友
風馬
第1話
マスコミは欠陥品を見つけると、飢えたハゲタカが餌を突付きまわすように、その欠陥品を叩き、そしてその会社を非難する。
やがて、その会社はテレビのワイドショーで取り上げられ、出演しているゲストや解説者は、 「こんな物が世の中に有っていいのか」とコメントをする。
そして、そのワイドショーを見ている私達に、その会社のイメージをダウンさせ、商品の価値の無さを頭の中に埋め込む。
今年の夏。R社の商品がマスコミに取り上げられた。
その商品が人身事故を起こしたからだ。
こぞって、どこのワイドショーもR社の商品の欠陥を指摘する。
「こんな事は、発売する前からわかっていたことだ」
そして、テレビにはR社の責任者の謝罪する姿が映し出される。
沢山のテレビカメラの視線と容赦無いフラッシュの光線銃に浴びせられて、細身のR社の責任者の姿をさらに小さくさせる。
小さな責任者は小さく呟く。
「本当に、本当に申し訳ありませんでした」
その一挙手一投足にカメラが、そしてフラッシュが責任者を責め立てる。
しかし、こんな遣り取りも一過性のもので、部外者以外の人間には記憶のほんの片隅にしか残らない。
ある日、私は高校時代の友人に電話をした。
もうすぐ12月ということもあり、年末の有馬記念の情報交換でもしようと思って…。
「もしもし、Tですけど・・・」
いつも通り友人の母が電話に対応をする。
「あ、守山ですけど・・・」
「少々お待ちください」
保留中の音楽を一通り聞き終えた後、電話が繋がった。
「もしもし・・・」
「守山ですけど」
「あのぉ、今立てこんでるから1時間後に電話をして欲しいそうなのですが・・・」 その友人の母の言葉に少し驚いた。
普段っていうか、既にその友人とは10年以上付き合っているのだが、今までに無い回答だったからだ。
内心仕事でもしているのかなぁと考えながら、「じゃ、後で電話します」と言って受話器を静かに置いた。
1時間後私は再び受話器を手にとった。
「もしもし・・・」
「あ、守山だけど」
「守山君・・・」
受話器の向こうから、何かに怯えたような小さな声が聞こえる。
「ん?今日は何か元気が無いね。どうかしたん?」
「守山君、R社の商品のこと知ってる?」
R社?そう言えば数ヶ月前にマスコミを賑わせたあの会社だ。
確か某ネット検索サイトのニュースにも載っていたから、かなり大きい事件だったような記憶がある。
「うん、なんかあったよね」と私はなんとなく知っているような素振りで応対した。 「実は、うちの会社でもね、R社と似たような商品扱っていてね、それで、そのお客さんにね、謝罪の電話を入れてるんだ」
「え?だってT君のT社は関係ないやん」
「でもね、あの事件で、こっちもとばっちりを受けてね。一応お客さんのリストとかの整理を、家でやってるんよ。 会社のマシンじゃ遅いしね。さっき電話を貰った時にあと1時間位で終わるかなぁって思ってたけど、ごめん、終わらんかった」
「謝ること無いよ。勝手に電話をしたのは自分だし」
「あぁ、つい出てしまった。もうここの所電話で謝りっぱなしでね。そう言えばもう1ヶ月くらい競馬もしてないよ」
「え?じゃぁ、会社に休みの日も出てるん?」
「うん、自分だけじゃないけどね。うち等のグループ殆どね。もう、休みも何も関係ないんよ。客のなかには怖い人もいるしね。 本当に、もうこっちも直ぐに会社辞めて客の家に行って文句を言いたいくらいよ。いっつも、逆ギレしとるよ。 なんで、こんなん責められないけんの」
「上の人に言って、仕事とか変えてもらえんの?」
「だめだめ、そんなん。だってきついのは自分だけじゃないし、それに、自分がやめても結局誰かがせないけん仕事やし。 あ、そう言えばうちの担当部長は逃げたけどね」
