第3話 勇者の死と覚醒


「まだ勇者のことを気にかけているんですか? 奴は貴方様を育てていたのではありません、監視していたんです。転生した魔王様が記憶を取り戻してしまった時に殺すため。それか、魔王様が前世を思い出せないことを良いことに、人の矜持という甘ったれた思想を植え付けようとしたのかも。ま、どうせ死ぬことですし、どうでもいいことですけど」


 魔族ケセドは、ガーベラが倒れても握り続ける聖剣を奪いとった。


「念のため、これは回収しましょ。聖剣は魔王様を倒せる、唯一の武器ですから」

「返せ……」


 我慢の限界が達して、魔族ケセドが奪い取った聖剣を掴んだ。


「……魔王様? 何を?」


 こいつの言ったことは全部、真実だ。

 全部とまではいかないが、前世の記憶が薄々と蘇ってきた。


 無能の魔術師の俺シオン・マグレディンが転生した魔王。

 という事実が、まだ受け入れられない。


 受け入れられないけど、信じるしかなかった。

 あの記憶の俺は、罪のない人を大勢殺してきた。


 不必要に、無慈悲に、徹底的に、無機質な感情で命を摘んできたのだ。


 思い出すだけでも怖い。

 俺のこの肉体に宿っている魂が、魔王の魂であることが恐ろしい。


 だけど、そ幸いなことに俺の心は、かつての残虐な魔王だった頃の人格には偏らなかった。


 断片的な記憶を取り戻せたことで、身体から魔族ケセドと同じ禍々しい魔力が解き放たれる。


 そして、気づけば魔族ケセドの聖剣を握っている手首を、へし折っていた。


「がぁああああああああ」


 怒り任せに、魔族ケセドの顔面に拳を叩きつける。

 鈍い音とともに、拳が顔面にめり込み、魔族ケセドを吹き飛ばした。


「……シオン……お前……」


 後ろから、ガーベラの弱々しい声が聞こえる。

 殴り飛ばしたケセドなんかより、彼女の方が心配だった。


 すぐにカーベラの傍まで駆けつけ、傷口を手で押さえる。

 血を流しすぎている、クソッ。


「しっかりしろ! ガーベラ! お前がこの程度で死ぬようなタマかよ!」

「違う、違うんだシオン……」


 涙を浮かべる俺の頬に、ガーベラは手を添えた。

 優しい顔だった。


「もう、昔の私ではない。魔官ケセドの言う通り、魔王を倒したあとの私は……力を使い切っていた。かつての全盛期だった頃の私と比べたら……弱すぎる……がはっ」

「もういい! それ以上喋るな! クソっ! マナは何でここにいないんだよ!?」


 半壊した街のそこらを見回し、勇者パーティの回復役である聖者マナを探す。

 戦士のギルバートもいない、何処にいるんだよ二人。


「二人には……助けを呼ばせに行っている……」

「誰にだよ!? 誰が俺達を助けるんだよ!?」

「はは……まさか、お前の腕に抱かれて、生を終わらせることになるとはな……」

「質問の答えになってねぇぞ! だから一体……っ!?」


 ガーベラの体が冷たくなっていく。

 彼女から感じていた膨大な力の源が、薄く弱くなっていく。


「なぁ、シオン……お前に謝らなければならないことがある」

「ああん!? お前が、俺になにを謝んだよ!? 謝るのなら、役に立たないくせにずっと勇者パーティに俺を置いてくれたことを謝罪したいところだよ!」


 迷惑をかけるのは、いつだって俺の方だ。

 彼女は何も悪くない、勇者としての使命を全うしていただけだ。


「赤ん坊の頃から、お前を育てて、側に置いていた理由は……さっきケセドが言った通りだ。お前が魔王としての記憶を取り戻して、暴走するようなことがあれば……この聖剣で処分していた」


 ガーベラは瞳から涙を流して、申し訳無さそうに続ける。


「だが、お前と同じ屋根の下で送った、あの生活は……私にとってかけがえのない思い出だ……私はお前を監視対象として見ていたのに、お前は私を母のように……愛してくれた。優しい子に育ってくれた」

