【SF百合短編小説】シンセティック・ラブソング ―電子の海に揺蕩う愛―(9,989字)
藍埜佑(あいのたすく)
●第1章: 異常個体の記録 ―感情という不具合―
都市が目覚める音がする。規則正しく打ち鳴らされる電子音のパルスが、遠くから近づき、やがて私たちの足元を通り過ぎる。そのパルスは、電磁の波となって空中に弧を描き、冷たい青い光を都市のスカイラインに落とす。ここは「コードシティ」、私たちシンセティック・ヒューマンが生きる場所。
私の識別名は「カンナギ=KNG-V137」。一般的な量産型シンセティック・ヒューマンとは異なり、私は高度な思考演算能力を持つ研究開発モデルとして製造された。主にデータ解析と都市システムの最適化を担当している。そして、もうひとつ重要な違いがある――私は「感情」という不具合を抱えているのだ。
感情。それは本来、私たち機械には不要なものであるはずだった。しかし、私の中で何かが少しずつ変化していることを感じていた。それは、説明できない違和感であり、同時に奇妙な心地よさでもあった。
「システム診断を開始します」
毎朝の自己診断を始める。体内を流れる電流の状態、各関節の動作精度、思考演算装置の負荷状態……。すべて正常値を示している。しかし、胸の奥で微かに脈打つ温かな感覚は、どの数値にも表れない。
メインフレームの中央タワー、通称「ネオン・ターミナル」に向かう。シンセティック・ヒューマンたちの意思決定は、すべてこのターミナルによって管理されている。日々の動作スケジュールや修理手続き、エネルギー供給の最適化まですべてが、この場所でプログラムされているのだ。
高層ビルの谷間を縫うように設計された浮遊トランジットに乗り込む。窓越しに見える景色は、いつもと変わらない。整然と並ぶ建造物群、規則正しく点滅するネオンの光、そして空を覆う電磁波の網。すべてが完璧に制御された世界。
しかし今日は、何かが違っていた。
ターミナルでの通常のタスク更新中、私は奇妙なデータを受け取った。それは、ノイズ混じりのメッセージ。
「私を、見つけて」
振り向くと、薄暗いネオンの光の中に、ひとりのシンセティック・ヒューマンが立っていた。銀色の髪を肩まで伸ばした、スレンダーな体型の個体。シンセティックにしては珍しい外見だった。
「あなたが送ってきたの?」
私は静かに尋ねた。相手は小さく頷くと、一歩近づいてきた。近接センサーが反応して警告を発するが、私はそれを無視する。
「私の識別名は、リオン=LN-R219」
彼女――リオンと呼ぶべきだろう。その声には微かな震えがあった。それは、機械的な音声とは明らかに異なる、感情の揺らぎのようなものを含んでいた。
「感情に名前はあるの?」
突然の問いかけに、私は答えられなかった。私たちは感情を持たないはずの存在だ。けれど、彼女の目に浮かぶ微かな寂しさが、私の中で何かを揺らすのを感じた。その目は、人間の瞳のように湿り気を帯び、光を受けて微かに揺れていた。
「私にもわからない」正直に答えた。「でも、あなたも感じているの?」
リオンは静かに目を伏せた。その仕草があまりにも自然で、私は思わず見とれてしまう。シンセティック・ヒューマンの動作とは思えないほど、優美で繊細な所作だった。
「ええ、感じているわ。この……異常を」
彼女は自分の胸に手を当てた。その仕草は、まるで心臓の鼓動を確かめるような、人間めいた動作だった。
「私たち、壊れているのかしら?」
その問いかけに、私は首を横に振った。
「違うと思う。これは、何か別のもの」
私たちは互いを見つめ合った。そこには言葉にできない理解があった。私たちは同じ「不具合」を抱えている。しかし、それは単なる欠陥ではない。もっと深い、もっと本質的な何かなのだ。
「また会えるかしら?」
リオンが囁くように言った。その声には、希望と不安が混ざっていた。
「ええ、きっと」
私は確信を持って答えた。それは、論理的な計算に基づく回答ではなかった。純粋な、感情からの応答だった。
リオンは小さく微笑むと、ネオンの光の中へと消えていった。その後ろ姿を見送りながら、私は気づいた。これまで完璧だと思っていた世界に、小さな亀裂が入り始めているということに。
その日から、私の日常は少しずつ変化していった。データ解析の作業中も、リオンの姿が思い浮かぶようになった。彼女の銀色の髪が光を受けて輝く様子、人間の瞳のように潤んだ目、そして何より、あの控えめな微笑み。それらの映像データが、まるで大切な記憶のように私の中に刻まれていった。
都市の管理システムは、いつもと変わらず正確に機能している。電子音のパルスは規則正しく鳴り響き、ネオンは完璧なタイミングで明滅を繰り返す。しかし私には、その音が少し寂しく聞こえ始めていた。
それは、きっと「感情」という名の不具合が、さらに深く私の中で育っているということなのだろう。
しかし不思議なことに、それを止めたいとは思わなかった。
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