繚乱獄百花

 銃をしまった目の前の分身は、私の腹の上から立ち上がった。私のお腹周りにあった圧迫感が消え、息がしやすくなった。銃の分身は寝そべった私を踏まないようにして、足を動かすと、コンビニの奥に歩き出した。


 私はゆっくりと上体を上げた。私はおでこを触ると、銃口の丸い型が付いていた。生死をこのおでこの薄い皮膚一枚に任せたので、おでこの皮膚の内側からくすぐられているようなむず痒い感覚が残っている。


「ほら、食べなよ。」


 その声が聞こえた後に、前を見ると、銃を持った私が何かをこちらに投げてきていた。私は急いで両手を投げられたものを掴もうとするが、タイミングが合わずに、投げられたものは両手を通り抜け、おでこにぶつかってきた。空を切った両手はパチンと良い音を出して、おでこに何かがぶつかる音と共鳴した。


「ははは、確信した。やっぱり、君には何の才能がないね。」


 私は目の前の私の笑い声を聞きながら、おでこをさすった。私は蔑まれていることを不満に思いながら、相手が銃を持っていることを思い出して、何も言わなかった。私は少し不満を顔に残しながら、おでこに投げつけられたものを探すために、下を見た。すると、足の間に小さい羊羹ようかんが落ちていた。


「私はどうせ羊羹が好きでしょ。」


 銃の分身そう言って、銃の私は店の商品棚からためらいなく羊羹を3個取り出して、するすると包装を剥いて、あずき色の羊羹にかぶりついた。確かに、私の好物はコンビニに売っているこの羊羹だ。


「これ、店のものだけど勝手に食べていいの?」


 私は至極真っ当なつもりの質問をした。すると、銃の私は再び笑い出した。しばらく笑い続けた後、笑顔で質問に答えた。


「まあ、その意見はごもっともであることは間違いないわ。


 でも、私が最初にすべき質問はそんなことかな? 


 なぜ、目の前にそっくりな私がいるの? 


 なぜ、月が赤いの? 


 なぜ、人がいないの?


 なぜ、君は銃を持っているの?


 そんなことをすっ飛ばして、コンビニで万引きをしていいのかの質問で大丈夫なの?」


 私は確かにそうだなと納得した。不思議なことが立て続けに起こり過ぎて、視野が狭くなっていた。


「じゃあ、今言ったことを1つずつ説明願えるのかしら?」


 銃の私は羊羹を全て口の中に入れ、何回か咀嚼した後に、口を開いた。


「なら、まず、前提の確認。


 百夜庚申待びゃくやこうしんまちは知っている?」

「ビャクヤコウシンマチ?」

「まさかと思ったけど知らないか。やはり、同じ私でも情報格差があるんだな。」


 私は頭の上に”?”を浮かべながら、目の前の私が喋り出すのを待った。


「じゃあ、私みたいな分身が出たことと100年ごとに出る天才の話は知っている?」

「それは知っている。」

「さすがにそれは知っているのね。


 まあ、私も推測でしかないのだけれど、その100年ごとに天才が出る現象は、ドッペルゲンガーの殺し合いによって生まれる生き残りが優秀だからだと思っているの。」

「……?」

「あなたは特殊だけれども、私がこの世界に来て、出会った私の分身は、何かの才能とその才能に合わせた武器を持っていた。ちなみに、私は分かっての通り、射撃の才能があって、持っている武器は拳銃だった。」

「えっ、武器を持っているのが、普通なの?」

「今頃、分かったの?


 ……じゃあ、私以外のドッペルゲンガーには出会ってないってことね。


 私はあなた以外のドッペルゲンガーを何人か見たけれども、日本刀とか、サバイバルナイフとか、テニスラケットを持っている私もいたかしらね。


 そして、武器を持った私は皆、その武器を使って、他の私達を殺そうとしていた。」

「!!!」

「日本刀を持った私とナイフを持った私は、互いに斬り合ってた。私は遠くで見ていただけで、巻き込まれはしなかったけれども、戦っていた2人とも命の取り合いをしているんだなってことがひしひしと伝わってきたわ。


 それに、私は私の死体を見たの。それも1つじゃない。幾つも。どうやら、私達は私達を殺し合っているみたいよ。」

「なんで、皆は殺し合っているの?」

「……簡単な話よ。


 殺されるかもしれないから、殺すの。」

「……そんな……。」

「あなたも100年ごとに天才が出る話を聞いているのなら、聞いているでしょ。夜長圭一はドッペルゲンガーが見つけられた次の日、別人に変わっていたっていう話。おそらく、皆、その話は聞いているんじゃないのかな?