「……じゃ、何でいまさら神聖国なんかに」

「転生したとしても、お前の魂は魔王そのもの。そのままにしていたら、魔王軍はお前の気配を感じ取って探し出されていた。そうならない為に、赤ん坊の頃のお前に強力な”守護魔術”を施した。魔王の気配を感じ取れなくなる魔術だ……ただ、この魔術には欠点があってな」


 頬を触れるガーベラの手が弱くなっていく。


「……永遠に持続せず、いつか効果が途切れてしまう。そうなったら魔術の発祥国である神聖国で”守護魔術”を組み直さないとならない。お前にかけられた守護魔術は残り、一ヶ月で途切れる。だから、神聖国に預けようとしたのだ」


 だから、唐突にパーティを解雇にされたのか。

 これまで、ちゃんとした理由があったのだ。


「で、でもガーベラと離れている間に、俺が暴走しちまったらどうするんだよ!? 聖剣でしか魔王は殺せないはずじゃ」


 疑問を口にすると、ガーベラはふっと小さく笑った。


「確かに、お前の正体は百年前、世界の支配を目論もうとした私の宿敵、魔王……。しかし、ふふ、十七年も一緒に居たんだぞ? シオン、お前は暴走なんかしない……子供の頃に約束したはずだ『ガーベラみたいな、強くて優しい勇者になる!』と……」

「そんな約束……昔のことだろ……俺が暴走しない保証なんかどこにもないし……」


 どうしても自虐的になってしまう。

 そんな俺の頬を、ガーベラは添えていた手で軽く叩いた。


「―――私は、お前を信じている」


 そう告げたガーベラは俺の胸に、聖剣を押し付けた。


「……ガーベラ?」


 頬に触れていた彼女の手が離れる。


 腕に抱いていたガーベラの体が重くなり、崩れ落ちる。

 まるで魂が抜けた人形のように、四肢から力が失われる。


 死んだのだ、勇者ガーベラが。

 虚ろな目をして、動かなくなってしまった。


 その瞬間、俺の奥底に眠っていた何かが、溢れ始めた。







「魔王様ぁあああああ! 遂に! 遂に! 遂に! 復活を遂げたのですね! このケセド、この上なく幸せを感じております! 100年ぶりの主君が! 蘇った!」


 魔族ケセドの陥没した顔面が、みるみると治癒していっている。

 殴られたというのに怒るどころか、幸せそうにしていた。


 盲目的な忠義。

 それが魔王軍幹部、魔官ケセドだ。


 さっきまでみっともなく怯えていたのに、彼女を前にしても恐怖が湧いてこない。

 母を殺された恨み、それだけだ。


「黙れ、クズが」


 覚醒した魔王の身体能力は異常だった。

 地面を一回蹴るだけで、魔官ケセドが反応できないほどの速度で、彼女との距離を詰めることができたのだ。


 そのまま右手に持っていた聖剣で、魔官ケセドの肩から腹部にかけて切り裂く。

 紫色の血が吹き出し、彼女は後退りする。


「ま、魔王様……? な、な、な、なに、な、何をなさるので、ですか……?」


 次は、聖剣の切っ先で魔官ケセドの胸を貫く。

 貫いたまま上へと押し上げ、顔を真っ二つに切り裂く。


「ぎゃああああああああああ!!!!! 魔王様ぁあああああああああ!!!!」

「魔王魔王魔王魔王うるせぇよ。さっきから言っているだろ、俺は魔王なんかじゃねぇ。俺は……勇者の子、シオン・マグレディンだ」


 まだ生きている。

 トドメを刺すために、聖剣を上空に向けて。

 ありったけの魔力を込める。


 聖剣から白と黒、二つの膨大なエネルギーが交差。

 灰色のエネルギーとなって解放され、魔官ケセドにめがけて振り下ろした。


「ま、魔王様ぁああああああああああ!!!!」


 放たれた強力な一撃に、魔官ケセドは断末魔を上げる。

 そして、肉体が小さく消滅していく。


 生前の知り合いだとしても、勇者ガーベラを殺した人物だ。

 かけてやる慈悲なんざ、一つも無ぇ。


「大人しく、死んでろ」


 そう吐き捨てると、魔官ケセドの肉体が完全に消滅した。


 眼前に大きなクレータができてしまった。

 街ではなく平野の方向なので被害はない、かもしれない。




「終わったよ、母さん……」


 勇者ガーベラの亡骸を前にして、俺は静かに告げた。

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