07.彼女の部屋へ その2
「あれ、ここにしまったはずなのに見つからないわ。あれれ、おかしいぞ~~」
見た目は子どもの高校生探偵みたいな台詞が気になって、つい肩越しに覗いてしまう。薄暗いクローゼットの中でごそごそと作業する姿は全身を墨汁で塗られたように真っ黒で、なんだか犯行直前の凶悪犯みたいだった。
「あ、あったわ! これよこれ! これなら凛ちゃんでも驚くはずよ!」
闇のなかで目を菱形にして笑みを浮かべる会長。それは荷物から凶器を取り出してほくそ笑む犯人そのものだ。アニメだとこういう恐いシーンの後でアイキャッチが入るんだよな。ぎぃぃい、がちゃーーん! って扉が閉まるやつ。
「これでどう、DVD購入者に抽選で当たる原画よ! しかも未開封!」
「えぇ! これって抽選で百人にしか当たらないやつじゃないですか! 会長、これを当てる為に何枚DVDを買ったんですか!」
「しょうがないでしょ、抽選にする運営がケチなの! 全員にくれればいいのに!」
「それだと応募者全員サービスです、とにかくお小遣いは考えて使って下さい!」
「もう、遙輝くんってお母さんみたい、ぶーっ!」
「ほっぺたを膨らませてもダメ! いくら好きでも、玩具会社に踊らされたらダメですよ!」
「でも、好きなものの為に頑張って働いたんだもん。奮発したっていいじゃない……!」
「そうかもしれませんが――!」
しゅんとなる会長に僕は言いかけた言葉を飲みこんだ。
「踊らされてるとか、そんな言い方しなくたっていいでしょ……」
「すみません、言い過ぎました!」
顔を伏せていた彼女が涙声になり、慌てて頭を下げた。
再生数を追えるような動画を作るのも大変だし、年末には学校公認の『ゆうめいと』のバイトに参加して、自転車で年賀状を配達していたらしい。
「ごめんなさい、会長の頑張りも知らないで勝手なことを言ってしまいました!」
「あと、そういうのもやめてほしい……」
涙を拭き、チーンと鼻をかみながら言う。僕がかしたままのハンカチで。
「なにをでしょう?」
「会長って呼ぶのをよ。堅苦しいでしょ」
思い返してみれば、一度も彼女の名前を呼んだことがなかった。
「もしかして、私の名前を知らないの?」
「違いますよ、九条さん」
「私の家で名字を使ったら誰を呼んでいるかわかんないでしょ?」
「すみません、ええっと……。梨香さんでいいんでしょうか?」
「そう。九条梨香よ。会長が本名じゃないんだからね」
鼻をすすり、落ち着きを取り戻した梨香さんが居住まいを正した。
「使いすぎなのは自覚してるから、気をつけるようにする。でも、根岸くんだって好きなものにはお小遣いを使いすぎちゃったりするでしょ?」
「ええ、もちろんです」
「そういえば、根岸くんってどんなことが好きなの?」
「僕の好きなことですか?」
「私みたいな度が過ぎたのはなくても、なにかあるでしょ?」
「ええっと……」
僕にだって興味をもったことはあるし、それに‘お小遣い’を使おうと思ったことは何度もある。だけど、それは無理なことだった。
「いえ、やっぱりなにもなさそうです。いやぁ、僕って無趣味人間だな~~」
「ふ~~ん。つまんない人~~」
仕返しのつもりか、梨香さんが唇を尖らせていた。
偉そうなことを言える立場じゃないな。
彼女は僕にないものを持ってる。好きなことに情熱を注ぎ、それへの憧れから生徒会長を続けられるなんて決して真似できないことだった。
「でもありがとう。家族以外で趣味を受け入れてくれたのは根岸くんが初めて」
「僕だけですか? 今まで誰にも打ち明けなかったんですか?」
「中学のときに教えた友だちが一人だけいたんだけど、あんまりいい反応されなくて。それから絶対に、とくに男子には言わないって決めていたの」
この趣味を打ち明けるほどの相手となれば、きっと恋人だろう。
「彼のことを信頼していたから話したんだけど、そんなの捨てなよって嗤われたのがショックで、翌日学校を休んじゃったんだ……」
