米喰み様      sh  

三〇年ほど昔の体験だ。

私は小さな山奥の村で育った。村の名前は「米喰村」というらしく、昔から米が良く取れ、他の村が飢饉に陥ってもこの村だけは毎度難を逃れていたらしい。この村は田んぼが土地のほとんどを占めており、公園などといった子供の遊び場は何も無かったそ。そのため私や村の子供たちは田んぼの生き物を捕まえたり田んぼの周りで鬼ごっこをしたりといった古典的な遊びで暇を潰していた。

そんなある日、いつものように友人のA男、B男、C美、B男の弟のD君と鬼ごっこをして遊んでいた。鬼ごっこを終えて一時休憩をしているとリーダー格のA男がいきなり

「新しい遊びやりたくないか?」と提案をしてきた。

皆、A男が何をしようとしているのかは目見当もつかなかったが、新しい遊びと聞いて、普段の遊びにかなり飽きていたのもあり、期待に目を輝かせた。

彼曰く、来週にやる予定の「送りの儀式」に使われる神社にイタズラをしようとのことだった。

「送りの儀式」とはこの村で祀られている豊作の神様に、年に一回お供え物を備えるための儀式だ。儀式が迫っているため最近では大人たちが忙しく神社を出入りしていた。

しかし、神社には私たちも何度も出入りしているため、今更神社の探検と言われても正直、心が惹かれるような感じはしなかった。それは皆も同じなようで、A男の話を聞いた途端つまらなそうな目をした。

「まあ待ってくれよ、ただ神社に行くってだけじゃない。神社の中に入るんだ。」

神社の中というのは社の中のことだろうか。確かにあの中には入ったことは一度もない。大人たちが入っていくところも見たことはない。親たちからは中に入ることは厳しく止められていた。理由は教えられなかったが。私たちは一気に目を輝かせた。

「それじゃあ明日の夜十二時に神社に集合な!」

その夜、私たちは神社の鳥居の前に時間通りに集合した。夜の神社は物静かで、真ん中にそびえる社に飲み込まれるような気がして、昼間よりもいっそう不気味だった。秋の風が頬を撫で、寒気がする。怖がりな私は既に少し足が震えていた。

「じゃあ中に入ってみようぜ」

B男が社の扉を開けようと取っ手に手を伸ばした。しかし扉は長く開けられていないようで、なかなか開かない。そこでA男も一緒になって引っ張った。すると、長年使われていなかった扉の取手はバキッと嫌な音がして壊れた

「やべっw」

「やっちまったw」

A男とB男は顔顔を見合わせてニヤニヤしてる

「どうせ使われてなかったもみたいだし大丈夫だろ」

A男は飄々とした様子でそういった。

取手が壊れるほど引いたからか、扉が軋みながら開いた。瞬間、中から生暖かい風と何かが腐ったような匂いが流れてきた。嫌な雰囲気を感じ、悪寒が全身を駆け巡り、鳥肌が立つ。

「わ……私、やっぱり入れない」

怖気付き、言葉が溢れてしまった。A男が「なんだよ、ビビっち待ったのか?」と茶化す。しかし私はそんなものも気にならないほど、社の奥から感じる不気味さに恐怖を感じていた。

 結局私は外で待ち、A男、B男、C美、D君の四人で社の中に入ることになった。

「じゃあ行ってくるから。そこで待ってて」

C美がそう言うと、四人は入っていってしまった。

 そこから一〇分ほど経った。私は一人でいるのが心細くなり、一度様子を見に行こうかと考えた。

その直後、何かが割れるようなけたたましい音が社の中から聞こえた。慌てて中を覗き込むと、そこには呻き声を上げながらうずくまるA男と、それを見て凍りついているB男、パニックになり泣いているC美とD君、そしてA男の横には、壁に叩き付けられて壊れたであろう木箱が転がり、その中からは赤黒い液状の何かが流れ出てきていた。

A男は悪夢でも見ているかのように、「やめろ…喰うな!嫌だ…喰べないでくれ!」と叫んでいた。

私はパニックになりつつも、この状況が自分たちでどうにかなるようなものではないと悟り、急いで神社を出て大人を呼びにいった。家に駆け込み、父親と母親を泣きながら叩き起こした。

親は何事かと困惑していたが、私が「神社」という言葉を発した途端、血相を変えて電話機を取り、村長や他の大人の人たちに電話をし始めた。すぐに村中の大人たちが集まり、神社へと向かった。すぐにA男や他三人が社から出された。その時のA男は目を開け、うわごとのように何かを呟き、口からは泡が出ていて、明らかに尋常な様子では無かった。A男の親はその様子を見て泣き崩れていた。三人も放心状態になり、正気では無かった。そこからA男は布団に寝かされ、私たち四人は村長の家に呼ばれ、事情を聞かれた。

