第1-2話 出会って5秒で即逃亡というお話

「お、俺!? 俺が触手に!? 触手が俺!? え!?」


「ね、ねえこれ! 勝手に動いてしゃべってるんだけど! 何これどういうこと!?」


「あ、痛! こ、こらやめろ! そんな強く掴むな引っ張るな!」


「おお、すごいですな! 自我を持つアビリティは滅多にないそうですよ!」



 俺……とは思えぬ見た目なのだが、なぜだかこれが俺だと認識できてしまう触手、そしてそれの生えた少女は互いにパニックになっていた。



「(お、落ち着け落ち付け俺。状況を整理しろ……)」



 俺は……俺は人間だった。それは間違いない。そして神に会って願い事を……しかしそこからの記憶がまるでない。現状、俺は触手になっていて……この少女の、アビリティ、と呼ばれるものとして存在しているらしい……



「(駄目だ、何もわからん! 何だよアビリティって!)」



 混乱を脱する材料も見つけられないまま、空中を右往左往する触手こと、俺……その時、部屋の一角から木の扉を叩くけたたましい音が響いた。外から聞こえる怒号。



「開けやがれストラ! ここに居るのはわかってるんだ!!」


「やっば……! 裏口あるよね!? 使わせてもらうから!」


「おいおい何事……うおっ!?」



 状況を把握するより早く少女は駆け出し、そこから生えている俺も、リボンよろしく宙を舞いながら引っ張られる。



「うおお、お!? おい、ストラ、ってお前の名前か!?」


「そうだよ! 今話とかしてる余裕ないから!」



 少女改めストラは部屋の奥の物置らしいところに駆け込み、積まれているものを乱雑に崩しながら天井近くにある小窓に飛びつく。体をよじりながらそこを通ると、薄汚い裏路地に出た。



「ストラ! 待て!」


「だーれが待つか!」



 後ろから聞こえる声に捨て台詞を残し、ストラは駆け出す。だがその行く手をストラと似たような格好の男たちが阻んだ。



「うわ、しっつこいなあ! いったい何人で来てるの!?」


「賞金が出るんだよ! 痛い目見たくなかったら大人しくしろ!」


「やなこった!」



 ストラは踵を返すと、近くに置かれていた箱に飛び乗り、そこから雨どいに飛びついて猫さながらに4階建ての屋根へと上った。



「上だ! 梯子持ってこい!」



 ストラは屋上をかけ出す。視点が高くなってわかったが、どうやらここは川沿いにある都市らしい。街は外壁に囲まれており、石や煉瓦の街並みは一般的な中規模の都市といった様相……青い空と白い雲、照り付ける太陽から夏であることがわかる。だがその雲の上を通り過ぎていく巨大な影。鳥のようだが雲との比較からして家一軒ほどもある。



「(なんだ!? いったい何がどうなってる!?)」



見覚えのあるものと無いもの、それに戸惑っている間にもストラは家の屋根を次々と駆け抜けていくが……



「おい賞金とか聞こえたぞ!? お前何やったんだ!?」


「身売りした金を持ち逃げしただけだよ! 3箇所くらい!」


「何してんだお前!?」



 身売りなんてものは大体裏で暴力を生業とする連中とつながっている。それを掛け持ちした上に持ち逃げなどすれば、血眼で追われるに決まっている。このストラとやら大分身軽なようだが、到底逃げ切れるとは……



「そらっ! 捕まえた!」


「うわ!?」



 屋根の縁で、ストラが止まる。下を見ると、隣に飛び移ろうとしていた彼女の足をハシゴをかけて登ってきた男が掴んでいた。



「このクソガキ、覚悟しろよ……!」


「はーなーせー!」



 ストラは二、三回自身の足を掴む手を踏んだが、無駄となると男が乗ったままのハシゴを蹴り倒した。男はたまらず落下……だがストラの足は掴まれたまま。



「うわ、わ、わ!?」



 引っ張り落とされたストラと俺は空中に投げ出された。下は、石畳!



