第3話 あなたの手を取って
「何だ、ただの人助けだったのね。そういうことは早く言いなさいよぉ、もう!」
「言ったよ、さっきのさっきまで、何回も!勝手に勘違いしたのは母さんだろ!?」
台所からパクってきたクッキーをモグモグ食べながら、ロゼットは言った。あのあと、結局母によって家族4人を巻き込む大混乱となり、事情の説明に無駄に時間がかかった。全員ロゼットが犯罪に手を染めたと勘違いしたものだから、彼からしたらたまったものではない。それから数十分経過観察を続けているが、一向に目を覚ます気配がない。
「アタシは晩御飯作んなくちゃいけないから、この子のこと宜しくねー。」
言っていることは間違っていないが、なんだか面倒事を押し付けられた気分になったロゼットだった。
一人で少女の容態を見ているロゼットは、今日のことを何度も思い出した。彼は今日、初めて魔法を使った。たった一つの命を救うために、自分ではない誰かのために。彼女は一命を取り留め、今こうして心臓の鼓動がしている。自分は、誰かを救えたのだろうか?誰かを守れる強い人になるという夢を、叶えられるのだろうか。まだ、諦めなくてよいのかもしれない。少年が失くしたはずのものは、まだその手に帰ってこれる距離にある。努力を続ければ、いつかきっと掴み取れるだろう。自分が志したことを勝手に諦めるなど、よく考えればおかしな話なのだ。
「う…ん。」
「あ、起きた。君、どうかしたの?酷い傷だったけれど。」
少女は目が覚めるやいなや、ロゼットの顔を見てひどく怯えた。
「いやぁぁぁぁ!あう、うあぁ…」
急に起きて急に叫ばれたので、ロゼットの脳の処理スピードは全く追いつかなかった。それでも、フリーズしかけたその頭でよく考えた。最初は自分を誘拐犯だと勘違いしているのだと思ったが、すぐにそれは間違いだとわかった。
「お父様、どうして、どうして!ごめんなさい、ごめんなさい。許して、ください…」
この言葉に追い打ちをかけられ、ついにロゼットの脳内は機能停止した。もう何が何なのか一ミクロンも理解できなかった。更に、少女はバタバタと暴れ始めた。ロゼットは左頬、右脇腹、頭、左手、両足のスネにパンチやらタックルやらをお見舞いされ、なすすべ無くダウンした。
「何、何が起きた…え?どういう、状況…?」
彼の意識はそこで途切れたので、本当に何もかも意味不明な状況で急にノックアウトされたことになる。
「…ちゃん、お兄ちゃん。大丈夫!?何があったの!?」
起きて早々にシャルロットの大きな声が耳に響く。ロゼットの体が、グワングワンと揺らされている。地震でも起きているかのようだ。なんて強引な起こし方なのだ、兄に対し容赦がない。
「あーえっと、まずあの子はどこにいるんだ?」
「あの人、ラヴィーネっていうんだってさ。ほら、あそこにいるよ。」
「あそこって…え、牢屋!?鉄格子!?はぁ!?」
なんとラヴィーネという少女は、ロゼットの部屋の中の鉄格子の中にいた。ノックアウトされたときの理解不能なシチュエーションも相まって、ロゼットは自身の空いた口を塞ぐことすらできなくなった。驚きすぎて顎が外れそうな勢いだ。冷静さを取り戻そうと、ロゼットは凄い勢いで深呼吸をした。過呼吸を疑われるレベルの話だ。
「それで、何があったの?」
「あぁ、そうだった。シャル、よく聞けよ…ラヴィーネさんの目が覚めたと思ったらいきなり叫んで暴れ出してぶん殴られた。」
「…今なんて?」
非常に端的に事実を述べたまでだ。何一つ嘘はついていない。しかし、理解が追いつかないのも無理はない。このことを説明したロゼットが一番意味がわかっていないのだから。
その時、ロゼットの部屋のドアをノックする音が聞こえた。白米とスープの良い匂いがプンプンする。それだけで二人のフリーズした脳は機能を再開した。お腹が空いてきた。
「二人共、ご飯できたわよ。ラヴィーネちゃんの分はここにおいておくからね。」