「えっ、そんなことを言われたんですか?」
僕は拳を握りしめる。
年相応の趣味を持ったほうがいいという気遣いにしても、もっと彼女の気持ちを考えるべきだろう。生き甲斐を否定することがどれほど人の心を傷つけて、苦しめるのかわからないのだろうか。
「本当だから仕方ないよ。普通な趣味をもっていれば、もっと友だちも大勢いたのかなって思うこともあるし。それに、それぐらいで休んじゃう私がいけないんだよ」
気丈に笑おうとする彼女に胸が締めつけられる。
そんな悲しい顔をしてほしくない。
僕は彼女の笑顔が好きだ。ごきげんようと、爽やかに手を振る姿も美しいけれど、
「私だって、はやく卒業しなきゃいけないのはわかっているもん……」
さびしげにグッズに蓋をする手を、思わず握っていた。
「根岸くん?」
「自分の大切なものを捨てる必要なんてありません」
学校で隠した方がいいのは事実だが、捨てる必要なんてない。
「周りに合わせる気遣いは大切です。でも、自分を捨てないで下さい。カルルピのことを熱心に語ったり、笑ったりしてた梨香さんは、とっても楽しそうな顔をしてましたよ」
「本当に、いいの?」
「もちろんです。会長としての姿も素敵ですけど、少し我儘な姿も可愛いと思います。趣味に全力な梨香さんの方が、僕は、好きですよ」
「え?」
あれ? 今、僕はなにを言ったんだ?
口を閉ざしたとたん、息ができないほど胸が高鳴り始める。
傷ひとつない沈黙に包まれるなか、僕らは眼差しを交えたまま動けなくなっていた。
だんだんと体が熱くなり、シャツの内側からは滝のように汗が流れていた。
「すみません、今のは、なんというか……」
取り繕ってどうする。これが本心じゃないか。
梨香さんは顔を伏せている。長い髪が頬にかかり、どんな表情なのかはわからない。硬直していた僕の手の甲に、彼女の手が重ねられ湿った指が絡みついた。
「励ましてくれてありがとう。私、とっても嬉しい」
「いえいえ。元気になってくれてよかったです」
「うん。根岸くんのおかげよ」
「あの、そろそろ撮影して失礼します。遅くなりそうだし……」
時計を見ると、夜の七時だった。
「あ、そうだ。よかったらこれを使わない?」
写真を撮って退室しようとすると映画の前売券を渡された。特典ほしさに数枚買ったらしい。
「ひょっとして、もう持っていたかな?」
「いえ、これはまだ買っていなかったんです」
「もしかして、私がクイズ大会で邪魔しちゃったから?」
「違いますよ、いつ見に行けるかわからなかったから買わなかったんです」
「意外ね。てっきり初日に見に行くと思ったのに」
「今週末は親がいなくて無理なんです。初日の映画館は人も多いし、僕だけじゃ凛を見守りきれないし」
梨香さんはしばらく悩むと「私じゃダメかな?」と僕を見据えた。
「私にも妹がいたし付き添えるかな、なんて。もし親御さんが許可してくれたら一緒に行かない? 凛ちゃんも映画を見られるし、それに――私も根岸くんとお出かけしてみたいし」
恥じらうような笑みに射抜かれるような衝撃を受けた。会長としても作画崩壊時にも、それどころかどの異性からも、今までそんな表情を拝ませてもらったことはなかった。
「遅くまでひき止めてごめんね。返事は今度でいいから、気をつけて帰ってね?」
梨香さんに見送られて家を辞去した。
冷え切った夜の空気に触れるも、いつまでたっても胸は熱いまま。こんな気持ちになるのは初めてだった。
『励ましてくれてありがとう。私、とっても嬉しい』
瞼の裏には梨香さんの笑顔がいつまでも焼き付いている。
僕は彼女の笑顔を守れたのが嬉しかった。
自分に嘘をついて趣味を捨てる必要なんてない。
生き甲斐を否定される辛さや、それが途方もないトラウマを残してしまうことは、僕も痛いぐらいにわかっているのだから。
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