いいから休めと言われても

椰子ふみの

第1話

「今日も最終電車か」


 ドラッグストアのシャッターを閉めると、理子はふらふらと歩き出した。本来なら、ただの薬剤師の理子がここまで働く必要はない。


「明日は店長、出てくるのかなあ」


 初めての子供が生まれるということで舞い上がった店長は立ち会い出産するからと言って、病院に行ったきりだ。いつ、生まれるかわからないので、この状態がいつまで続くかわからない。

 今までも残業続きだったが、さすがに辛い。

 歩道橋の階段の前で足が止まり、しゃがみ込んだ。


「あの、大丈夫ですか?」


 声をかけてくれたのは可愛らしい女性だった。


「ありがとう、大丈夫です」


 差し出された手を取って、立ち上がった時、突然、足元から光が上空に伸びた。


「な、何?」


 景色が揺らぐ。でも足元はしっかりしている。地震じゃない。

 光がおさまった時、二人はベルサイユ宮殿の一室のようなきらびやかな空間にいた。


「ようこそ、聖女様」


 目の前にファンタジーものの王子や騎士のような人たちがひざまづいている。


「異世界召喚か」


 疲れた時の現実逃避でよく読んでいたから知っている。

 理子は一歩、後ろに下がった。自分が聖女のわけがなかった。




「つまり、杏奈さんが聖女で私はその召喚に巻き込まれたということですね」


 確認すると、召喚を行ったという魔導士長がうなずく。


「ごめんなさい。私のせいで」


 杏奈さんが頭を下げる。聖女らしい白いドレスが似合う。美人はいいなあ。


「いえ、杏奈さんのせいじゃないですし」


 体調が悪そうな人間に優しく手を伸ばしてくれただけなのだ。


「ただ、元の世界に戻れるってことは……」


 魔導士長が首を振る。


「やっぱり、ないですよねー。あの、それじゃ、何か仕事を紹介してもらえませんか? 元の世界では薬剤師、いえ、薬師だったんですけど」


「あの、働かなくてもいいようにローランドにお願いしますけど」


 杏奈さんが慌てて言う。おやおや、王太子を名前呼びする関係になってるんですね。まあ、巻き込まれた私にも親切な人だったし、いいんじゃないですか。


 理子はニヤつきそうになる顔を引き締めた。


「働かざる者食うべからず。それが家訓で身に染みてるんで」

「じゃあ、いい職場を紹介してあげてください。お願いします」


 聖女に頭を下げられて、魔導士長は困ったようだった。




「こんにちは」


 神殿の中に案内されると、大勢の人が待っていた。

 召喚された王都から馬車で三日。たどり着いたのは放っておくと、魔獣が出てくるという厄介なダンジョンを抱えた街、シノメリスだ。


「今日から一緒に働かせてもらうリコです。よろしくお願いします」

「ここの神殿長のヤーマンだ。リコさんには救護院で働いてもらう。よろしく頼むぞ」

「はいっ」

「救護院担当の神官、ネオだ。案内しよう」


 ネオという神官はなかなかの美形だった。少し、やつれているから、余計に美形に見えるのかもしれない。


「適当な宿がないため、とりあえず、救護院の個室をリコさんの部屋にさせてもらった」


 ふむふむ。病人用のせいか、殺風景だけど、清潔な感じでいいじゃないですか。


 ここまで連れてきてくれた騎士が荷物も運んでくれる。杏奈さんが気を使ってくれたので、服や日用品もバッチリだ。


「ところで、治癒魔法はできるのか?」


 ネオさんの目が鋭い。面倒な奴が来たと思ってますね。


「それはできません。そのかわり、ポーションが作れます。魔導士長にも上質だと褒められました」


 薬剤師だったと言っても、異世界で役に立たない。治癒魔法を含め、直接的な魔法は使うことができなかった。魔力を込めて、ポーションを作ることは簡単にできたので、私にも異世界ボーナスのようなものがあったらしい。杏奈さんはさすが、聖女。治癒魔法、浄化、結界、全部、できるそうだ。


