家出少女とひとりの私
ようよう
クラスメイトは家出する
クラスメイトが家出した。
なぜ私がそんな家庭的な事情を知っているのかと言うと、今私の隣ではそのクラスメイトが同じベッドで寝ているからだ。
「あ、卵の消費期限切れてる……」
私は夜ご飯を作るため、切らしてしまった卵を買いに行こうと一月の冷たい風が吹く中近所のコンビニまで歩いていた。はぁ、と息を吐くと白くなったそれは泡沫のように空へと消えていく。それを追いかけるように空を見上げると星は厚い雲に隠れ、少しの雲間から三日月が顔を覗かせていた。
明日は雨かな、なんて思っているとあっという間に目的の場所まで来ていた。
ふと人の気配を感じて駐車場の奥に目をやると、見覚えのある人影が目に入った。そこには長い黒髪を下ろしキャリーバッグを両手に持ち一人佇んでいる、クラスメイトの
私は様子のおかしいクラスメイトを放っておくことができず、恐る恐る近づいて声をかけてみた。
「藤咲さん……だよね?」
名前を呼ばれた彼女は俯いていた顔を上げ、少し戸惑ったような表情でこちらを見た。
「千代田さん……?」
「うん、クラスメイトの
「その、家出してきた」
キャリーバッグをぶら下げていることからなんとなく察しはついていたが、今どき本当に家出をする人なんているんだ。
私はできるだけそのことには触れないように、状況の確認だけすることにした。
「そうなんだ。どこか行く当てはあるの?」
「今のところ、ない。から、とりあえず適当にマンガ喫茶にでも行こうかなって」
この周辺には寝泊りできるような場所はない。学校の近くまで行けばあるかもしれないが、電車で二駅ほどの距離だ。この荷物を持って歩くとなると相当大変なはず。さすがにこのまま、はいそうですか、と別れられるはずもなく、ひとまず私の家に来てもらうよう提案してみることにした。
「この辺にはそんな場所もないし、とりあえず
「え、いいの?」
「もちろん。あ、でもその前に買い物していかなきゃだから、ちょっと待ってて。すぐ戻るから」
そう言って私は急ぎ足で卵を買いに行った。
「お待たせ。行こっか」
「うん」
二人並んで夜道を歩きだす。私たち二人の間に沈黙が流れるが、こんな時どんな話をすればいいのか分からず口を開くことができずにいた。家出について聞くこともできるが、あまり詮索はしない方がいいだろうとも思う。
藤咲さんにも話したくないことはあるだろうし、何より私たちはただのクラスメイトであって普段話すような間柄でもない。そんな人にいろいろと聞かれても困るだけだろう。
結局私たちの口が開かれることなく、私の家に着いてしまった。
「私の家、ここの三階だから」
「へぇ、マンションなんだ」
特別大きいとも言えない十階建てのマンションを見上げながら、藤咲さんが呟くようにそう言った。
雪のように解けてしまいそうな声を聞き流してエントランスに入り、オートロックを開ける。エレベーターのボタンを押して来るのを待っている間、藤咲さんはなんだかそわそわと落ち着かない様子で周りを見渡していた。
「落ち着かない?」
「こういうマンション、初めてだから」
「別に、大したところじゃないよ」
そう言ったところで、エレベーターが降りてきた。誰もいないエレベーターに二人で乗り込む。私が三階のボタンを押すとドアが閉まり、エレベーターは完全な個室になった。静かに上昇を始めようとするエレベーター内は機械の音声が流れるだけで、私たちはゆっくりと昇るこの箱が向かおうとしている先をただ見つめるだけだった。
三階なんてあっという間で、ものの数秒でついてしまう。ドアが開くと冷たい風が流れ込んできて、私たちの髪を揺らす。体を震わせてエレベーターを降りると、藤咲さんも私の後に続いて降りてきた。
部屋の前まで行き、鍵を開ける。
「どうぞ上がって」
「お邪魔します」
「突き当りのドア、リビングだから荷物適当に置いちゃっていいよ」
コンビニからここまで、終始藤咲さんは最低限の会話しかしなかった。元々無口な性格なのか、家出の理由となるものがショックで落ち込んでいるのか、あるいはそのどちらでもないのかはわからないが、なぜだか私は居心地が悪くなることはなかった。
そんな彼女を、靴を脱いで暖房の効いたリビングに案内し適当に座ってていいよ、と促す。
「体冷えてるよね。暖かい飲み物用意するけど、ココアでもいい?」
