を発し始めた。
そして、次の瞬間。
マホの身体を包んでいた魔力が突然――跡形もなく消失した。
「…………………………………………………………………………は?」
『マジカルリンク』の輝きもあっという間に消え失せ、マホはその異常な状況に呆然と立ち尽くす。
身体が重く、まるで支えを失ったかのように、足元がふらついた。
――変身が失敗した。
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