介護備忘録 後編への応援コメント
凄まじい1年でしたね。
お疲れ様でした。
僕も過去はヤングケアラーでした。
父親は長距離トラックドライバー、母親は夜勤もある福祉職。
母親が夜勤の日は、祖父をお風呂に入れたり、ご飯食べさせたり、オムツ交換してました。
在宅介護がお金が掛かり、父の兄弟は6人もいるのに、金銭的な援助もせず、祖父の遺産相続で揉めました。
遺産と言っても、田んぼ、畑、山でした。
コイツらがしっかりしていたら、大学辞めなくても良かったのに、施設代、医療費で僕は中退しました。
母親が乳がんの手術のときは、母親は入院せずに自宅に戻り、介護してました。
何の苦労もしていない、親戚とその子供が好きではありません。
ですから、この作品を拝読しまして、理解を示します。
介護に疲れ、農作業の手伝いをして、大学受験の勉強をしました。
こんな苦労は、息子にしてもらいたくないです。
ホントに介護って疲れますよね。
母親が一番苦労しました。
その母親と、今は名古屋で生活しています。
住む部屋は違いますが、同じ賃貸マンションなので、食事したりしています。
お身体をご自愛下さい。
心に染みる作品でした。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
羽弦さまも長期間にわたる介護、本当にお疲れ様です。
当方は(義父以外の)親戚はみんな協力的だったし、金銭的にも今のところそこまで悩むことはないので、その点はかなり助かっています。
協力が得られなかったり、経済的にもきつくなると本当に人生が歪められますね……
支援センターのかたに言われたのが、「自分たちでやろうとせず、頼れるものは全部頼れ」という言葉でした。同じことは両親にもかなり言われました。
介護に関しては本当にそうだなと実感させられています。頼める時はプロに頼むべきと。
お読みいただき、ありがとうございました。
羽弦さまもお身体にはお気をつけて!
介護備忘録 後編への応援コメント
お疲れさまでした。
ケアマネジャーをしているので、義父母さんの家庭の支援困難な様子が手に取るように見えました。
読んでいる中で、地域包括支援センターがもう少し積極的に動いてくれていれば、もう少し介護サービスなどの生活支援に早く繋げられていたように思い歯がゆく感じられました。
まだ義父さんが在宅生活を続けているという状況だとkayako 様ご夫妻はしばらく大変な状況が続いていたでしょうが、現在は施設に入られたとのことで、当面は施設からの連絡や要望に対応するだけでよくなりそうなので2024年に比べて気持ちに余裕が出て来るのではないかと感じます。
義父さんに対してのkayako様の憤りは、よくわかります。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
義母の突然のうつから始まった介護ですが、夫婦共々何から何まで初めてのことが多く、「これでいいのか」「ああした方が良かったんじゃないか」と悩んだり後悔したりすることも数知れずでした。
そんな中、支援センターの方々にはかなりアドバイスをいただいたり、助けていただけたと思っています。ただ仰る通り、義母と同時に義父の様子をもう少し注意して見てくれていれば、あそこまで生活が酷くなることもなかったのかなぁ……とは思ったりしますね(後悔先に立たずですが)
しかし支援センターの方々も義父母だけを見ていられるわけではないし、時間を割いて様子を見に行っても義父が「大丈夫だ」と言い張りまくった可能性も高いことを考えると、やはりどうしようもなかったのかなと思います。
>義父さんに対してのkayako様の憤りは、よくわかります。
ありがとうございます。2024年は主に義父のおかげで、自分の沸点の低さを思い知らされた年でした( ノД`)
旦那が冷静なのに私がブチ切れたことが何度あったか……
来年はもう少し平静に過ごしたいものですね。