第10話 危ない夜をふかして 暗い底で

ー 「ははははははははは!!!」 ー 




愛里香の顔に唾が飛ぶくらい、快活で下品な笑いが響く。


男は改めて愛里香を見た。

相変わらず愛里香の目だけは死んでいた。




「お父ちゃんもお母ちゃんも聞いとるなかで、よー言ったな、それ。」

「……もう、死んでるよ……、」

「そらそうやけど、まぁ、ええわ!

そうやな。死人に口なしやもんなぁ。

何を言われることもないなっ!」

「………」

「…………イっッカれとんなぁホント…。

………そうか……、そうかそうか…、

これが漣生の娘なんかぁ…。愚女やな!

ふふはっ!とんだ傑物なんとちゃうか!?

かははははっ!!」

「……………」

「ふふ、ちょい笑いすぎたな。

すまんすまん。返事をしたらな。その勇敢な問いかけに。」













「おもろいやないか。いいわ。

使ったるわお前のこと。仲良くしよか。」




愛里香はひたすらに占めたと思っていた。

ただでさえ今までの日常から掛け離れていっていたのに、そこに拍車をかけることに繋がる手段を自分で取ったのだ。

 



成るように成れと思ってもある意味仕方がない。



勉強から逃げたいのなら、施設住みで断固として学校に行かないという手もある。

素行不良を尽くして高校も入らず、アルバイトとして雇ってもらえる場所を探すという手もある。 


しかしこの上なく手っ取り早く、また姿を

くらます形で勉強から逃げられるというこの方法を思いついた時点で、この道を辿ることしか考えられなくなっていた。

そこから既にイかれていたのである。



「とはいえ、お前みたいな子供はいざという時に都合良く知らんと白切って使い捨てれてナンボや。


うちの組のことも、俺らのことも、一切何も言わん。返り討ちにあっても、武器が見つかっても、警察に事情聴取されても、一発KOってわけやな。分かるー?言ってること。」

「………うん。」


「ええ子やー。じゃあ早速やな。


早速、殺してほしいのが一人おる。

今からターゲットの写真と情報だけ伝えよか〜。殺したらこの携帯番号に連絡してこい。


指定した集合場所に生首を持って来たら、報酬を手渡す。


そんな血も涙も無い危険な関係と条件やが、それでもいいか〜?」

「……、……………わかった。」


愛里香がここで首を縦に振らざるおえなかったのは、言うまでもない。


愛里香も退けなくなっていたのだ。

提示されたままを呑み込まなければいけない。「やっぱやめた」が1番困るから。



靴を舐めろと言われれば舐める。

股を開けと言われれば股を開く。


それくらいの覚悟も同時にあった。

彼女はまだまだ全てをナメていたが、この男との関係が崩れれば全てが台無しになることくらいは理解していたから。


「…はいよ。こいつが殺してほしい女や。」


男はポケットから取り出した手帳に挟まった写真のうちの1つを愛里香に手渡した。

大学生くらいの女が、黒いワンピースを着て歩いている様子だ。


「名前は岩村いわむら陽菜乃ひなの

大阪の大平だいへい市が生活圏内やと調べてある。手段は問わん。ただしさっきも言った通り生首を持ってこいよ。

嘘はナシにしようぜ。長い付き合いになるかもしれんのやから。」

「…………わかった。」


愛里香は写真の裏に携帯番号が記されている事に気がついた。

連絡したい時は、この番号を公衆電話でかければいい。



本当に上手く、事が運んだ。


これから私は、人を殺しに行く。

どうにかして、この女を見つけ出して殺す。

はじめの一歩として。


「何か質問はー?」

「…ない、。」

「おー、早速行くか〜?

大阪までなら送ってやれるぞ。」

「あ、」

「…あ?」

「留奈…」

「……ルナ……?