普段は優しく、怒るところが想像できなかった村長から「オメエらあそこで一体何をした!」と、鬼のような形相で怒鳴られて、さっきまでの異常事態も相まって私たちはまた泣いてしまった。

そこから落ち着いた後に、私たちは口々につたない言葉で先ほどまでの状況を懸命に説明した。みんなで社の中に入ろうとして取手を壊したことや、中でA男が箱を壊したこと、直後にA男の様子がおかしくなったことなど、できるだけ全部話した。全てを聞いた村長は立ち上がり、どこかに電話をし出した。

話終わると村長は「今日はもう遅いから寝なさい。そして明日の朝一に神社に来なさい」と言った。

私たちは訳が分からなかったが、言われるがまま、その日は布団に入った。しかし寝ようとしてもその日は眠れなかった。

 次の日、私たちは言われた通り神社に来た。A男はその場に来ていなかった。昨夜壊した社の扉は木の板が打ちつけられて塞がれていた。しばらくすると、村長ともう一人知らない初老の男性が来ていた。その人は神主服に身を包み、真剣な面持ちをしている。

「この子達が……」

私たちは神社の脇にある倉庫のような建物に連れて行かれ、そこで男性の話を聞くことになった。男性は代々この神社の管理を任されている神職の家系らしく、現在私たちの置かれている状況を説明してくれた。

話によると、私たちはあの神社に祀られていたものに魂が取り込まれそうになっているらしい。そのため今から次の日の朝までこの部屋(禊用の部屋らしい)に閉じこもり、何があっても外には出ず、一言も発してはならないとのことだった。説明の後、神主の男と村長は部屋から出て禊の準備に入った。その際に私たちは先ほど言われたことを何度も念押しされた。

そこから私たちは無言のまま壁沿いに寄りかかって過ごした。A男のこともあり、私たちは気まずさから互いに顔を合わせなかった。部屋の中からは時間がわからないため、いつもならすぐに終わる一日がとても長く感じた。

しばらくそういうふうに過ごしていると、徐々に壁から漏れる光が暗くなっていった。外が完全に暗くなり、部屋の中が完全に闇に染まった。もう互いの姿も見えなくなった。すると、「シャン…シャン…」と鈴のような音が聞こえるようになった。神主が儀式をしているのだろう。お経を読む声も聞こえて来た。しばらくその声を聞いていると、お経の声に紛れて何かが這いずるような音が聞こえて来た。最初は気のせいだと思うようにしていたが、だんだんと音が大きくなっていった。明らかに気のせいなどでは無い。その音はグルグルとこの小屋を回るように聞こえる。明らかに近づいて来ている。私の心臓の跳ねる音が大きくなり、呼吸が荒くなる。私は音から離れるように壁際から部屋の真ん中に少しずつ、這いずるように移動した。

すると誰かと肩がぶつかった。私はビクッとして当たった方を見る。C美だった。どうやら他の三人も真ん中に集まっているようだった。互いの体温を感じて少し安心する。

今度は爪で引っかくような不快な音が聞こえて来た。正面の扉からだ。何かが入ってこようとしている。私たちは震えながら身を寄せ合う。

「ギイイイイイ…ギイ…ギイイイイイイ…」

引っかく音はどんどん激しくなる。しばらく引っかく音は続いていた。しかし、あるときいきなり音がピタっと止んだ。代わりに、何か囁き声のようなものが聞こえて来た。

「……いた。……か……いた」

何を言っているのかは分からない

「……なか……いた……」

声は、だんだんと大きくなっていく。

「おなか……すいた」

お腹空いた?その声は男とも女ともつかないような声で、お腹が空いたと訴えて来ているようだ。

「おなかすいた」

今度ははっきりと聞こえてくる。何故いきなり?私たちは訳が分からずガクガクと震えながら互いに抱き合う。

「おなかすいた、おなかすいた」

声が聞こえる頻度が多くなっていく。

「ドン……ドン……」

声に混じって扉を叩くような音も聞こえてくるようになった。

「おなかすいたおなかすいたおなかすいた」

「おなかすいたおなかすいたおなかすいたおなかすいたおなかすいた」

「バキッ、バキッ、バキッ、バキッ」

声がどんどん大きくなり、扉を叩く音はまるで殴るような音になっている。扉にかかっている管抜きが今にも外れそうなくらい震えて、私は精神がおかしくなりそうだった。

「ドンッ!バコッ!バキッ!」

扉の揺れが大きくなり、その隙間から外の様子チラチラと見える。その時私は目が合ってしまった。

扉を叩くその『何か』と。

その『何か』の背格好は子供くらいだった。肌は腐ったような灰色で、眼窩は落ち窪んで、その口は涎が垂れ、薄らと口角をあげているその隙間から覗く歯は、ボロボロに崩れて尖っていた。まるで化け物だ。その姿を見て私は思わず声が出そうになる。私は必死に口元を押さえていた。