「部長から格下げとかで?」と私は思ったことを素直に問う。
「いいや、なんか部署を移動するだけみたいよ。ほんと、上のものは楽よね」
「そうよね。上のものとか1回頭下げれば済むけど、下のものはねぇ」
「そうなんよ、一番きついのは下のものなんよね」
「でも、良い事があって最初に表彰されるのは上の者ってね」
「そうそう。」
「話変わるけどさぁ、俺でなんか手伝えることって何か無い?」 私は、友人に質問した。
「え?」
「だって、家のパソコンで仕事をしよるんやろ?それで、何かプログラムでも要るんやったら、俺作るよ」
「ありがとう。その言葉だけでも嬉しいよ。実は会社の人にエクセルでプログラムを作ってもらったんよ。 でも、急やったから徹夜したらしいけどね」
「ふぅん、そうなん。けど、それを使うのも大変やろ」
「そうでもないよ。作ることに比べたらね。守山君は偉いよね。プログラム作れるし」
「プログラム作ることが偉いわけじゃないよ。たまたま、自分に合った仕事がプログラマーだっただけだし、 それに、俺にはその謝罪の仕事とかとてもじゃないけど出来ないよ。」
「謝罪の仕事ねぇ。相手が怖い人じゃなきゃ良いけど、絶対怒鳴られるもんね・・・。あ、ごめんね。ずっと愚痴ってて・・・」
「ううん。いいよ。別に、愚痴を聞くのは嫌いじゃないし」
「正月は帰ってこんのよね?」
「うん、今のところはね。来月くらいになったら仕事終わってるかなぁ。良かったらまた、電話してもいいかな?」
「多分終わってると思うから。ごめん、長話して。そろそろ仕事をせんといけんけ・・・」
「じゃぁね。おやすみなさい」 そう言って私は電話を切った。
思いもよらない電話だったと言うのが素直な感想だった。
しかし、客が自分だったらと思うと、友人には申し訳ないが客の気持ちもわからないでもない。
というのも先日、新聞会社と一揉めしたからだ。
確か集金の件だったと思うが・・・。
そうだ、確か1度集金に来て、丁度そのときに持ち合わせが無かったので「来週来てくれ」と頼んだ。
しかし、次の週になって待てども新聞の集金屋は来なかった。
結局その後ビールを飲んで、新聞屋に電話をした。 物凄い剣幕で捲し上げた。
元はと言えば、最初に払わなかった自分に非があるのは明らかだが、その時は丁度アルコールを入っていた為、 感情をコントロールする事が出来なかった。
最後には、「契約破棄」という条件を突きつけて、自分で金を払いに行った。 元々、どうも新聞屋新聞屋は好きになれない性分だったのだが。
たった、「新聞の集金」だけで怒りまくる奴がいるんだ。
高額な商品を買った客の気分だとなるとどうなるか。
さぞかし、友人は大変な苦労をしていると感じる。
そんな時、ふと昔考えていたことを思い出した。
それは、友人と二人で会社を開業するということ。
なんとなく自分勝手に創造していたことだったのだが、やってみたら今でも面白いだろうなぁと思う。
お互いに、競馬と言う趣味があって、偶然にも私にはコンピュータープログラムが作れると言う利点がある。
案を友人に出してもらって、それを私が実現する。
別に出来上がったものは店頭に並べる必要も無い。
インターネットで販売すればいいからだ。
ん〜、本当に実現すれば楽しいだろうな・・・。
そう言えば高校時代は、二人で苦労したしなぁ・・・。
私と友人は、県立の工業高校の吹奏楽部で知り合った。
私の入学した工業高校は、歴史のある高校だった。
一昔前には、甲子園にも出場したことがある。
市内の工業高校の中では、名門だったらしい。
しかし、今考えてみるとこの工業高校に入学できたのも不思議でならない。
中学3年当時の私の学業の成績は丁度学年で半分くらいだった。
