第11話 消えないでまだ

ー「よー寝たかー?」ー



翌日。

時刻は朝の5時。早朝も早朝。


愛里香は黒のジャージで身を包んで、例の男の運転する車の助手席に乗り込んでいた。



男は昨夜11時頃、遺体の運び出しとある程度の掃除が終わったこと、朝の5時に迎えに来ることを告げに愛里香たちの部屋を訪れていたのだった。


「…妹は、本当に無事に施設に入れてもらえるよね?」

「…疑っとるわけじゃあるまいし、それを聞く意味が分からんな。

漣生知り合いの子供やし。尽くせる手は惜しみなく尽くすのが普通やないか。


丁度な、最寄りの施設に知り合いがおんねん。話は通したるで、もう少しばか後に迎えに来てくれる手筈や。」

「………なら、いい。」

「おー。納得してくれたなら俺もそんでええわ〜。

それよか、その施設入りの件は伝えてくれたんやろな?」

「………」

「………」

「…私も、ママもパパも、病気ってことにした。」

「なら、文句ないわ〜。」



車は静かな振動を伴いながら加速し、どんどん高崎家から遠のいていく。


眠たいような冴えたような不思議な頭でそれを理解しながら、ジャージの下に忍ばせている包丁の感覚を確かめていると、男が口を開いた。


「あぁ、コンビニかどこか使って、飯でも食うていこか?」

「…いらない。」

「そうか。なら、俺の分だけ買ってくるぞー。…てか嬢ちゃん、シートベルトしてくれな。」

「…………、」

「よし、ええ子や。

…お、あっこに七百十一711あるがな。」

「…好きにして。」


男は先客の向きに逆らうように頭から車を止めると、そそくさと外に出ていった。


愛里香は灰色の空模様を確かめながら、大きく背もたれに体を預けてみた。

「………」


間違いない。これは高揚感だ。

確かな高揚感が、体の奥底からふつふつと

湧いている。


あと3時間もすれば学校が始まる。

だが、もう私には関係ない。

ほーちゃんも数学の先生も私に対して「逃げたな」なんて思うんだろうけど、これは中途半端な逃げじゃない。

もう戻らない覚悟。

あの日常から掛け離れる覚悟がある。


「………」

ジャージのチャックを少し開けて、忍ばせている包丁を直視したいと思った。

これはママが料理の時に愛用していたものだ。

形見じゃないけど、持っていくならなんとなくこれがいいと思ったのは良いものの、これを血に汚すことになると考えると、やっぱり持ってこない方が良かったかな、


「おいっすー、」

「………」

「おむすびさんが5つある。昼にかけて好きなのを食うてくれ。」

戻ってきた男はそう言いながら、冷やし中華

と割り箸を袋から取り出して食べ始めた。


「………」

「………………なんやねん。」

「…いや、…朝から?」

「…は?」

「冷やし中華…」

「なんか、食いたくなってもた。

…嬢ちゃんも食えよ。おむすびさん。」

「……いらないって、言ったもん。」

「強がっとんかいな。体動かんようになるぞ。例の女と追いかけっこになっても仕留めきれるよう、体に栄養を補給せな〜。」

「……」

「飲み物もあるぞー。緑茶か普通のお茶ー。どっちが良いー?」

「…………………普通の。」

「おー、ええぞー。」



男が冷やし中華を食べ終えたところで、車は出発した。

愛里香のお茶は半分くらい。

彼女も実は喉が乾いていた。



彼女たちの住む場所岐阜から、大阪まで行くと聞いている。そのために相当な距離を移動するんだろうと覚悟はしていたが、流石に高速道路や環状線なんかに侵入するたび、体が震えた。


そういったものに恐怖を覚える人間だからではない。

より遠く、より栄えた土地に来てるんだという実感と、本当にあの日常から掛け離れているんだという実感がまざまざと胸の内を煽っていったからだ。


「…ねえ。」

「…お?」

「おにぎり、もらってもいい?」

「ええよて言うてるがな。」

「………」



コンビにのおにぎりはあんまり食べたことがない。部活の試合の時のお昼ご飯を、ママが忙しくて作れなかったときくらい。

それか、私が伝えそこねてた時くらい。



大抵は、ママの手料理と給食で育ってきた。


コンビニの食べ物が悪だなんて思う気持ちは全く無い。美味しいのも、便利なのも、沢山の人の役に立ってるのも知ってる。



だけど、こういうものから遠ざけてもらってた私は、きっと幸せだったんだろうなって、漠然と思った。


ここで泣きこそしなかった彼女。

投げた視線の先の窓越しに広がるのは、岐阜にない大海。

広くて、自由で、壮大な海。



「…海は、好きか?」

先程のコンビニからおにぎりの件で愛里香が話しかけてくるまでの1時間程度、全く会話のなかった2人だったが、なんとなく男は

愛里香に聞いてみた。

彼女はツナマヨを開封せずに手の上で弄っている。


「……」

「………」

「…………よく、分かんない。」

「……そうか、」

「……海ってこんなに、キレイなんだね。」

「…遠くから見たらな。」

「?」



男は何かを知っているかのような表情で少しだけ笑うと、再び運転に集中し始めた。


 


やがて愛里香がその真意を問うこともなく、車はどんどん大阪へと向かっていく。




三重を抜けて京都にさしかかった所で、男は静かに呟いた。

「あと…、1時間くらいかなぁ。」


愛里香はというと眠っていた。

4つのおにぎりを食べ終えて。


「……………」

「……すぅ……すぅ……」

「…………」



男はなんとなく、愛里香の髪を撫でてみた。

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