「うおおっ!?」



 とっさに手を伸ばす。正確には人体の感覚で言うならそうしようとした。伸ばす手なんか無いってのに。その瞬間、ストラのうなじから生えた黒い触手……つまり俺が、伸びた。



「へっ!?」



 伸びた俺は路上に立った街灯に巻き付き、あっけにとられたような声を上げるストラは地面すれすれをスイングして、通りの反対側の家の屋根に投げ出される!



「へぶっ……! な、何か知らないけど助かった!?」


「今の、俺か!? 俺だよな!?」



 今起きたことを咀嚼している間にも、屋根を転がっていたストラは立ち上がり再び駆け出す。



「おい、俺が助けたんだぞ! 礼くらい言えよ!」


「うるさいなもう! よし、ここだ!」



 ストラはいつの間にか、街を囲む壁までたどり着いていた。壁といっても今自分たちの居る建物より低いが、その向こうにはかなりの幅の川が流れている。そしてその壁の左右からも、後ろからも、追手は迫ってきていた。



「逃がさねえぞストラ! 痛めつけて連れて行ってやる!」



 リーダー格っぽい奴が手の平を上に向けるとその上に光の粒がいくつか生まれる。



「あんなチンピラが魔法弾使うのか!? おいおいおい、やべえんじゃ



 こっちの言葉が終わるのも待たず、ストラは壁に飛び移り、勢いそのまま身を投げ出した!



「ああああああ!?」



 浮遊感、そして近づいてくる水面。衝撃と共に水没した俺とストラは、少しして、対岸まで泳ぎ着いていた。ガポガポとブーツから音をさせながら、ストラは川辺へと上がっていく。そして振り向き、街を見据えて……



「はあ、はあ……やった……やってやったぞーっ! 糞ったれスラムから逃げ出してやった! どーだざまーみろ! だーれがお前たちと一生這いまわるか馬―鹿!!」



 歓喜の声を上げながら跳びはね、悪態をつく表情は輝かしいほどの笑顔。なのだが……



「あ~……ちょっといいか? 街はすぐそこだろうがよ。飛び込んだのも見られてるしすぐ追いかけてくるんじゃねえのか?」


「一度出たら入市税払えないから来ないよ。あっちだって損したくないし」



 そのまま手近の木立に入って草の上に腰を下ろしたストラはブーツを脱ぎ、中に溜まっていた水を捨てる。どうやら、ようやく一息付けるといったところらしいが……



「だがよ~、街に入れないのはそっちも同じだろ? ろくな荷物もないしどうすんだよこれから」



 その疑問を口……といっても口があるのかもわからないが、とにかく口にした瞬間、ストラは俺を掴んで顔の前に持っていき、目を吊り上げてにらみつけた。



「ぐぇ」


「そ・う・だ・よ! 本当はこっからアビリティ使って乗り切っていくはずだったのに! それが! なんで! こんな! 触手! なんか!」


「イダッ! いだだっ! ちょ、やめ……」



 腹立ち紛れとばかりに、ビタンビタン地面にたたきつけられる。身を縮めてどうにかそれから抜け出したが……



「さっき落ちた時助けてやったろうが! ちょっとは感謝しろ!」


「うっさい、私のアビリティが私を助けるのは当たり前でしょ!」


「なんだよそのアビリティって! 俺は人間だぞ!」


「どこがよ」


「あ~……うん」



 素で返されるとこちらも困ってしまう。実際今の自分は触手なわけで……だが間違いなく人間だったのだから、人間として扱われるべきだ……そんな考えを察したわけでもないだろうが、ストラは言葉をつづけた。



「アビリティってのは、人間が普通じゃできないようなことをする能力のこと。山をひとっ飛びしたり、魔法の薬を生み出したり、一晩で城を建てたり。私もそういう力を手に入れて、糞みたいな人生変えるはずだったのに! なんで! エロ! 触手! なの!」


