【完結】校内一のイケメン女子を助けたら懐かれた話

いぬかい?

イケメン女子を助けた件

プロローグ

 初夏の昼下がり、廊下には柔らかな陽射しが降り注いでいた。窓から射し込む光が床に淡く揺れる影を落とし、風に揺れる薄緑のカーテンが、音もなくリズムを刻む。鼻をかすめる新緑の香りに、季節がひとつ前へと進んだことを教えられる。


 昼休み。校舎は騒がしい。カフェテリアへ急ぐ足音、教室にこだまする笑い声、運動部のかけ声。雑多な音のなか、俺は自販機の前で小銭を転がしながら、飲み物ひとつに迷っていた。


「……レモンティーの方が十円安いのか。」


 そんな呟きが自然と漏れるのが、俺――米内悠樹の、何気ない日常だ。思考を停止して、自販機とにらめっこするこの数分が、俺にとってはなぜか、心をほぐす儀式のようなものだった。


 けれど、その日の空気は、わずかに違っていた。


 何気なく目をやった先、廊下の奥に、妙な空気の澱みがあった。南雲光凛。彼女が女子たちに囲まれていた。


 その名を知らぬ生徒は、おそらくこの学校にはいない。均整のとれた容姿、仕草の一つひとつに滲む品格。男子の制服があれほど自然に似合う女子を、俺は他に知らない。そして何より、彼女の柔らかな声と笑顔は、見る者すべての感情を溶かす。


「……またか。」


 自然と、そんな言葉が漏れる。


 南雲が関わる場所には、いつも“感情”が集まりすぎる。男子の嫉妬、女子の好意、それが混じりあい、やがて澱となる。


 だがこのとき、俺の目に映ったのは、彼女の“いつも”とは違う顔だった。


 囲まれながらも、南雲は笑っていた。けれど、それはどこか引きつっていて、本心とは遠い。周囲の女子たちに気を遣いすぎた、優しすぎる笑み。その無理な微笑みに、俺は思わず眉をひそめた。


「……めんどくさい。」


 呟いたその言葉は、誰に向けたものでもなかった。


 でも、周囲は確かに騒がしくなっていた。教室の扉が開き、顔を覗かせる生徒たち。カフェテリアに向かう流れが止まり、視線が一点に集中する。女子たちの苛立ちが高まり、声が鋭くなる。


「まったく……」


 肩をすくめた俺は、ゆっくりと歩を進めた。


 自販機の前から一歩踏み出し、大きな声を上げる。


「おい、うるさい。そんなに騒ぐと先生が飛んでくるぞ。……いい加減にしとけ。」


 その声は意外だったのか、瞬間、空気が止まった。


 全員の視線が俺に集まる。茶髪の女子が睨みつけてくるが、俺は表情を変えず、淡々と続けた。


「こんなくだらないことで問題起こして、呼び出される方が面倒だろ。黙って帰れ。」


 茶髪の女子がなにか言い返そうと口を開いた瞬間、後ろにいた別の子が慌ててその肩を掴んだ。


「ちょっと、やめなって! こんなの、目立って損しかしないよ。」


 その言葉に、茶髪の女子は舌打ちをしながらも退き、他の女子たちも無言でその場を離れていく。去っていく背中を見届けながら、俺は少しだけ息を吐いた。


 ふと、気配を感じて視線を戻すと、南雲がこちらをじっと見ていた。


 どこか、ホッとしたような顔で、言った。


「……ありがとう。助かった。」


「別に、助けたつもりはない。騒がしいのが嫌なだけだ。」


 俺はそう答えて、気まずそうに視線を外した。だが南雲は、ふわりとした微笑を浮かべて、


「でも、ありがとう。やっぱり、助かったよ。」


 その言葉に、俺の胸が少しだけざわつく。


 こんな俺に、そんな風に笑いかけるなんて。


 戸惑いながら、その場を立ち去ろうとする俺を、南雲が軽やかに追ってきた。


「米内くん、だよね? “ちょっと怖いけど、頼れる人”って噂の。」


「……誰だよ、それ広めたの。」


「ふふ。内緒。」


 その笑顔に、思わず目を逸らす。


 いつもなら、誰とも関わらず、波風を立てずに過ごすのが俺のスタイルだった。


 けれど、この午後の出来事が、確かに何かを変えていく。


 南雲光凛という“風変わりな嵐”が、俺の日常に吹き込んだ。




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