第7話 相棒
それは、黒いマナに包まれた巨大なブリキ人形だった。
あたしも魔族として長いこと冒険者をやってきたが、あんなものは初めて見る。
金属のこすれる音。
無機質な駆動音とともに、赤く光るガラス玉の瞳がこちらに向けられる。
ぞわりと背すじに怖気が走る。
敵として認識されたのだろう。
交戦的というか、いくらなんでも血の気が多すぎないか?
……まあブリキ人形に血の気もクソないかもしれないが。
(──まったくよぉ。ラフィのやつは毎回面倒ごとに巻き込まれるよなぁ……。)
苦笑いを浮かべつつ、背後で攻撃呪文の詠唱に入った相方をちらりと見る。
まあ、わかっていて付き合い続けているあたしもあたしか。
心の中で苦笑して、再び魔獣に視線を移した。
久方ぶりの強敵を前にして少し高揚しているのかもしれない。
この退屈な時代で、飽きないということは本当に大事だ。
無駄に生の時間が溢れている長命種には特に。
ラフィはいろいろと巻き込まれ体質だ。
あと何かにつけて細かくて小うるさい。
努力家で感情的で、それでいて他人に甘い。
正直、自分とは正反対の存在だ。
だが、それが自分には良い刺激になっている。
もし彼女がいなかったのなら、自分は早々に退屈な人生に見切りをつけていただろう。
「よーし。それじゃ頼むぜぃ、相棒」
背後で呪文を唱えている相方のエルフに言葉を投げかける。
本当は報酬なんてどうでもいいのだ。
ラフィと一緒にいられる時間が大事なだけ。
だからこそ、パルメになびいた時はちょっとイラッとしたのだけれど。
ごきりと拳を鳴らし、さらに一歩前に出た。
ラフィが後衛で魔術を使う。
あたしが前衛で敵を引きつける。
チームを組んだ時から続けている、バトルのときの鉄板編成だ。
この退屈で平和な時代になってからは、めっきり実践することもなくなっていた。
共に戦うのは久しぶりで、正直かなりテンションが上がっている。
──まあ、それにしてもだ。
さすがにあんなデカブツは相手にした経験がない。
大まかに見て、7、8メートルはあるだろうか。
小柄な自分では見上げるだけで首が痛くなりそうだ。
百年前でもあんな大型魔獣は滅多にお目にかかれなかったというのに。
「……しっかしなぁ。なんだありゃ?……魔獣っていうか、もはや獣ですらねぇんだが」
見るからに厄介そうな気配だ。
ぼやくように言葉を放つ。
すると、パルメが横から片腕をぐるぐる回しながら答えた。
「マナ汚染は周囲のものに影響を及ぼすってね。無機物でも例外じゃないってことでしょ。おおかたヤツのコアは、どっかの子どもが忘れてった玩具のブリキ人形なんだろう、け、──どっ──!」
パルメの声に力が入る。
それと同時に、彼女の手のひらから勢いよく何かが投擲された。
綺麗なフォームから放たれたその物体は、レーザービームさながら、物凄い速さで魔獣へと飛んでゆく。
パルメは腐っても獣人族だ。
その身体能力は亜人種のなかでもかなり優れている。
石ころ一つでも、貧弱な人間の頭くらいなら容易くカチ割れる力がある。
その全力投球なのだから、威力は折り紙付きだ。
「出し惜しみなしのとっておきだよ!──伏せてなさい、リル!」
パルメが声を発した瞬間──。
ドンッ、と激しい衝撃波が周囲をかき乱した。
耳をつんざくような爆音。
一瞬、火傷するような熱風とともに、魔獣の外装で大爆発が起きた。
慌てて屈み、瓦礫から頭を庇う。
「──っぶねぇなぁ!巻き込まれたらどうすんだぁ!」
せめて先に警告しろ。
ほんと腹立つやつだなあいつは……。
パルメに文句を投げつつ、敵の様子を伺う。