「オナカスイタオナカスイタオナカスイタオナカスイタオナカスイタオナカスイタオナカスイタオナカスイタ!」

声はまるで壊れた録音機のように不気味で不自然に繰り返していた。声はとどまるところを知らず、今では叫び声くらいの大きさになっている。

「オナガズイダオナガズイダオナガズイダオナガズイダ」

「オナガズイダオナガズイダオナガズイダオナガズイダ」

「ドンッ、ドカッ、バキッ、ボキッ、」

狂いそうなほど繰り返し聞こえるその声で精神はすり減り、本当に限界を迎えそうだった。

意識が飛びそうになったその時だった。

「アガギャバギャギャグギャギャギャギャギャアアアアアアアア!」

壊れた録音のような声とは一変、まるで激しく苦しむような声が聞こえてきた。恐る恐る顔を上げ、扉の方を見ると、傷ついた扉の隙間からほのかな光が見えた。

朝だ。

精神の疲労からか、そんな感想しか出なかった。もうあの狂いそうになる声は聞こえない。私たちが放心していると、いきなり扉がガラッと開いた。私たちは身構えたが、そこからのぞいた顔はあの『何か』のものではなく神主のものだった。

「皆さんよく頑張りましたね。」

神主の労いの言葉を聞き、身体中から力が抜けた。それと同時に一晩中こらえていたものが溢れ出し、私たちは大声をあげて泣いた。

 ひとしきり泣いて落ち着いたあと、私たちは神主が普段いるというお寺に連れていかれた。そこで昨晩見たものや、私たちが住んでいる村についての話をされた。

神主の話によると、ここら一帯の地域は昔土地や気候が悪く、米がほとんど育たないという、今のこの村とは真逆の状況だったらしい。そのうえこの地域を治めた将軍様が、明らかに他の地域よりも厳しい量の年貢を取り立てたのだとか。当然収穫できた少ない米は、全て年貢として取られてしまうため、村の人たちは皆食べるのに困り、ついには飢餓による死者まで出てしまったという。

この時すでに村の人たちは全員狂っていたのだろう。

ある一人の村人が、米と同じくらい価値のある人の魂を捧げる事で神様に米の豊作を祈ろう、という提案をした。

当然そんなことをしても米が豊作になる保証なんてない。しかし村人たちは全員その案に賛同した。そこで生贄として目をつけられたのが、五歳ほどの男の子だったらしい。当時働けない子供は村のお荷物であるという考えが強かった。当然男の子は嫌がり抵抗をしたが、手脚を切り落とされた上に、生贄として一つの部屋の中に閉じ込められ、餓死するまで放置された。その後死体は村人に作られた祠の中に安置され、御神体として祀るようになった。その翌年、その村では今までに例がないほどの豊作で、村人たちはその御神体を『米喰み様』と呼び、よりいっそう崇めるようになった。

しかしその時から村では、「おなかがすいた」といって田んぼの回りを徘徊する痩せ細った子供が目撃されるようになった。目撃したという村人は皆、何かに怯えるように家に篭るようになり、その後まるで餓死したような様子で発見された。村人たちはこれを「米喰み様」の祟りと考え、町から有名な神主を呼びお祓いを依頼した。

しかし神主は御神体を見た瞬間顔を顰め、お祓いの依頼を断った。他の神主に依頼しても似たような反応で、誰もお祓いを受けてくれる人はいなかった。村人たちは途方に暮れ、日々の農作業にも手がつかなくなった。

その時、村に一人の若い修行僧が来たらしい。その修行僧は村の静まり返った雰囲気を見て村の村長に話を聞きに行った。そして話を聞いた後に、「なんとかしてみる」といい、御神体の前に向かった。そして御神体として祀られた子供の死体を取り出すと、その死体に対してあの禊の儀式を施した。

そして村人たちから血を集めそこに子供の怨みを封じ込める儀式をし、あの木箱の中に封印した。そこから年に一回儀式をすることで、溜まった怨みを天に昇らせるということから「送りの儀式」が始まったらしい。

 神主はひとしきり語り終えたあと、悲しい顔をした。

「怨みを溜めるものが無くなった今、村には再び災いが降り注ぐだろう。村は近いうちに崩壊してしまう。」と言った。私たちは言葉が出なかった。

 木箱を壊した張本人であるA男はあのあとどんどん衰弱し、変死した。村に住んでいた人は一人、また一人といなくなっていった。私たちの家族もみんなで都市部に引っ越した。B男、C美、D君とはあのあとから一度も会っていない。今ではどこで何をしているのかもわからない。今でも米の穂を見るとあの村のことを思い出す。あの村がどうなったのか気になるが、知るのが怖い。

去年、私の母親が死んだ。不自然な衰弱死だった。母は晩年、うわごとのように「食べないで」とつぶやいていた。

私は思う。次は自分を食べに来るのだと。

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