数学、英語は大の苦手。
その代わりに、理科と社会が大の得意。
ま、国語は人並みといった感じだ。
クラスの担任の教師も、この工業高校を受けるといったら「受かるか落ちるかは半分くらい」と言っていたくらいだ。
自分自身結構楽天的だったのか、落ちたら就職でもしようと考えていた。
しかし、その時の試験問題が運よく自分に味方してくれた。
今でも結果だけははっきり覚えているのだが、国語が25点、数学15点、社会37点、理科38点、英語が15点。合計130点。
200点満点のうちの130点だから、結果としてはまあまあといった感じだ。
結局この運のよさがものを良い、試験結果の合格発表のボードには、私の受験番号が記されることになる。
しかし、入学した新入生には、とんでもない試練が待っていた。
もともと、市内の高校の中でも一、二を争うほど風紀が厳しいと言ううわさは聞いていたのだが、百聞は一見にしかず。
新入生指導と呼ばれる新入生へのシゴキは生半可なものではなかった。
例えば校歌斉唱。
斉唱とは名ばかりで、各々歌を叫ばなければならない。
小さな声で歌おうものなら、隣に上級生が来て「声がちいさぁいぃ!」と耳元で唾を撒き散らす。
こんなやり取りが2週間続く。
精神的に弱い私は逃げ道を探した。
どうにか、この新入生指導を逃れる道が無いものかと・・・。
道は簡単に見つかった。
下校時には、新入生を部活動に勧誘するために上級生たちが手薬煉をひいて待っていた。
「新入生指導はきつくない?」
「は、はぁ」
「助けてやろうか?」
この甘い言葉に誘われ、私は「吹奏楽部」部員になることになった。
そして、同様に誘われたのが友人だったわけだ。
私は、彼を最初に見たとき、妙な親近感を覚えた記憶がある。
何か他人とは思えない何かを。
友人がどう思ったかはわからない。
それが運命だったのかもしれない。
しかし、楽だったのは、最初の新入生指導のときだけだった。
実にそれからが長い生き地獄と言えた。
下級生に対する上級生の命令は「絶対」だった。
口答えすら出来ない。
頷くしかない。
上級生は、それを楽しむように無茶な注文をする。
はっきり言って私たちは一部の上級生からいじめられていた。
私たちの担当楽器は非常に似通っていた。
私はバスクラリネット担当で友人はバス担当。
丁度、吹奏楽全体のパートで言えば低音部分を奏でる部分だった。
金管楽器と木管楽器という違いはあったが、いつも二人が吹くパートはほぼ同じだった。
しかし、私にはどうも音感がなかったらしく、友人にいつもどう吹けばよいか聞いていた。
そんないきさつで彼と私は知り合い、そして高校を卒業しても付き合いは続いた。 卒業後はただ、酒を飲み会うだけの仲だったが、お互い知らぬ間に競馬をはじめていた。
どちらが競馬をやろうと言ったわけでもなかったのだが、縁とは不思議なものでこの競馬が私たちの仲をさらに良くしてくれた。
その内に年に何度かは競馬場で会い、その帰りに定例のように二人で言い合う。 「競馬で食えるようになったらいいね」と。
その言葉が私の妄想を支配しているのかもしれない。
私は、週のはじめに宝くじを買ったのを思い出した。
こいつで1等でも当たれば、直ぐにでも会社を辞めて独立開業をするのに・・・。 そう言えば、宝くじの当選発表は今日だった。
帰ったら早速インターネットで調べることにしておこう。
家に帰った私は、風呂と食事を済ませいよいよパソコンの電源を入れた。
宝くじの当選有無を確認するために。 パソコンの前に座って起動するのを待つ。
いつもやっていることなのに、今日は何か時間が掛かっているような気がする。
起動するといつもどおりの手順を踏んで、インターネットに接続する。