おそらく、あれは火の魔術の回路を刻んだ魔動武器。
爆発とともに鉄の破片を撒き散らす殺傷力の高い兵器だ。
しかし対人用とはいえ、あの威力。
いくらブリキの巨体とはいえ、あれなら──。
もくもくと巻き上がる噴煙。
建物に囲まれた道路の真ん中で、灰色の煙が空へと立ち昇っている。
だが──、それが次の瞬間、一気に晴れた。
ギギギ、という鈍い可動音が聞こえる。
残ったかすかな煙の奥に、先ほどと変わらない不気味なシルエットが姿を現した。
威圧感は変わらず。押し付けられるようなプレッシャーは消えていない。
そこには、両腕を大きく掲げた魔獣が仁王立ちのまま立っていた。
外装が少し燻んでいるものの、変化のあった点といえばそれくらいだ。
これといってダメージを受けた様子がない。
(ほぼ無傷、か──。)
さすがに頑丈にもほどがあるだろ。
パルメは「うーん……」と口ごもる。
そして想定内といった感じで「やっぱダメかぁ……」と肩をすくめた。
だが、さすがに全くの無傷は想定していなかったのだろう。その表情には濃い苦笑いが張り付いていた。
どうやらパルメとしては今の攻撃が効かなかった時点で打つ手なしの打ち止めらしい。
それなら──、次はあたしの番だ。
「──どいてろ、パルメ!」
体に纏わせた魔力を拳に集中して強化する。
魔族が亜人種において最強なのは、その身体能力の高さが理由というだけではない。
魔力操作にも長けているからだ。
魔動機械の燃料にもされているとおり、魔力とはエネルギーそのもの。
魔術という回路を通さずとも、単純に集めて凝縮して爆発させる──。
それだけで尋常ではない力を出すこともできるのだ。
「──ぅらぁっ!!」
一足飛びに飛びかかり、拳を振り上げる。
狙うは化け物の顔面。
頭部が弱点かどうかなんてわからない。
だが、他に狙いやすい箇所もない。
腕から先に集中させた魔力を爆発させ、思い切り敵の頭部を殴り飛ばした。
ゴォンッ!という鈍い衝撃音が、周囲の空気を揺るがした。
それと同時に、魔獣の巨体が後ろに吹っ飛んだ。
ごりごりと石畳を削り、車輪のように転がり滑る。
そして、道奥の突き当たりのでかい屋敷にぶつかると、ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の下敷きに埋もれていった。
一瞬の静寂が訪れる。
立ち込めていた砂埃がゆっくりと晴れていくその向こうで──。
魔獣の巨大はそのまま音沙汰もなく、動かなくなっていた。
その光景に、獣人の少女が引きぎみで声をあげる。
「うひゃー……、さっすがリル。さすがにあれじゃひとたまりもないよね。あんたたちに頼んでよかったよ、ほんと」
尻尾をぶんぶん振りながらテンションを上げている猫耳少女。
すっかり一仕事終えたといった感じだ。
けれど──、まだだ。
わたしはじっと動かない魔獣の巨体を睨みつける。
「……喜ぶのはまだ早いぜぃ、パルメ」
じんじんと痛む右の拳。
横目で確認すると、うっすらと血が滲んでいた。
骨にまでは影響はなさそうだ。
様子を見て多少手加減したのが幸いしたか。
もし本気で殴り飛ばしていたらヒビくらいは入っていたかもしれない。
ブリキのくせに、まるで中身の詰まった鋼鉄の塊でも殴ったみたいな感触だった。
おそらく、原理はあたしの拳と同じだ。
あの膨大な汚染された黒い魔力が、金属の外装をさらに強化しているのだろう。
もはやただのブリキの硬度ではない。
文字通り、あれは魔力と金属の怪物だ。
「ちっ……。やっぱ面倒な相手だぜぃ」
粉塵の向こうでのそりと起き上がるブリキの魔獣に舌打ちする。
