第6話 社会の目と偏見

統合失調症という言葉を聞いて、多くの人がどのようなイメージを持つでしょうか。答えは人それぞれでしょうが、残念ながらその多くが「危険」「怖い」「普通じゃない」といった否定的な印象を持っているのではないでしょうか。社会に根付いたこの偏見は、当事者にとって見えない鎖のようなものです。


統合失調症を抱える私にとって、社会での「目」はいつも重たく感じます。外に出るとき、職場や学校にいるとき、人の目が気になりすぎて息苦しくなることがあります。特に、自分が「統合失調症」であることを知られたとき、そこからはじまる「腫れ物に触るような態度」が耐え難いものでした。


以前、私が統合失調症であることを知った同僚が、話しかけるたびに過剰に優しくしたり、逆に距離を取るようになったことがありました。優しさが悪いわけではありませんが、その態度の中にある「特別視」が私には辛かったのです。まるで、自分が「普通じゃない」存在であるかのように思えてしまいました。


さらにメディアの影響も大きいと感じます。統合失調症を抱えた人物が事件を起こした際、その背景や真実を伝えるよりも「統合失調症」という言葉をセンセーショナルに報道する姿勢。これが社会に誤ったイメージを広げ、当事者への偏見を助長していると強く感じます。


実際には、統合失調症を持つ人の多くは穏やかで、日常を懸命に生きています。それでも、社会に広がる偏見が壁となり、就職や人間関係の場で「病気である」というだけで選択肢が狭められる現実があります。自分がどれだけ努力しても、その壁を越えることが難しいと感じる瞬間は何度もあります。


それでも私は思います。社会の偏見を完全に消すことは難しいかもしれませんが、「理解」を広げることはできるのではないかと。たとえば、正確な知識を発信し、当事者の声を伝えること。少しずつでも、統合失調症がただの「怖い病気」ではなく、「一人ひとりが向き合っている現実」だと知ってもらうこと。それが、私たちの生きやすい社会への第一歩になると信じています。


統合失調症を抱える私たちは、ただ普通の生活を送りたいだけなのです。偏見という見えない壁を越えていくために、これからも声を上げ続けていきたいと思います。


次回は、「1日寝るしかない日々の裏側」についてお話しします。病気による疲れと、それを周囲にどう伝えるかの難しさについて深く掘り下げます。

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