あ、二階で寝てるキョウダイの子か、。

……妹かー?」

「………うん、」

「………そうかー…」

「………」

「今から、ここを掃除しようと思う。」

「……?」

「お父ちゃんとお母ちゃんは、きちんと土に返しといたる。この二人は魚の餌やが、どうでもええやろそんなこと。


やから、今夜は1階に降りてくるな。

風呂は今のうちに済ませるんやな。」

「…どういうこと?」


「かははっ。察しが悪いなぁ。

時間をやる言うてんねん。


嬢ちゃんがに来るんなら、妹ちゃんは1人で施設行きや。明日から早速そっちで暮らせるように手配をする。


今夜のうちにお別れしとけや。


あと、できたら一応、お父ちゃんお母ちゃんが病気になったとでも言い訳しといてくれ。」「…………」

「……………」

「……わりと、鬼じゃあないんだね、」

「この俺が鬼なわけあるかいな。

亡き親父に変わって可哀想なお前らに住む場所を用意しようとしてやってんねんで。


見捨てることをせずに。


むしろ感謝してほしいくらいやわ。」

「………、ふん、」

「……おうおう、どこいくんやー?」

「…シャワー……」

「あー。そかそか。なら、浴びたら2階に上がってくれー。1階には戻ってくんなよー。」

「……」

「………良い連絡を待ってるわー。」



愛里香は高鳴る心臓を確かめながら、脱衣所で血と汗でべちゃべちゃになった体操服を抜いだ。


もう洗濯をしてくれる人はいない。

だから、カゴの中に放り込んだ。


バスタオルを1枚とって風呂場のドアを開けると、流れるようにシャワーヘッドを持ち上げた。

「……………」



全身を水が撫でつけて、濡れていく。

冷たくて、爽やかで、気持ちがいい。


でもちょっと、冷たすぎるかな。なんて。



まだ月の出てくるような時間でもないだろうに、月光のようにルーバー窓へ差し込む

蒼白い光が、愛里香の裸体を照らしていた。


「……………はぁ、」



ぐずついた髪、

涙で腫れた目、

赤くて熱い頬、



愛里香はつい、ため息をつきたくなった。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





「………」

「………、…」

「……よいしょ…、」


愛里香はドライヤーと洗顔をすっぽかして、留奈との共同部屋にやってきていた。



例の男は風呂上がりの愛里香を見て「色っぺぇな」と下衆く笑ったが、彼女が言い返すことはなかった。


どうやら電話によって学校の先生より何倍もいかつい大男を呼んでいたようで、

2人でママたちを外に運び出している途中のようだったから。


「………流石に怯えちゃったや、…」


独り言とともにあぐらをかいて、依然として眠りこける留奈の横に座る。



今度は白の薄まった更に蒼いような光が、

2人を照らしていた。



愛里香はつい、その光から留奈を守るようにして留奈の頭に手をかざしていた。



「………」

「………………」

「……………おはよ、留奈…」

「…………………、」


ムスッとした留奈に、愛里香は苦笑した。

その笑みは、愛里香がこれまで生きてきたなかで最も大人びた表情だと言える。


1山どころか2山分もありそうな殺人の門と死地を越えて、シャワーヘッドと向き合いながら彼女は何かを固く腹の底に決めたようだった。

もう彼女はただの子どもではないのかも知れない。

とても勉強から逃げたい一心で、闇雲に修羅の道をこうとしているようには見えなかった。




「…ごめん。留奈。」

「…………」

「…蹴って、ごめんね。…ごめんなさい。」

「………いいよ。」

「……」

「…………」

「…………」

「…ママとパパに、いわれたの?

あやまってきなさいって、」

「……ううん。」

「……ふうん、……いたかったし。

…おねえちゃんのキック、

……いたかった………。」

「………ごめん、」

「……………」

「……ごはん、ごはんたべたいごはん。

ママが、プリンと、ハンバーグ作ってくれてるって、」

「……………」

「………はやくいこおねえちゃん。

おなかすいたよぅ。」

「………………ごめん留奈。」

「……もう、おこってないし、」

「…………ごめん………。

ごめんけど…、ベッドから出ないで。

…………今夜は……、姉ちゃんと寝よう?」

「……………?」




愛里香は髪もまともに乾いていないのに、

留奈の寝ていたベッドに入っていった。



留奈は愛里香の体や髪から香る甘いような

に気を取られながらも、困惑していた。


「ご、ごはんっ、ごはんは?」

「…………」

「パパとママ……ごはん…、」

「………留奈…。ごめん。」

「………なに、…ヘンなことしなでよ、

……おねえちゃんっ、おねえちゃんっ。

…こわい。……だいじょうぶ?」


愛里香は出来心で、妹の頬に自分の頬を擦り付けていた。

獣のような手段をとって、自分の手元から逃げないでいる尊いものの存在をしっかりと確かめていたかった。


姉貴が自分にかつてこれほどまで友好的に

甘えてきたことがなかった留奈にとって、

愛里香の様子が怖いと思うのはむしろ当然とも言える。

さっきから止まらない胸騒ぎと姉貴の奇行が何かとんでもないことの予兆である気がしてならなかったのだった。


「………うん。大丈夫…。大丈夫だから。」

「、………」

「……………あのね、パパと、ママはね。

病気……。病気になっちゃったんだって。」

「…………え?」

「……だから、病院に行かなきゃいけないんだって。留奈にも、私にも、しばらくは会えないかな。

…二人とも…ごめんねって、言ってたよ。」

「…………そ、そんな………、」

「………で、実はね留奈。

私も、病気だったみたいだから、もう、留奈とは暮らせなくなるから、留奈は明日から、新しい友達と、一緒に暮らすんだよ。」

「………そ、そ……そ……、そ…」

「……、」

「…………おねえちゃんと、……、、…、

パパと、ママは………、おなじびょうき?」

「………ううん。……違う。

違う病気。………だから、違う病院だよ。

留奈が明日起きる頃には、もう、私も居ないかな。」

「………じゃあ、……、は、は…、……、

………はなれ………ばなれ……?」

「…………うん。」

「………、」




はなばな



なんと苦しい言葉だろう。

あまりにも酷ではないか。

彼女らはまだ、親の愛に「もういらない」と思う気持ちすら、知らないだろうに。



「………いや、」

「……?」

「………離れ離れなんかじゃ、ないよ。

……ママも、パパも……、いつも、きっと、私達の事を見てくれてるから、」

「………………、」

「………パパにもママにも、いつでも見られてると思って、悪いことはせずに、誰かのために行動できる子に、なるんだよ。」

「…………………分かった。」

「………いい子。…じゃあ、寝ようか。」

「…………うん。…………おやすみ。

……、またね。おねえちゃん。」

「…………うんっ。」






この夜

やっとこさ留奈が眠ったのは10時のこと。

愛里香と言葉をかわしてから実に4時間後のことである。


なにか不安なことがあるようで、ぐるぐるぐるぐるずっと頭の中で考えを転がしていたが、それに疲れてしまったのが10時であったのだ。


そんな留奈が寝息を立て始めるまで絶対に

泣くまいとしていた愛里香。

正直留奈が10時まで起きていたのには驚いた。しかし、その寝息は愛里香の中に溜まっていた涙を加速させるほど、穏やかなものだった。



 


愛里香がこの夜に流した涙の味がひたすらにしょっぱかったことは、彼女しか知り得ない。

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