様子見のつもりではあったが、そう余裕をかませる相手ではなさそうだ。
「……うっそ、あれでもダメなの!?」
パルメも一転、びくりと体を跳ねさせて顔を顰める。
とりあえず、──硬い。
想定以上の頑強さだ。
昔なら銀等級以上の冒険者パーティーが数チームがかりで攻略に取り掛かる相手だろう。
間違いなく危険度最高クラスの魔獣だ。
パルメのやつ、本当面倒な仕事を押し付けやがって。
魔獣はゆっくりと体を起こした。
ぐりんと間接を動かし、そばの建物の瓦礫を拾う。
そして、腕を大きくしならせると、お返しとばかりにそれを勢いよくぶん投げてきた。
人一人はありそうな屑鉄の破片が、きりもみしながら獣人の少女に迫る。
「──ひいっ、あっぶなっ!──ちょっとリル!早くなんとかしてよ!」
パルメは四足で身軽に瓦礫を避けつつ、懐から取り出した二丁拳銃で応戦する。
だがあの魔獣にとっては、そんなものは文字通りの豆鉄砲だ。
まるで意にも介さず、さらにもう一投、彼女に瓦礫を投擲する。
「にゃああっ!?」と上擦った悲鳴をあげつつギリギリで避けるパルメ。
あたしはひょいと地面で破裂した瓦礫の破片をかわした。
「おー、大丈夫か?猫耳ヤロー」
「ヤバいのは見てわかるでしょ!早くなんとかして!高い金払ってるんだからさぁ!」
がめついやつだなまったく。
というか成功報酬なんだからまだ金は貰ってない。
本来なら放り出して逃げ出してもいいくらいなんだが。
まあそれはともかく、こいつは確かにやっかいな敵だ。
硬いし、力も強い。
素早さはそれほどでもないが、決して遅いというほどでもない。
あたし一人なら間違いなく手を焼く相手だ。
本来なら別の請負屋にでも協力を求め、集団で対処するべき案件だろう。
けれど──。
それは、あたしが一人の場合ならの話だ。
あたしたちにとってなら、それは問題にならない。
そう。やつの問題は──、ただ『硬い』だけなのだから。
息を深く吐き、拳を握りこむ。
そして、わちゃわちゃと慌てているパルメに返事を飛ばす。
「なんとかするもクソもねぇよ。あたしとおまえはヤツの足止めさえしてりゃいいんだからなぁ」
「……足止め?そんなことして、いったい何に……」
そこまで言いかけて、パルメははっとして振り返る。
これを自分で言うのもなんだが──。
今回パルメがこっちに依頼をよこしたのは、間違いなくあたしの強さ目当てだ。
今は数を減らしたが、魔族という種族の強さは昔と全く変わっていない。
戦いの場においては間違いなく最高戦力の一人だろう。
やつはなんのつもりか、初めからこの状況を想定していた。
あの魔獣との戦闘を望んでいた。
戦いに優れた人材を戦闘要因として雇いたかったのだ。
だからこそ、あたしたち──もとい、リル=クロムヴェルという一人の魔族を目当てに、依頼を出したのだろう。
つまり、パルメにとってはラフィはおまけだった。
実際、期待も何もしていなかったはずだ。
事前の浄化も最初からするつもりはなかったし、成功してもらう気すらなかったのだろう。
おそらく、ラフィの存在自体、眼中にすらなかったのかもしれない。
──だが。
「──それはちょっと、あいつを舐めすぎだぜ。パルメ」
背後から立ち昇る、練り上げられた膨大な魔力。
そのプレッシャーにようやく気づき、パルメの耳と尻尾がびくりと跳ねた。
思わず振り返り、目を丸くする彼女の視線の先で──。
詠唱を続けるエルフの少女の指先が、魔獣の鼻先へとゆっくり向けられていた。
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