第8話 鳥籠に空いた穴
前の事件以降、ロゼットはずっとルーダのことが気にかかっていた。いくらなんでもあの年の男の子があそこまで殺人に躊躇がないのはおかしいし、それについて話がしてみたかったのだ。しかし、人なんてそう簡単に再会できる訳でもなく、ましてや彼が住んでいるというミコヤの街は自分の家から気軽に行ける距離でもない。
とは言ったが、実は方法がないことはない。リシュアは昔、学校を卒業したら踊り子として世界を股にかけることが夢だと話していた。そして、近いうちに旅に出るので、ロゼットも一緒に行かないかと誘われているのだ。ロゼットも前々から冒険者には興味があったし、世界中を見て回ることに憧れを抱いていた時期もある。だから、親が許せば一緒に行きたいと考えている。今日、ロゼットはそのことについて実際に相談してみることにした。
「父さん、母さん。実は友達から一緒に世界を旅しないかって誘われて…その、誘いを受けようと思うんだよ。」
父はその話を聞き、急に血相を変えてロゼットを睨みつけた。母も想像以上に驚いた顔でロゼットを見ている。父はまくしたてるようにロゼットに言った。
「何を言っているんだ!お前が家を出ていったら、家業の農業は誰が継ぐんだ?まさか、シャルにやらせるつもりか!?」
「そうよ、急にどうしたの?今まで家の畑を継ぎたいと言っていたのに…」
父母に向けられた目線はとても冷たく、そして恐怖を掻き立てるものだった。ロゼットは今まで親にハッキリと口答えしたことがない。やんわりと意思表示をしてきただけで、最終的には根負けしたのが常だった。だから二人はこんなに怒っているのだろう。いや、怒っているのではない。これが、二人にとってあまりにも予想外なことだったのだ。
「お前が最初に農業の勉強をさせてほしいと頼んだから、シャルに教えなかったこともお前に教えたんだぞ!シャルは学んでいないことが多すぎる、もう継ぐのは無理だ。お前が素直に家業を継げば全て解決するのに、つまらん意地を張るな!」
「何それ…どうして今更僕にそんなに執着するの、今まで僕に何も期待してくれなかったくせに!そんなに継がせたいのなら、僕のことだってシャルみたいに優秀に生んでくれたら良かったじゃないか!そうすれば僕も好きなことやらせてくれたの、自慢の息子だって言ってくれたの!?ようやく本当に自分がやりたいことを見つけたのに、どうして挑戦すらさせてもらえないんだよ。僕は…僕は、父さんの人形じゃない!」
ロゼットはそう言い放ち、リビングから出ていった。もう限界だった。父の話を聞いているうちに、都合の良いときだけ自分に執着する父に嫌気が差してきていた。別にシャルロットは家業を継ぐことを嫌がっているわけではない。寧ろ、ロゼットがやらないのなら自分がやりたいといつも言っている。それなのに、父は頑なに譲らなかったのだ。つい頭に血がのぼり、ずっと胸に秘めていた思いも、不満も全て口に出してしまった。
ロゼットは自室に閉じこもり、布団に包まりながらずっと泣いていた。止めようとしても、とめどなく涙が溢れてきた。しばらくは落ち着きそうもない。こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。いつも泣きたいときは我慢して、静かにしゃくりあげるくらいに留めていた気がする。しかし、このときはそんなことはできず、ただただ泣いていた。
コンコン。ロゼットが部屋に閉じこもって数分後、誰かがドアを叩く音が聞こえた。おそらくラヴィーネかシャルロットあたりだろう。あれだけ怒鳴った後だ、父とは思えない。
「お兄ちゃん、入ってもいい?」
ドアの向こうからシャルロットの声がした。かなり泣いて顔がグシャグシャになっているので、返事をする前に何度も目を手でこすった。
「シャル?いいよ。」
ガチャッ。シャルロットは先程まで大声で泣いていたロゼットに遠慮するでもなく、いつも通り部屋に入りロゼットのベッドに座り込んだ。シャルロットはゆっくりとロゼットの顔を覗き込んだ。やめてほしい、ただでさえ泣いた声を隠すのに必死なのに。目はまだ腫れている。泣き顔を今更見せるなんて嫌だ、みっともない。
「あのね、実はさっきの会話、ラヴィさんと一緒に聞いてたんだ。私、お兄ちゃんがそんなに思い詰めたって知らなかった。」