「助かる」


 ネオさんが大きく息を吐いた。




 聖女が召喚されたのは魔を防ぐ結界が弱ってきたかららしいけど、王都はもう杏奈さんが補修した。あとは各地方の要となる結界石に順番に魔力を込めていくらしい。

 この街のダンジョンの魔獣が活発なのも結界が弱っているかららしい。ただ、他に重要な拠点があるから、聖女が来るのは後回しらしい。

 それまでは冒険者たちがダンジョンに入って、魔獣の数を減らしていくらしいんだけど、みんな、怪我しすぎ。

 治癒魔法が使えるのはネオさんを含め、神官三人。ポーションを作れるのは私を含め、五人。

 それでも追っつかない感じ。


「今日もまだ、いたのか」


 夜遅く、ポーションを作っていると、ネオさんがやってくる。


「私はここで暮らしているので、遅くても大丈夫なんです」


 理子以外の薬師は自分の家から通っているし、家族もいるからだろう。夕焼けで空が赤く染まると帰っていく。


「ネオさんこそ。また、最後ですよね」

「まあ、書類が溜まっているから仕方ない」


 ネオさんは一日中、治癒魔法を使った後、救護院長として、事務処理もやっている。もう少し、人を増やせばいいのにと思うが、新人が増えると、かえって、しんどくなるからなあとドラッグストアの仕事を思い出す。


「リコさんは大丈夫か」

「このぐらい、楽勝ですよ」


 社畜にとってはこの程度の残業、数に入りません。

 理子はここに来てから、目の隈がなくなり、肌もきれいになったことに気づいていた。

 最近の習慣で二人で食堂で夕食を食べる。


「神殿長に休めと言われたんですけど、休めませんよねえ」

「仕方ない。聖女がまわってくるまでの辛抱だ」

「そんなこと言って。二人とも、無理してたら、ダメだよ」


 毎日のように食堂のメイおばさんに叱られるが、暖かくて美味しいものが食べられるので、満足だ。

 おまけに目の保養もできるしね。

 理子はネオさんの顔を眺めた。




「神官ネオ•ブライアン、異世界人リコ、両名、来月、十の日に婚姻することを命ず」


 神官長が読み上げた王命は無茶苦茶な内容だった。


「神官長、どういうことですか」

「結婚って、命令されるようなものじゃないでしょ」


 ネオと理子が抗議すると、神官長はふっと笑った。


「結婚は十日休みだ」

「そんなに休めません」と理子。

「いいから、休め」

「無理です」とネオ。


 神官長の笑みが深くなった。


「お前たち、休むのが嫌なだけか。結婚はいいのか」


 ネオと理子は顔を見合わせた。


「あの、ネオさんは立派な方です。私のようなおばさんと結婚しなくても……」

「いえ、リコさんは私にはもったいない女性です」


 言いかけて、二人とも顔が赤くなっていく。


 ネオは咳払いをした。


「あー、リコさん、命令されたからじゃありません。真面目に仕事に取り組むリコさんが好きです。よかったら、結婚してください」


 理子の口がポカンと開いた。


「あ、あの、嫌なら、きちんと陛下に命令を取り消してもらいますから」


 ネオの慌てる姿を初めて見た理子は思わず、笑った。


「取り消さないでください。私もネオさんが好きです」

「リコ」


 ネオは理子を抱きしめた。美しい顔が理子の顔に近づく。

 わわわ。キスされる。


「えーと、すまないが、私のいないところで頼めるかな」


 神殿長がウインクした。

 神殿長がいるのを忘れていた理子はますます赤くなるが、ネオはその頬に軽く唇をつけた。


「じゃあ、後で」


 今まで聞いたことがないほど、ネオさんの声が色っぽいんですが。

 理子は思わず、耳を押さえた。




 最後まで休むことに抵抗していた二人だが、結婚したら、お互い、夢中になったのか、きちんと十日休んだので、その後、ずっと、神官長にからかわれることになった。

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