 だから、皆、不安なんだよ。


 目の前にいる私が私を乗っ取るんじゃないかって。」

「……だからって、簡単に殺そうと思うものなの?」

「……。」


 そのまま銃の分身は黙り込んだ。銃の分身は少し驚いているような顔をしながら、私の質問に答えた。


「……そうかもしれない。


 おかしいのかもしれない。


 ……簡単に殺そうと思ってはいけないのかもしれない。


 ……でも、殺さなきゃ、殺される。だから、……。」


 銃の分身はそのまま言いよどんだ。何か言いそうになって、そのまま口を閉じる。そして、口から言葉を出す代わりに、目から涙をこぼした。目から零れ落ちた涙は頬をつたい、顎に溜まっていた。顎から涙が滴り落ちる前に、目の前の私は手のひらで涙をぬぐった。


 そして、涙をぬぐったはいいものの目からは、さらに涙が溢れている。目の前の私はそのまま顔を両手で隠して、膝から崩れ落ちた。そのまま、喉の奥で嚙み殺す泣き声を出しながら、すすり泣いていた。


 私はなぜ彼女が泣いているのかすぐには分からなかったが、彼女の制服が赤く染まっていることを思い出した。私は覚悟を決めて、彼女に聞いてみることにした。


「……殺したの?」


 私がそう聞くと、彼女の動きが止まった。彼女は同時にすすり泣く声も止めた。しばらく私達の間には静寂が流れた。そして、彼女は顔を隠したまま、小さくうなずき、再び大きな声で泣き始めた。


 目の前で泣き続ける彼女は、私に銃を突きつけ、高圧的だったころとは打って変わって、小さく縮んでしまったかのようで、可哀そうな様子だった。


 私は目の前で泣き続ける分身を見て、人殺しであるという本能的な忌避と共に、この世界の中ではいつか私もこうなってしまうのではないかと言う一種の親近感を感じていた。


___________________________________________________________________________



 脳天のど真ん中に小さく丸い穴をあいてある。そこから出血があったのか、皮膚に付いた血は乾いていて、そこから地面の方へドロドロした血だまりが広がっている。


 目は大きく開き、口はだらりと開いている。手にはテニスラケットが握られていて、私と同じ制服、私と同じ顔をしている。


 私の死体からは生臭く、吐き気を催すような血の匂いが広がっている。私は長く見ることのできるものではないと悟り、コンビニの裏口の扉を閉めた。


 銃の分身は、殺されないようにコンビニで隠れようかと思ったが、そこには先客がいた。それがこのテニスラケットを持った分身だった。テニスの分身は話し合いをする暇もなく、彼女に襲い掛かった。本能的に殺されると分かった彼女は、引き金を引いた。


 ……。


 私は目の前で泣き崩れる私の分身に複雑な感情が渦巻いていた。


 この世界では殺しても、殺されても駄目なんだ。


 殺されたら、言わずもがな終わり。でも、殺しても終わりだ。


 私はまだこの世界を理解しきれてはいないが、この世界では殺されるか、殺すかの2つを強制しているようだ。


 私は良心の呵責に押しつぶされそうな目の前の私を見た。彼女は自分が人を殺したという事実に隠しきれなかったのだと思う。私の分身がたくさんいるという異常な世界だ。普通の人殺しと違って、誰かに罰せられる訳でもない。


 だから、余計に罪が重くなるのだろう。


 自分を殺す気持ち悪さは言葉で言い表すことは出来ない。


 私は目の前に映る鏡のような分身を他人事とは思えなかった。


「……ねえ、私はどうすればいいと思う?」


 目の前で泣き崩れた私の分身は、弱弱しい言葉で私に答えを求めた。


「……その質問を問いたい気持ちは分かるけれども、私はあなたを罰する言葉も、慰める言葉も知っている。


 けれども、私はその言葉であなたを騙す自信がない……。


 ……だって、私だから。」


「……そうね。それが正しい答えよね。」


 彼女はそう言って、私と目を合わせた。何か覚悟を決めたような目だった。私はその彼女のまなざしに応えるように笑顔を送り返した。


 それは突然だった。


 ガラスの割れる音、風を切る音、それらがとてつもない速度で近づいている音が一瞬にして耳に入ってきた。だがしかし、そんな音よりも最後に聞こえてきた肉をえぐるような音が何よりも鮮明に聞こえてきた。


 その音の正体は目の前に広がる光景で理解ができた。目の前に映る銃の分身のこめかみを貫通するように、矢が刺さっていた。矢が刺さった部分からは大量に血が噴出し、近くの商品棚をまだらに汚した。


 先ほどまで目を合わせ、生気を感じられていた彼女の目はゆっくりと作り物の目の様に焦点が合わないようになる。彼女のこめかみから噴出する血が頬をべっとりと塗り広げられた時、まるで糸の切れた操り人形のように力なく地面へと倒れていった。


 私はどさりと体重の全てを地面に打ち付けたような音につられて、地面に倒れこんだ彼女の体をゆっくりと確認する。彼女は仰向けに倒れていて、顔を上に向けていた。


 矢の傷から真紅の血が油のように粘り気を持ってドロドロと流れ、コンビニの白い床を円状に塗り広げていく。彼女は動かぬまま、広がっていく血の池に頬を濡らしていた。


 彼女は死んだ。


 自分の血の池に溺れる彼女を見て、私はこの世界を曖昧にだが、鮮明に理解し始めたのだった。

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