眼鏡の探偵、二階堂 ~講堂のバレリーナ~
大隅 スミヲ
第1話
彼女の夢はバレリーナになることだった。
バレエスクールに通っていることも知っていたし、学校の中でもバレエの練習をしている姿を何度も見てきた。だから、その日もバレエの練習をしているのだと思ったのだ。
そこは体育館の舞台裏にある奈落と呼ばれる場所だった。
奈落には光を取り込むための小さな窓がついていた。奈落は半地下になっているため、その窓は地面すれすれの場所にあって、外からはしゃがまなければ中を覗き込むことは難しかった。
その日も彼女はバレエの練習をしていた。
ちょうど体育館の前を通りかかったわたしは、例の奈落の窓から彼女のつま先を見かけた。バレエ用のトゥーシューズでつま先立ちになって、右へ行ったり、左へ行ったりと繰り返し、時には少しだけ中に浮いてみたりを繰り返している。彼女は練習熱心だ。しばらくの間、彼女の練習をわたしは見ていたけれども、それにも飽きて、窓から離れた。
それがわたしの見た彼女の最期だった。
※ ※ ※ ※
「ねえ、聞いた。まただって」
「これで三件目でしょ。絶対に呪われているって」
「でも、なんで女子生徒ばかりなのかしらね」
「しかも一年生ばかりじゃない」
「怖いわ」
廊下ですれ違った女子生徒たちは、口々に噂話をしながら通り過ぎていく。
彼女たちはおしゃべりに夢中でこちらの存在などは気にかけたりはしないようだ。
「ねえ、先生。この学校って呪われいてるの?」
「どうだろうな。呪いなんてものは信じるから、その呪いに掛かったりするんじゃないのか」
「そうなのかな?」
ヒナコは首を傾げながら二階堂の隣を歩いていた。きょうの二階堂はジャケットにシャツとジーンズ、そしていつもの眼鏡という姿であり一見すると学園の教師にも見えなくはない。隣りにいるヒナコはこの学園の制服に身を包んでいるため、女子学生のようにも見える。しかし、二階堂と一緒に歩いているヒナコに興味を向ける生徒は一人もいなかった。
「一度、こういう制服を着てみたかったんだよね」
「そうなのか。結構、似合っているじゃないか」
「嬉しい。先生、ありがとう」
「別にお礼を言われるようなことをしてはいない」
二階堂は少しだけ照れくさそうにヒナコに言うと、眼鏡のフレームを人差し指で押し上げる。
そんな二階堂の顔をニコニコと嬉しそうに笑いながらヒナコは見つめていた。
「ここだな」
二階堂がそう言って足を止めたのは、学園長室と書かれた部屋だった。
「失礼します」
ノックをしてから二階堂はその引き戸を開ける。
二階堂を出迎えたのは革張りのソファーに腰を下ろしたガマガエルみたいな顔をした老年の男だった。
「どうも、学園長の川上です」
ガマガエル――いや、川上は二階堂にそう名乗ると握手を求めるために右手を差し出した。
脂肪が蓄えられたその川上の手はぶよぶよと柔らかく、握り心地は不快感しか与えてはこない。
「恵比寿さんには、以前からお世話になっていましてね。ちょっと面倒なことが起きたので、そういった類のことが得意な探偵さんを紹介してもらうと思ったところで、二階堂先生のお名前が出ましてね」
何が面白いのかはわからないが、川上はニタニタと笑いながらそう言った。
この仕事を持ってきたのは恵比寿だった。恵比寿は二階堂に仕事を斡旋する役割を担っているが、そのほとんどがとても厄介な仕事であった。
「ねえ、先生。ここ、ものすごい嫌な雰囲気」
二階堂の隣に腰を下ろしていたヒナコが学園長室の中を見回しながら言う。
「変な噂とかが広まると、学園全体の評判にも関わりますので」
「わかりました。では、ひとつ私に権限をくれませんか?」
「権限?」
「ええ。この学園のどこでも自由に行き来できる権限です」
「そ、それは……」
「私に
「い、いや、そんな場所はないが……」
「じゃあ、決定ですね。ちゃんと調査は行います。きょうから一週間。調査報告は真ん中の水曜日に実施しますので、それ以外は私は自由にこの学園内を調べさせてもらいます」
二階堂は一方的にそう伝えると、学園長室を後にした。
ヒナコの言った通り、学園長室の中は嫌な雰囲気が漂っていた。いや、その雰囲気は学園長室だけではない。この学園全体を覆うように、嫌な雰囲気の何かが漂っているのだ。
「これは面倒くさい仕事になるかもしれないぞ、ヒナコ」
「そうだね、先生。でも、お金いっぱい貰えるんでしょ?」
「まあ、そうだな。今月はもうバイトをしなくても済むくらいにはもらえるだろう」
「そっか。じゃあ、頑張らなくちゃね」
そんな会話をしながら、二階堂とヒナコは最初の現場となった場所へと向かうのだった。
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