「いだ! いだい! やめろっ! ての!」


 またしてもビタンビタン地面にたたきつけられる俺。どうにも納得しがたいことだが、今の俺はこのストラの付属品……のような物らしい。



「くそっ、どうなってんだよ! 俺は美女美少女と触手でお気楽無責任にエロエロしたいって願ったが、触手そのものになりたいなんて願ってねえぞ!」


「うっわ、最低な願い」


「うるせえ! 男の夢なんだよ! 何が悪い!」


「頭だよ頭! 本当に人間が触手になったならただのアホだしそうじゃないなら妄想癖じゃん! どっちにしても頭だよ!」


「んーだとコラー!」



 怒りを煽るように自身の頭を人差し指でつつくストラ、よくもまあコロコロ表情の変わること。初対面の相手にここまでボロクソ言われる筋合いはない。こっちも言い返してやりたいが……何しろ相手のことを知らないのでは何も言いようがない。



「とにかく! どのみちもう戻れないんだから、私とお前で行くっきゃないの」


「あん? 行くってどこにだよ」


「そこに道はあるでしょ。それを進んで……逃げる。それでどこか、もっとましな所に行って、ちゃんとした人生送るの」


「はあ!? 何にも考え無しでスジモンから金盗んで逃げたのか!?」


「スラムの人間なんてそんなもんだよ。とにかく! お前私のアビリティなんだから。協力しなさいよね」


「だーれが……」



 おおよそ、協力してやろうと思うような態度ではなかったが……改めてストラを見る。見た感じ十代半ばくらい。革のベストの下、水に濡れて張り付いた服からわかる体型は豊満とは言い難いものの、激しい運動を可能にするしなやかなスタイル。短めのズボンからすらりと伸びる脚は細く、透き通ったように色白な肌。顔もなかなかに整っている。そしてこちらを見据える、細い眉と長いまつげが飾る、気の強そうな目は透き通ったすみれ色。一言で纏めてしまえば、美少女。それもかなりのだ。



「(こいつにくっついてくってのは……有りじゃね? うん、有りだ有り!)」


「ちょっと、聞いてる?」


「よーし、良いぜ協力してやる。だが協力するからにはこっちにも見返りってもんが無いとな?」


「見返りぃ?」


「なーに簡単なことだって! ちょっとイイコトさせてもらえば……」



 だんだん、この体の動かし方もわかってきた。開いたベストの間、張り付いた服の臍辺りに俺自身の先端を押し付け、服をたくし上げて……



「ぎゃーっ!?」



 ストラの悲鳴、その瞬間俺の全身に雷に打たれたような痛みが走る。



「あががががが!!?」


「ふざけんなこの! エロ触手!」


 

 地面に伸びてゲシゲシと踏まれる俺の体には傷一つ付いていない。痛みもすぐに消えて動けるようになる。



「な、何だ今のは!? こ、こっちからなら……」



 今度は後ろに回り込んで下から……



「あべべべべべ!!?」



 またしても激痛、今度は体に触る前から。



「ど、どう、なって……」


「ははーん、なるほど……私の嫌がることはできないんだ」


「な、なんだと!?」


「よかったよかった。これで私の身も安全ってことだね! お前は黙って協力するしかないってことだ」



 ぱん、と掌を合わせて、横目で笑うストラ。その表情は意地悪い。



「けっ! だーれが触れもしない女のために協力なんざ!」


「あ、そういう態度とるんだ? 言っとくけど、私に何かあったらそっちだって道連れなんだからね」


「……くっ、そおおおおお!!」



 結局俺はストラに手出しもできず……服が乾くのを見ているしかなかった……なにがどうなってこう言うことになってしまったのか。まだ何もわかっちゃいねえが、さしあたりの目標は決まった。いつか絶対こいつ泣かす。んで、人間に戻って本来の触手ウハウハ人生を過ごす。そう心に決めて、ひとまず俺はこんなになってしまった自分の体の動かし方を手探りで模索するのだった……手はねえが。

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