二人は顔を見合わせ、そしてラヴィーネの方を見た。お互い考えることは同じだ。
「なぁ、ご飯素直に食べてくれると思う?」
シャルロットは微妙な顔つきでロゼットの方を向き、そして静かに言った。
「いや…無理でしょ。うん、不可能だよ。」
「シャルもそう思うか…僕も全く同じこと思ってるよ。前途多難だなぁ。」
それ以降ロゼットの家でラヴィーネの看病を続けたが、傷は治っても精神状態は一向に良くならなかった。一緒に暮らしてわかったことだが、ラヴィーネは幻覚症状を患っているようだ。ロゼットやシャルロットが、彼女の恐怖心を掻き立てる人物に見えていたのだ。ロゼットのことは自分の父親に、シャルロットのことは自分が斬った宿屋の女将に見えているらしい。この前の傷害事件の記事通り、彼女には病院に行かなければならないほど、精神に異常があった。だから、彼女は学校をずっと休んでいる。
ロゼットは毎日のように彼女のことで思い悩んでいた。次はどんな方法を試すべきか、一心不乱に考えていた。そんな彼の視界に、ふと学校の座席表が映り込んだ。自分がまだ覚えていない名前が多く書かれている。
「ん?なんか見覚えのある名前があるな。『ラヴィーネ・フォン・ガーチェ』って書いてある。ラヴィーネさんは騎士じゃないのか?まさか、ラヴィーネさんがあんなに思いつめていた原因って…」
ロゼットは彼女の心の中が見えるような気さえした。彼女は、自分と同じだったのだ。誰からも期待されなくなり、自分を信じられなくなっていた。立派な才能もなく、何もかもシャルロットと比べられて生きてきた惨めな自分と、何ら変わらなかった。最初から彼女は、自信と誇りに満ち溢れてなどいなかったのだ。
家に帰り、ロゼットはラヴィーネに話しかけた。彼女は依然として虚ろな目だった。
「一緒に行きたい場所があるんだ。付いてきてくれるかい?」
「‥はい。わかりました、お父様。」
久しぶりに牢屋の鍵を開け、ラヴィーネは自由になった。彼女はそれでも逃げようとしなかった。手はずっと震えていて、ロゼットに怯えているのにだ。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん。大丈夫なの、外に出して?」
シャルロットが心配そうな様子で部屋に入ってきた。無理もない、毎日ご飯を用意するたびに錯乱して叫んでいるのだから。しかし、ロゼットは至って冷静だった。
「そんなに心配なら、シャルも付いてくるといい。僕の、一番好きな場所に行くんだ。」
ロゼットが案内した先には、美しく静かな風景が広がっていた。三人の周りに広がる自然は、彼らを静かに包み込んでいる。鳥も、草花も、そこにある全てのものが優しくて、暖かいものだった。誰も何も喋らなかった。ただそこにいるだけで気持ちが和んだ。
「ロゼット…」
「え、今僕の名前を呼んだ、の?」
ラヴィーネは初めてロゼットという存在を認識した。彼の名を、たしかに呼んだのだ。常に何かに恐怖心を抱いていたときとは違い、美しい声をしている。ロゼットも初めてラヴィーネの顔をちゃんと見ることができた。彼女は、ロゼットの側で笑っていた。ラヴィーネはこんなにも優しくて柔らかな顔をしていたのだ。ロゼットは変なことを考えてしまった、可愛いと。
「シャル…ロット…?」
「はい、そうです。シャルロットです!」
家から帰ると、ラヴィーネは何故か二人をロゼットとシャルロットだと認識することができなくなっていた。
「な、なんで。斬ったはずなのに、どうして!」
「いやいや、私斬られてないですけど!?」
ラヴィーネがその気なら、またあの場所に連れて行ってあげよう。ロゼットはそう思った。その日の晩、ロゼットとシャルロットは皆が寝た後、こっそり起きて二人でハイタッチをしたという。
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