コードネームはブラックリリー

ベル

終わりの始まり

『絶対』なんてことはこの世に絶対にない。


「羽黒さん、そういうことで来月から来なくていいから」

にこやかな医院長の顔と言葉がうまく呑み込めない。


は? 何言ってんだ? このクソは。


元々の応募要件は、パートで午前勤務だけだった。

それが……午後のパートさんが病気で辞めることになり

代わりの人が見つかるまでという約束で月曜から金曜まで

9時から19時まで(間に休憩2時間半)働くことになり

土曜日も半日(9時から12時まで)働くことになった。

週6日勤務だ。


夫の扶養に入っている私は、あんまりフルで働くと

扶養から抜けなくてはならなくなってしまう。

なので、医院長に

「できれば週3日ぐらいとかなりませんか? 土曜日も月2回とか」

と提案してみた。

働くことは別に嫌いではないから、時間を少し減らして欲しかっただけだった。

っが、私の言い分に対して医院長は

「じゃあ、他の人が見つかったらクビってことで」

急に手のひらを返したようなことを言い出した。

別に働きたくないとは言っていないのに。

たぶん、いいように使っていた私が歯向かったのが気に入らなかったのだろう。

そのやり取りの2,3日後に突然の解雇宣言だった。

寝耳に水ってこういうことを言うんだなとぼんやり思った。

本当に寝てるところに水をブチ込まれたみたいな気分だった。


医院長の両眼をえぐって鼻の穴と口をホッチキスで閉じたい衝動に駆られながらも、なんとか業務をこなし帰路に着いた。

身も心もクタクタになりながら、間髪入れずに夕ご飯の準備に入る。

その間に洗濯物を入れて風呂を洗い沸かす。

私より先に帰っていた夫は娘とニンテンドースイッチでスプラトゥーンに興じていた。

せめて洗濯物を入れるだけでもしてくれていればやる事がひとつ減ったのに。

私は吐き出したい言葉を飲み込み淡々とやるべき事をこなしていった。

昔の仕事と一緒だ。

自分のやるべき事をやるだけ。何も考えてはいけない。


「ご飯できたよー」

無機質な声で家族に呼びかけた。何も考えてはいけない。

夫と娘は無言でがっついていた。

今まで「おいしい」と言われたことはない。

「ねぇ、おいしい?」

たまらず聞く私に「うるさいなぁ」と言いたそうな態度の2人は無言でうなずく。

虚しさと寂しさが一気にこみあげる瞬間だ。

私だけがこの世界に独りでいる。

と、感じる瞬間でもある。

家族と一緒にいるのに何故そんなふうに感じるのだろう。

私が両親という人たちと過ごしたことがないからだろうか。


物心ついた時には両親がいなかった。

生きているのか死んでいるのか分からない。

私は赤ん坊の頃、橋桁に捨てられていたらしい。

そんな私を、育ててくれた人が拾ってくれたそうだ。

家族というものが何か分からないままずっと生きてきた。

そして、誰よりも『家族』を渇望していた。

そんな私にやっとできた家族だった。


なのに……


「離婚してほしい」

夕飯を終えて後片付けを終えたリビングで夫から唐突に告げられた。


 リコンシテホシイ

 アンズノシンケンハボクニシヨウ

 キミハパートダロウカラヨウイクヒハハラエルダケデイイヨ


は? 何言ってんだ? このクソは。


夫の口から放たれた言葉の意味が理解できないまま、夫の口元だけを見つめていた。





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