第二章 【トモダチとの日々】

「ふぅ…ちょっと急ぎすぎたかな。ここから歩いて行こう。」

先を急ぎすぎるあまり最初から全力で走りすぎたようだ。もう体力が殆ど残っていない。いつまたあの人に追われるかわからないので、ここで体力を温存しておこう。それにしても、光弥という人のことはまだわからないが、もっとわからないのは追われている理由だ。

「私、一体何をしたんだろう?」

いくら考えても心当たりがまるでない。そして、わからないと余計に考えたくなる。その負のスパイラルが命取りとなった。前方不注意でコンクリートの凹凸につまづき、挙句の果てには近くの堀に頭から突っ込んだ。私は頭を強く打ち、そのまま意識が飛んだ。


「…っと、ちょっと、貴方大丈夫!?」

「(うーん、痛いなぁ…うわ、妖怪!?)」

目が覚めると、見知らぬ厚化粧のおばさんが顔を覗き込んでいる。リップとアイシャドウが濃すぎて妖怪かと思った。うっかり口に出そうになったが、何とかギリギリで踏みとどまることが出来た。

「あらら、膝から血が出ているわね。汚くても良いなら、怪我の治療をしに家に来ない?」

顔は妖怪でも、中身は良い人のようだ。折角なので、私はその人の家にお邪魔することにした。返事をしようとしたら、私のお腹から大きな音が響いた。そう言えば、まだ朝ご飯も食べていない。

「…ご飯も用意するわね。」

恥ずかしくて赤面した顔を隠すためにおばさんの顔を真正面から見れなかったが、微かに笑い声が聴こえる。恐らく笑われている。あぁ、恥ずかしい。穴があったら入りたい、いや、今すぐ穴を自分で掘りたい。

 親切なおばさんに連れられ、私は家に上がらせてもらった。玄関の真正面にある部屋を覗き込むと、なにやら物が散らかっている。

「あぁ、そこ?実は…最近お母さんが亡くなったばかりでね。遺品の整理がまだ済んでないのよ。」

「そうだったんですか、すみません。勝手に部屋を除いてしまって、無神経でしたね。」

申し訳無さそうにそう言うと、おばさんは優しく微笑んだ。

「いいのよ、それくらい。お母さん、霞っていうんだけどね。先週までボケもせず元気だったわ。ひ孫を見るまでは死ねないって張り切ってて…もっと、一緒に過ごしたかったな。」

 おばさんは遠くを見るような、寂しそうな目で話をしていた。私のためにサンドイッチを作ってくれているときも、霞さんの話を聞かせてくれた。聞けば聞くほど良い母親だとわかった。

「い、いただきます。何か、ここまでしてくださると返って悪い気がしますね。」

「遠慮しなくていいのよ?私が勝手にやったことなんだから。」

 おばさんが作ってくれたサンドイッチはとても美味しかった。まずは一つ目の卵サンド、卵とマヨネーズがまるで黄金比のように絶妙にマッチしていて、何とも幸せな味が口いっぱいに広がる。そして二つ目のハムサンド、これは薄切りのハムをトーストで挟んだものだ。トーストのカリッという気持ち良い食感に、ハムの味が加わる。シンプルだがこれがまた癖になる。もはや水を飲む隙間すら存在しない。食べれば食べるほどもっと食べたくなる。

「ちゃんと水も飲まないと、喉につまらせるわよ?まぁでも、そんなに美味しそうに食べてくれると嬉しくなるわね。これ、お母さんから教わったのよ。」

霞さんは料理上手だったようだ。このような天才的なレシピを思いつくなんて、きっと神の使いか何かなのだろう。うん、きっとそうだ。病みつきになる味がするのもそうだが、とても懐かしい味がする。ずっと前から、好きだった味と同じだった。