「…うん」
「ラヴィさんね、怒ってたよ。自分の子供に好きなことさせてあげないのかって。そんなの親じゃないって。今ラヴィさんがお父さんとお母さんと話をつけてくれているの。」
シャルロットは泣き顔を隠そうとそっぽを向くロゼットの顔をクイッと曲げ、自分の方に向けた。何かを言おうとしたその時、ロゼットの机から何かが落ちた。シャルロットが拾い上げてみると、それは家族写真だった。父に肩車されて嬉しそうなシャルロットと、母と手を繋いでぎこちない笑顔を作っているロゼットが写っている。ロゼットはこんな小さな頃から様々なことを我慢していた。シャルロットはロゼットの手を優しく握って言った。
「今まで一人ぼっちにしてごめん。あの二人がなんと言おうと、お兄ちゃんのやりたいことなら私もラヴィさんも全力で応援するから!だからもう、我慢しなくていいんだよ…」
ロゼットは再び涙が溢れそうになってきた。ラヴィは、自分のために怒ってくれている。いつも態度が冷たいから、あまり大切に思われていないのかと勘違いしていた。でもそうじゃなかった、ラヴィーネにとってもロゼットのことは大切な友達なのだ。シャルも自分にここまで向き合ってくれている。ずっと前から、一人じゃなかった。
ロゼットはシャルロットに胸を貸してもらい、大きな声を出して泣いた。この涙は、温かいのか冷たいのか、二人のどちらにもよくわからなかった。それでも、二人共今が一番心も目頭もじんわりとした。
その時だ。パシン!リビングの方から、ビンタをしたような大きな音が響いてきた。二人は驚いて思わず目を見合わせた。脳内では悪い想像しか働かず、とても嫌な予感がした。リビングではラヴィーネが父母と「話」をしているはずだ。暴力を振るう音なんて聞こえるはずがない。もはや言葉はいらず、ロゼットとシャルロットは急ぎ足でリビングに向かった。
部屋のドアを勢いよく開けると、右頬が赤く腫れたラヴィーネと、机から身を乗り出している父、そして父の腰を掴みあたふたしている母がいた。この部屋で何が起きたかは誰の目にも明らかだ。
「父さん…ラヴィを叩いたの?」
「ロゼ、それにシャルまで!ち、違うんだ。これは、その…」
父は口をひたすらモゴモゴさせ、必死に言い訳を考えているようだ。しかし、事が起きてからではもう遅い。シャルロットは今まで見たこともないような顔で父を睨んだ。その気迫は、逆上してよその子に手をあげた父なんかよりもよほど怖いものだった。
「お父さんがそこまでひどい人だとは思わなかった。私はお父さん、いえ、貴方には育ててもらった恩がある。それでも、私とお兄ちゃんの大切な人を傷つけるのなら、そんな親は要らないわ!」
いつもは温厚な娘の気迫に圧倒され、父親失格の情けない男は何も言い返せなかった。ふと窓を覗くと、黒色の制服を着た王国騎士団が家に詰めかけている。どうやらラヴィーネが呼んだらしい。
かくして、アメラ家の父親は他者に暴行を加えたとして連行された。リビングにはロゼット、シャルロット、そして二人の母が残った。ラヴィーネはシャルロットに耳打ちをして質問をした。
「シャル、母親の方は良かったの?私はあの人も同罪だと思うけれど。」
「いいんですよ。あの人は別にお兄ちゃんの夢を潰そうとしていた訳ではないし。」
シャルロットはそう言ってニコッと笑った。その表情を見るに、後悔はしていないようだ。母は頭を床に擦り付けるように土下座した。
「二人共、今まで本当に、本当にごめんなさい!許してくれなんて言えないわ。でも、せめて謝らせてほしいの。」
ロゼットはそんな母の様子を見て、少しだけ考えてから口を開いた。
「母さんは、僕の夢を応援してくれる…?」
母はハッとした様子で顔を上げ、ロゼットを見つめた。ロゼットは何処か寂しそうで誰かに縋るような顔をしていた。母は泣きながらロゼットを抱きしめた。
「えぇ、応援するわ!約束よ!」
今までバラバラだった家族は、少しでもわかり合うことが出来ただろうか。例え旗から見たら歪な形だったとしても、彼らは少しでも気が楽になったのだろうか。それは、当事者たちにしかわかり得ない。それでも、今この瞬間に何かが変わったのは、紛れもない事実だ。
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