しかし、今日は繋がらない。普段は途中で止まるようなことはまず無い。
埒があかないので、パソコンを再起動する。
この不具合は、もしかしたら当たっているために神様が焦らしているのかと思う。 そして、再起動後ようやくの思いで宝くじの当選結果のページを見た。
手元にある宝くじと照合する。
1桁1桁間違いや見落としの無いように。 何度も確認する。
しかし、発表されている番号と手元にある番号は違うものだった。
私は、その結果を見て宝くじを捨てると、ゴロンと横になった。
そんなに簡単に大金なんて手に入るはず無いか、それだったら皆大金持ちだよな。 それにしても、どうにかして開業資金を手に入れる方法は無いものだろうか。
開業資金のことを考えても、なかなか結論は出なかった。
私の頭の中の妄想はその内、友人と一緒に旅した山陰地方のことでいっぱいになっていた。
その旅のきっかけは、友人の勤続10年の会社からのお祝いだった。
10万円分の旅行券が会社から貰えるから、一緒に遊びに行かない?と言われて、友人には悪いなと思いながらも承諾した。
主に島根県の益田地方を観光した。
日本一小さな競馬場、益田競馬場や、雪舟ゆかりの地など。
そして、最後の日は須佐のホルンフェルスを見て回った。
1泊2日の旅行だったがとても楽しい夏の思い出だった。
そんな思い出からふと我に返る。
待っていても、開業資金はやってこない。
一か罰か賭けてみるか?という気になる。
私はかつて2度独立開業して、失敗していた。
いずれの失敗も、資金の欠乏によるものだった。
多少の貯金や取り敢えずの当面の仕事はあっても、長くに渡ってなければ資金は減少していく。
それでも、今回懲りずに独立しようとしている。
当面の資金でもあれば・・・、と何度も思う。
今、手元にある資金と言える金は100万円しかない。
これを元手に見切り発車するというのも手だなと考える。
しかし、これだと元手を食いつぶすのには2人で3ヶ月しか持たない。
3ヶ月と言う期限で何が出来るのか。
先行きが不透明なだけに、不安は大きい。
せめてもう少し、資金があれば・・・。
そして、考えがまとまらぬ間にごく普通に21世紀はやってきた。
私は正月だと言うのに実家に帰ることはしなかった。
出来れば無駄に金を使いたくないというのが本音だった。
それに、帰省ラッシュの波に飲まれるのが嫌だった。
私はなんとなく、ブラリと郵便ポストを確認しに行った。
年賀状が来てるかも・・・という期待を胸に。
期待通りに郵便ポストには年賀状が届いていた。
家族からの年賀状に、そして、友人であるT君からの年賀状だ。
友人の年賀状には、今年もよろしくの後にやはり会社であっている苦慮の文面が綴られている。
その文面を読んで私は決意した。
もう我慢できない。独立して友人を救おう。
勝手なわがままかもしれない。
自分の事は棚上げだ。
もう自分がどうなってもいい。
心から素直にそう思った。
早春。
私は東京のマンションから北九州に引越しをした。
会社を辞めて、独立開業した。
そして、新たにマンションの1室を借り、自宅兼事務所にした。
引越しが落ち着いた頃、私は友人に電話をかけた。
「もしもし、守山ですけどTさんいらっしゃいますか?」
「あ、もしもし、守山君?」電話口に出たのは友人だった。
「あのさ、いきなりで申し訳ないんだけど…」
「え、何?」
「実は俺、九州に戻ってきちゃった」
「え?何で?」
「ん?独立したんよ。まだ、会社組織ではないけど、とりあえず自宅に事務所構えたよ」
「おめでとう」
「ありがとう。それでさぁ、是非T君にうちの会社の副社長になってもらいたいんだけど」
「え?副社長?って2人とも役職つき?」
「そうだよ。だめかなぁ」私も笑って受けこたえる。