「遊びに来てくれてありがとう、はいこれ。おやつよ。ここに置いておくわね。」

「良かったじゃん、母さんのサンドイッチは世界一美味しいんだぜ!」

 昔からの友達が、サンドイッチを頬張りながら幸せそうな笑みを浮かべる。「彼」のことは、小学生の頃から知っていた。お互い高校生になっても、初めて会った時から何一つ変わっていない。些細なことで笑って、いつでも私を励ましてくれた。そんな「彼」のことが、私はずっと好きだった。でも、私の気持ちなんて言えるわけがなかった。

「霞も部活がなければ、サンドイッチ食べれたのになぁ。残念、残念。」

「…そこまで言うなら一つもらうね。…え、美味しい!」

 私は料理が苦手だったので、今まで一度も誰かに手料理を振る舞ったことがない。おにぎりを作ろうとした時、型くずれしそうで不安でカチコチになってしまったこともある。「彼」のお母さんのような料理上手な人はずっと私の憧れだった。

 あぁそうだ、霞ちゃんも料理が上手だった。霞ちゃんは「彼」の妹さんで、彼女のことも小さい頃から知っている。私を、「寺嶋凛音」をまるで姉のように慕ってくれた。霞ちゃんが幼稚園生の時はよく「凛お姉ちゃん」と呼んでくれて、その度に「彼」は頬を膨らませて言った。

「霞のお兄ちゃんは僕!光弥なの、凛ちゃんじゃなーい!」


 私が急にサンドイッチを持って硬直しだしたからか、おばさんは心配そうな目で私を見ていた。

「えっと…なんか変なものでも入ってた?」

「あっ、いえ。何でもないんです。」

そう、何も驚くことはない。光弥の言う通り、私は凛音「だった」、ただそれだけのことだ。別におばさんにわざわざ話すようなことでもないし、そこまで重大なことでもない。

 皿を洗い終わった後、私も霞ちゃんの遺品整理を手伝うことにした。おばさんが仕分けした物をそれぞれ別の箱にいれる単純な作業なので、そこまで苦ではない。暫く流れ作業をしていると、遺品の中に霞ちゃんの手記が混ざっていた。捨てる用の箱に入れようとすると、間に挟まっていたメモ用紙のような物がはらりと落ちた。

「(なんだろう、これ?何か地図が書いてあるな。このバツ印は…?)」

首を傾げながら見つめていると、家の呼び鈴が鳴った。

「あら、お客さんかしら?ちょっと出てくるわね。」

 最初はただの宅配便かと思ったが、それにしては戻ってくるのが遅い。少し気になり、ドアの隙間から玄関を覗くことにした。すると、おばさんが玄関先で誰かと話している。危うく声が漏れそうになった。おばさんの会話相手は、光弥だったのだ。もしかして自分を追ってきたのだろうか。真意はどうであれ、おばさんに迷惑をかけるわけにはいかない。

 私は手に持ったメモ用紙をズボンのポケットに入れ、存在を悟られないよう注意しながら裏口から外に出た。光弥と霞ちゃんの家の周辺に何があるかはよく覚えている。メモの情報が正しければ短時間で着くはずだ、急がなくては。


 できるだけ近道を通り、ついにバツ印の場所にたどり着いた。メモによると、ここの土が湿っている所に何かがあるらしい。土を両手で触り、隅々まで探した。そして、案外それはすぐに見つかった。湿ったところを手で掘ると、なにやら本が埋まっている。

「どうしてこれが…?そうだ、あの時偶然見てしまって、それで…!」

それは一瞬の出来事だった。手にした本に驚きを隠せず、背後に注意を払うことが出来ていなかった。背中に激痛が走り、お腹からは刃先が見え隠れしている。一度は経験した痛みのはずなのに、やはり痛いものは痛い。後ろから、あの人の声がした。

「アイツは、こうやって死んだんだぞ。アイツは、柑菜は…お前のせいで死んだんだぞ!」

「柑菜」。その名前を聞いて、私はようやくすべてを理解した。昔、私達の間で何が起こったのかを、そして自分自身の罪を。

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