「うん、ありがとう」
買ってきた卵をキッチンに置き、ポットに水を入れてお湯を沸かす。ココアは好きでよく飲んでいるから、粉をいつも常備している。紅茶やコーヒーも飲めなくはないがあまり好きではないため家で飲むことはめったにない。
「あ、そういえば夜ご飯食べた?」
「ううん、まだ」
「二人分の材料はないし簡単なものしか作れないけど、そうだなー……」
何を作ろうかと悩んでいると、さっき買ってきたコンビニ袋の中の卵が目に映る。
「オムライスでもいい?」
「うん」
ちょうどポットからカチッと音が聞こえ、お湯が沸いたことを知らせる。マグカップにココアの粉を入れ、お湯を注いでリビングに持って行く。
「じゃあ今から作るから、これ飲んで待ってて」
二人掛けのソファにちょこんと座っている藤咲さんの前にそう言ってココアを置くと、彼女は「ありがとう」と言ってカップを持ち上げ、息を吹きかけて冷ますと一口飲んだ。
私はそれを横目で見てお風呂のスイッチを入れてからキッチンに戻り、夕飯の支度をする。
冷蔵庫から玉ねぎと鶏肉を取り出す。玉ねぎを半分に切ってみじん切りにし、フライパンに油をひいて飴色になるまで炒める。炒めている間に鶏肉を小さめの一口大に切っておく。玉ねぎがいい感じの飴色になってきたら鶏肉を入れる。鶏肉に火が通ったらケチャップを多めに入れ、酸味が飛んだらあらかじめ炊いていたご飯を入れ混ぜ合わせる。全体が馴染んだらお皿に取り出して次は卵の用意をする。
ボウルに卵を四つほど割り入れ、塩コショウ、牛乳、マヨネーズ、チーズを入れ溶く。さっきと同じフライパンに油をひき直し、溶いた卵液を半分ほど流し込み強めの中火で固まるまで待つ。
お店で出るような、お皿の上で半分に割ってできるふわとろのオムライスは作れないから、私はいつも開いたままの卵を乗せている。おいしければ何でもいい。料理なんてそんなものだ。
そうこう言っているうちに卵の表面が半熟になって来たので、お皿に盛りつけたチキンライスの上に滑り乗せる。同じことをもう一度繰り返し、最後にケチャップを卵の上にかければ二人分のオムライスの完成だ。
お盆にオムライスとスプーン、水の入ったコップを乗せてリビングのミニテーブルに運ぶ。
「お待たせ。夕ご飯できたよ」
「ありがとう」
オムライスを机に並べて藤咲さんの隣に座る。
手を合わせて「いただきます」と言うと、藤咲さんも私に続いて「いただきます」と手を合わせて呟く。彼女は黄色い卵が乗ったチキンライスをスプーンに一口すくい、口に運ぶ。すると彼女の表情が少しだけ和らいだ気がした。
「おいしい?」
人に手料理を振舞ったのは初めてというのもあってなんとなく聞いてみると、「うん、おいしい」と今日聞いた中で一番柔らかい声が返ってきた。
「よかった」
嬉しくなってついはにかむ。藤咲さんがオムライスをおいしそうに食べるのを見て、私も一口食べる。ふわとろではないが、味はおいしいと思う。我ながらうまくできたと思いながら、私たちは黙々とオムライスを食べ進めた。
オムライスと言えど、黙って食べていればあっという間になくなってしまう。私が手を合わせて「ごちそうさま」と言うと、藤咲さんも後に続いて「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
「お粗末様です」
「千代田さん、これ、とてもおいしかった」
そう言って藤咲さんは私に初めて笑顔を見せた。彼女の笑顔はかわいらしくて、私にはそれが眩しかった。
「それはよかった。藤咲さんとてもおいしそうに食べるから、私も嬉しくなっちゃった」
彼女の笑顔に私も笑顔で応える。いい気分のままわたしは二人分の食器を持って立ち上がり、台所へと運ぶ。
「藤咲さん、お風呂沸かしてあるから、先に入っておいで」
「わかった。ありがとう」
そう言って彼女はお風呂場へと姿を消した。私は食器を洗ってから自分用のココアを淹れ、さっきまで藤咲さんと座っていたソファに一人で腰かけ、一息ついた。そうしたところでバスタオルを用意してなかったことに気付き、慌ててお風呂場へと向かった。
「藤咲さん。バスタオルと着替え、ここに置いておくね」
コンコンと扉をノックしてから中にいる藤咲さんに呼びかけると、「ありがとう」と返ってくる。