「うん、じゃぁ少し考えさせてもらえる?」
「良い結果を期待してるよ。じゃぁ今日はこの辺で」そういうと私は受話器を置いた。
友人は思いのほか明るかった。良い答えを期待しても良さそうな雰囲気だった。
数日後、友人から電話があった。この間の回答だったのだが、結論は「OK」だった。
ただ、会社を辞めるのに1ヶ月ほどかかるのでその期間は待って欲しいと言われた。もちろん、私もそれは承知の上だった。
それから1ヵ月後、友人と私は事務所で顔合わせをした。
二人の新しい門出に、窓から漏れる光が祝福しているようだった。
早速私たちは、真新しい机に向かい合って座り会議を開いた。
それは、私たち二人の今後を決める会議だった。
「まず、野球ゲームを作ろうと思うんだ」と開 口一番私は言った。
「うん。それは、守山君 にまかせるよ。自分が一番やりたいことがいいと思う」「その後に、競馬予想ソフトを作ろうと思う。その時は T 君の知恵を是非貸して欲しいんだ。無論野球ゲームでもお願いはするけど」
「わかったけどさ、具体的に僕は何をすればいいのかな?」
「ん~、そこなんだけどさ、まずはプログラムの勉強と、僕が作った ソフトの評価をして欲しい」
「勉強と評価ね。 評価は・・・」
「あ、そんなに難しく考えなくていいよ。思ったことを言ってくれれば。でも、出来上がるまでには時間が少し必要だから、 その間は勉強をしてもらえるかな」
「話は変 わるんだけど、この間のときに給料の話ってし なかったよね。汚い話になるけど、どの位もらえる?」「
いずれはしないといけない話じゃない。一応月30万でどう?」
「いいよ。そ れで」私は友人の即答に安心した。
「じゃあ、 取り敢えず野球ゲームの製作に掛かるね。勉強と評価の方重ねてお願いするね」
そう言って、会議を半ば強制的に終わらせて、私は製作に入った。
それから、1ヶ月黙々と私は製作作業に没頭した。
今までは、気楽だったプログラ ミング作業も友人のことを考えて行動せねばいけないと思うと、少し身重に感じた。
売れるか売れないかで今後の開発に大きく影響するからだ。
大きな波も無く野球ゲームは1ヶ月で 完成した。
友人の評価も、別に悪くないと言 う評価だった。
私は早速ダウンロードサイトに野球ゲームを登録した。
インターネットで は数が勝負だ。薄利多売という奴だ。
これは、登録してから1ヵ月後にわかったことだが、残念ながらあまり一般のユーザーからは良い評価は得られなかった。
無論、利益すら生まない ソフトと化した。
野球ゲームの開発後休むま もなく、二人の本題である競馬予想ソフトの作成に着手した。
二人で、競馬予想紙とそして その結果を見ながらいろんな予想法を考えた。
ただ、どの予想方法もどこか良い点があっても、 実際に使い始めると欠点が露(あらわ)になっ てくる。
いたずらに時間だけが過ぎていく毎日だった。
やがて、1ヶ月が経った。
前回作った野球ゲームは殆ど売れず、資金は底をつき始めた。
毎晩遅くまで二人で予想方法を考えながらもなかなか、「これは!」という方法を思いつかない。
それに、私は資金不足という大きな十字架を背負っていた。
私はある休日、サラ金に手を出した。
もちろん、とりあえずの資金を得るためだ。
こうするしかない。
見えない十字架は思ったよりも重く、そして大きかった。
そんな毎日を送っていながらも、未だに予想方法は確立していなかった。
大衆受けするソフトで且つ高利益をもたらす様な夢のような予想ソフト。
しかし、私はその考えを改めるようにした。
大衆受けするソフトで高確率に利益をもたらす予想ソフト、これなら何とかなりそうだと感じた。
そのことを思い立ってから、直ぐに二人で会議を開いた。
