第4話 傷つきやすい心の内側
統合失調症を抱える私にとって、日常生活はさまざまな「傷つきやすさ」と向き合う連続です。小さな一言や、ふとした表情、些細な出来事――それらが私の心に深く突き刺さることがあります。それは、心の中に透明なガラスがあるようなもので、少しの衝撃でも簡単にひびが入ってしまう感覚です。
たとえば、ある日家族が言った何気ない言葉。「なんでそんなに気にするの?」という一言が、まるで「私がおかしいから」と言われたように感じられ、心がズキンと痛みました。頭ではそれが悪意のない言葉だと理解していても、どうしても心が反応してしまうのです。その日の私は、部屋に閉じこもり、涙が止まりませんでした。
特に辛いのは、周囲に「繊細すぎる」と言われることです。「そんなことで傷つくなんて」「普通は気にしないよ」と言われるたびに、自分が社会に適応できない存在であると感じ、自己否定が募ります。でも、私にとってその「些細なこと」が、心のバランスを大きく崩す引き金になるのです。
また、ニュースやSNSなどで目にする攻撃的な言葉や悲しい出来事にも、必要以上に心が反応してしまいます。テレビで見た他人の苦しみが、自分自身のことのように感じられてしまい、そのまま何日も気持ちが沈むことがあります。
ただ、この「傷つきやすさ」には、良い面もあるのだと思いたい時があります。それは、繊細さゆえに、他人の痛みに寄り添える部分があるということです。誰かが苦しんでいるとき、その気持ちに共感し、「自分もそうだ」と思えることで、つながりを感じることができます。
それでも、日々の中で何度も傷つくことは苦しく、心が壊れそうになることがあります。そういうときに支えとなるのは、「無理をしなくていい」という自分への許しと、少しでも安心できる人や場所の存在です。私が安心できるのは、自分を否定せず、ただ話を聞いてくれる人たちがいること。その人たちのおかげで、私の心は何とか修復されていきます。
傷つきやすい心を持つことは、生きづらさと直結することが多いです。でも、その心を持ちながら、少しでも生きやすい方法を模索していくこと。それが私にとっての「強さ」だと思っています。
次回は、「家族と病気の間で揺れる心」についてお話しします。愛しているからこそ苦しい、家族との関係の難しさに焦点を当てていきます。
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