ようやく一息ついた私はソファに戻り、深く腰掛ける。テーブルに置いてあるココアを一口飲むと、甘い香りが口いっぱいに広がった。その中にほんの少しカカオの苦みが感じられておいしい。
私は特にすることもなくスマホを取りだしてぼーっと眺める。しばらくするとお風呂場から私の部屋着を身にまとった藤咲さんが、タオルを首にかけながら出てきた。
「千代田さん、お風呂ありがとう」
「うん。じゃあ私も入ってきちゃうね」
私は残っていたココアをグイっと一気に飲み干す。喉を通ったココアは時間が経って冷めていたのか、すっかり冷たくなっていた。空っぽになったカップを流しに置いて、着替えを持ってお風呂場へと向かった。
体を洗ってから、肩までしっかりとお湯につかる。はぁ、と息を吐くと少しだけ響いて大きくなる。それを打ち消すかのように、ピチャンという水の滴る音が反響して浴室内を満たした。
お風呂に入るとリラックスできるが、いろいろと考えてしまう。頭に浮かぶのは藤咲さんのことばかりで、彼女のことが気になって仕方ない。いろいろと聞きたいことはあるが、どこまで聞いていいものか。
今までまともに話したことすらなかったクラスメイトと、今は同じ時間を共有している。それでも今日彼女が見せた笑顔は、私に少しばかり心を許しているように見えた。けれどだからと言って何でも聞いていいとはならず、私には彼女の事情を聴く勇気はない。
結局悩むばかりで何の覚悟も決まらないまま私はお風呂を上がった。リビングに戻ると髪を濡らしたままの藤咲さんがソファにちょこんと座っていた。
「藤咲さん、髪乾かしてきたら? 風邪ひいちゃうよ」
「うん」
そう言うと彼女は髪を乾かしに洗面所へと向かった。少ししてサラサラの髪になった藤咲さんが戻ってきて、ソファに座ってる私の隣に腰かける。見ると彼女の目は半開きになってうとうとしていた。時計を見ると針は九時半を回ったころを指していた。
彼女はいつもこのくらいの時間に寝るのだろうか。それとも家出や他人の家で過ごすことに緊張していたのだろうか。
どちらにせよ限界が近い彼女のためにも、いつもよりだいぶ早いが寝ることにしよう。
「今日はいろいろあって疲れたでしょ。もう寝よっか」
すると彼女はうとうとしながらも言葉なく頷いた。
「あ、でも布団一つしかないから……私ソファで寝るから藤咲さんベッド使っていいよ」
「私が……ソファで寝る、から……」
藤咲さんは首を横に振りながらそう言った。でも彼女は行く当てもなく家出をしてきて、今はこの家の客人だ。私も引くわけにはいかない。
「いやいいよ、私がソファで寝る」
そう言うと彼女は首をぶんぶんと横に振って一歩も譲ろうとしない。お互いがソファで寝ると言い張って埒が明かないのでどうしたもんかと悩ませていると、藤咲さんから消え入りそうな声が聞こえてきた。
「じゃあ、一緒に寝よ……?」
頭をコクコクとヘッドバンギングさせながら、限界になっている彼女がそう言って私の袖を軽く引っ張るもんだから断るわけにもいかない。その可愛さの前に私は折れるしかなくて、「わかった」と言ってから私の部屋へ移動した。
壁際に藤咲さんを寝かせ、私はその隣に入る。シングルベッドだから二人で寝るには少し狭いけれど、女子高生二人ならギリギリおさまりそうだった。
布団を被って隣を見ると、藤咲さんの顔が近い。少し動いたら当たってしまいそうなほど近くにあるその綺麗な横顔に向けて、私は語りかけるように呟いた。
「おやすみ。藤咲さん」
「…………おやすみ」
ほとんど寝ていた彼女を起こしてしまったかと思ったが、一瞬だけ目を開いてそう言うと彼女はまたすぐ眠りについてしまった。よほど疲れていたのだろう、スースーと寝息を立てながら気持ちよさそうに眠っている。
一緒の布団に入っていると、藤咲さんの温もりが感じられて温かく気持ちいい。少し窮屈な布団も、これならありだなと思う。
一月の夜は寒い。気温も氷点下にまで下がり、部屋の中と言えど体が冷えて居ても立っても居られない。
けれど今はそうでもない。藤咲さんの温もりが私を温めてくれる。私はそれをもう少し感じたくて体を中へ寄せる。
そうしているうちにだんだんと意識が遠のいていき、気が付けば夢の中に落ちていた。
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