「T君…実は少し路線変更しようと思うんだ」
「え?どういうこと?」
「うん。今までは高利益を生むソフトを目指してたじゃない?それを止めて、高確率にかえてみたらどうかな…と思って」
「で、具体的にはどうやって高確率なソフトを?」
「今までは基本的に予想は、馬連をターゲットにしてきたけどそうじゃなくって、複勝狙いにしたらどうかと思って」
「ん~、でも、ユーザー数は?守山君『数が勝負だって』言ってたよね?複勝を買うユーザーなんてそんなに居ないと思うよ」友人の厳しい意見に反論も出来ない。
(でも、このままじゃぁ…)思ったことも飲み込むしかない。
「ごめん、ちょっと俺弱気になってた。今までどおり予想方法を考えよう」と私は言っていた。
正直私は、路線変更したのには訳があった。
ユーザー数ももちろんそうだったが、いつも私の前にぶら下がっているのは資金不足という忌々しい十字架だ。
それを打破するには、一定収入が欲しいと思ったからだった。
世に出さなければ、売れない。
そんなジレンマが生まれていた。私は、給料日が近くなるたびにサラ金のATMへ足蹴もなく通った。
いつの間にか借金は7桁を数えた。もう一桁も時間の問題だな。
ATMを出るときはいつも後ろめたい気持ちになる。
今度は返しに来よう…そう思いながら、何ヶ月たったのか…。
それから直ぐに給料日が来た。
いつも通り友人の口座に給料を振り込む。そして、自宅兼事務所に着いた私は、事務所の机に置手紙を置いた。
遺書と言われてもしょうがない文面だった。
借金は自分名義の物だから、会社には影響が無い。これ以上続けていっても、存続は難しいと判断したからだ。私は夜行列車に乗った。
目的は特に無かったのだが、季節が夏だったこともあり、以前に友人と訪れたホルンフェルスで死のうかな?という意識があった。やがて、列車は島根県に着いた。着いた時間が深夜だったため、駅近くのホテルに一泊した。明くる朝、私は須佐に向けて改めて出発した。
鈍行の列車に揺られ、そして、窓から見える打ち寄せてくる日本海と綺麗な夏空を見ながら…あの時もこんな天気だったよなぁと友人と訪れた時のことを思い出す。T君は今朝はどうしてるかな?
あの手紙…置かない方が良かったかな?そんな考えが脳裏を過ぎる。やがて、列車は、須佐駅に到着した。
ここからホルンフェルスまでは丁度10Kmある。タクシーで一気に行こうかとも思ったが、この世の最後にもう一度辛い目に遭うのも一興だと思い、歩いていくことにした。前にホルンフェルスに来たときには、何Kmあるかわからずに歩いた。今度はわかっていて歩く。
駅から目的地までは丁度小さな山をひとつ越えるといった感じだ。曲がりくねった道を歩き、峠の先まで見えない山道を歩いた。何時の間にか太陽は真上に昇り、容赦なく私に熱を浴びせる。私の歩みの遅い歩きでも1時間半も歩くと峠に達した。ここから約3ぶんの1だ。
ため息を漏らしながらひたすら歩く。すでに脳裏には自殺しに行くと言う意識はない。歩くだけで精一杯だ。
そして、終に目的地ホルンフェルスに着いた。
相変わらず、ちっぽけだな?と思う。近くに行ってみるととても雄大な景色に見えるのだが、山の上から見る景色ではそんな威圧感すら感じない。この世の最後の見納めに見てくるかな?と思いホルンフェルスまでの獣道を下っていった。
平日という事もあり、ホルンフェルスには人影は数えるほどしかいない。
私は、下まで歩くと振り返りホルンフェルスを見上げた。黒と白と黄色の地層が斜めに綺麗に並んでいる。さて、灯台のほうに歩いていこうとした時、後ろから声がした。
「も、守山君…」
その声は紛れも無く友人T君の声だった。
私は恐る恐る、後ろを振り向く。
友人は肩で息をしていて、そして、苦しそうに腰を曲げて下を向いている。
「何で…T君…」
息が整ってきたのか友人はまっすぐ私の方を向くと、無言で私の目を見つめ返した。
「間に合って良かったよ。今朝嫌な予感がして…、ちょっと早めに会社に行ったらこれがあったから、直ぐに新幹線に飛び乗ったよ」と言うと、後ろポケットから私が書いた手紙を出した。
「場所も直ぐにわかったよ。今日7月5日は丁度2年前ここで二人で来た場所。で、守山君…一緒に帰ろうよ」
「い、いや…」
駆けつけたくれた友人の言葉に、私は返す言葉が見つからなかった。まるで、1つ欠けたジグソーパズルのように…。
「理由は借金なんでしょ?」友人は明るく質問する。
「な、なんで…」
「最近やけに暗かったし、この間の会議のときになんとなく感じていたんだ。会社うまくいってないんじゃないかって」
「うん。実は…その…借金でね。前のソフトが売れてればこんなことには…」思わず本音がこぼれる。
「借金は守山君一人のせいじゃないよ。会社のために借金したんでしょ。協力して返していこうよ」
「で、でも…」
「大丈夫だって。僕だって貰ったお金は全部使い切ったわけじゃないんだよ。ちゃんと貯金していたから、少しは足しになると思うよ。」
その友人の言葉に私の顔が崩れ、目から涙がこぼれた。
「…」
「それと、この間の複勝ソフトの件…駄目で元々でやってみようかなって気もしてきたんだ」
「え?」
「だってさぁ、よく考えたら馬連のソフトはその後でもいいしね」そう言って、友人は屈託の無い笑顔を見せた。
「じゃぁ、もう一度、本当に申し訳ないけど協力してくれる?」
「もちろん、友達として、それと同じ会社の人間として」
友人と私はそれから北九州に一緒に帰った。
一人で背負っていた十字架も二人で背負うと何だか肩の荷が少し軽くなったように感じた。
それからの私たちは、まず、複勝ソフトの予想方法を考えた。もっぱら考える担当は友人の方だった。
それと平行に私は予想入力プログラムを作った。完成するまでに思っていた以上に時間はかからなかった。
そして、完成したソフトをダウンロードサイトに登録した。今回もやはり、ダウンロードの数はあまり伸びなかった。ある事が起こるまでは…。
完成から1ヶ月ほど過ぎたある日の朝。
私はいつも通りパソコンを立ち上げるとメールのチェックをした。
その日は、1通のメールが届いていた。競馬の編集部からのメールだった・
「是非、御社の複勝ソフトの紹介をしたい」と…。
そのメールのことを、友人が着くなり報告した。
何度も雑誌に掲載されたことのある私にとって、それは珍しくも無いことだった。それによって、売り上げが一気に上がると言うことは到底考えられなかったからだ。
数日後、掲載された雑誌が発売された。その日を境に、私のメールアドレスには怒涛のようなメールが届くようになった。どのメールも「購入されました」と書かれてあるダウンロードサイトからのメールだった。
そして、掲載から一ヵ月後、売り上げ本数は2万本に達した。その本数は、今までの借金を棒引きにしても有り余るほどの利益をもたらした。
やがて、売り上げ金額が振り込まれた数日後、友人と私はささやかな打ち上げパーティを開いた。
その中では、今までの苦労話や、そして、私が自殺しようとしたことなどの話題。
さらには、友人の前の会社を辞めるときの話などで盛り上がった。
二人で声を揃えて言う。
「マスコミって怖いねぇ」
そして、パーティの最後に「昨日の敵は今日の友」と言って、私たちは豪快に笑った。
友 風馬 @pervect0731
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