09.パパ活疑惑の女子
時は遡って金曜日の放課後。
全校集会を報せる音楽がスピーカーからかかり、僕を含む生徒たちはぞろぞろと体育館へ歩いていた。
集会の内容は建学祭についてだ。
生徒たちはみな退屈そうだったが、それを咎めるように校長の背後で理事長が目を光らせていた。
理事長にとって建学祭は入学希望者を増やすための重要な行事。その気迫を感じ取ってか校長の話はいつになく迫力があった。
「生徒会役員を中心に各部、生徒、職員が一丸となり、建学祭を成功させましょう。では、山村理事長からも一言お願い致します」
理事長が演題に立ち、体育館は水を打ったような静寂に包まれる。
いつもは毅然としたスーツ姿の理事長だが、最近は忙しいようで全体的に窶れている。演説は本校のモットーである『誠実、聡明、自立』の下、必ず成功させましょうという言葉で締めくくられた。
集会がおわり、教室に戻る生徒たち。そのなかには理事長への揶揄も多い。
「そんなに学校を宣伝したいのかしら?」
「ねぇ、入学者を減らさない為に『スクールアイドル』を結成する案があったの知ってる?」
「は? アニメじゃあるまいし、そんなのアイツの趣味でしょ?」
「どん引きだよね。それとさ、生徒手帳にある異性交際の禁止って、理事長の発案なんだって。自分好みの女子が付き合うのが許せないからじゃないかって噂だよ」
「うわぁ、気持ち悪ぅ! 鳥肌出てきたぁ!」
「だいたい校則でなんでも決めすぎよ。なによ、校内には五千円以上のお金を持ち込まないようにしましょうって。そんなんじゃ生活できないっての」
様々な意見が飛び交うなかを歩いていると、佐野が僕のもとにやって来た。
会長とのフラグは立ったのかと訊かれ、近況を報告する。
建学祭の準備は順調だったし、階級も曹長まで昇格できている。唯一、軽音楽部から予算の返答がないのが気がかりだったけど、部室を訪ねても部長が不在で進展のないままだった。
梨香さんとの関係については、グッズを撮影した日から二人きりでいる時間が増えていた。
『好きなものに全力な梨香さんの方が、僕は、好きですよ』と、彼女に本心を打ち明けたあの日からだ。
自分に正直なほうが素敵と伝えたかったのだが、告白と誤解されてもしかたない。
むしろ、告白だろう。
梨香さんと交流した時間は僅かだけど濃密だったし、一緒に仕事をして感謝の笑みを向けられれば意識せざるを得なかった。
「うちの部も順調だぞ。SNSでの暴言を取り締るAIソフトを開発中だ」
「なんでそんな真面目なことを?」
「建学祭で評価が高ければ予算が増えるからな。まぁ、息抜きでハッキングとかしているけど……」
普通な息抜きをしろ。
不意に、前方に賑やかな集団を見つけた。
男女あわせて五、六人で、全員がベースケースなどを背負っている。
そして、その中心にいるのは軽音部の部長、泉智子だった。適度に着崩された制服に、かすかに茶色に染めた髪をショートボブにした姿はお淑やかな梨香さんとは対称的な華があった。
「ちょうどいい。予算のことを訊きに行くよ」
「まさかあの集団に突入する気か? タイプ不一致で瞬殺されるぞ?」
たしかに相手は同じ学び舎にいながら住む世界の違う人たちだ。
関わりたくはないけれど、今は伝えるべきことがある。
僕は拳をぎゅっと握りしめると、彼らの間合い踏み込んで声をかけた。
全員が立ち止まり、しかめ面で振り返る。僕への眼差しは異物を見るようなものだったけれど、他の部活との対談でその程度の先制攻撃には慣れていた。
「すみません、建学祭の予算についての連絡は届いておりましたか?」
僕は真っ直ぐに泉部長に顔を向けた。取り巻きを気にせず、ボスに集中して短期決戦に持ち込まなければ僕のメンタルはあっという間にすり減ってしまう。
「あなた、会計の人?」
泉の眼差しは、同学年とは思えないくらい落ち着いていた。
「この前の会議で、予算の後輩さんにお伝えしたので確認してもらえますか?」
「あぁ、聞いている。今日ちゃんと見ておくわ」
口元に笑みを浮かべる彼女に「予算が減ったみたいね」と訊き返されると、周りにいた部員が一斉に口を開いた。
「はぁ? そんなの聞いてないんだけど?」
「どうして俺らの金が減る? 大して活躍していない部から優先して削減しろよ」
「っていうか理事長に増やすよう交渉したの? それもアンタらの仕事でしょ?」
部員の言葉が矢のように刺さり、呆気なく心が萎んでしまう。黄金のオーラを纏うほどに気合いを入れていたつもりだったけど、髪色はすっかり黒に戻っていた。
「予算の為に理事長のところへ交渉に行くのなら付き添うわよ? お願いするのは得意なつもりだから」
泉の言葉に女子の部員たちが「ナイスパパ活」と笑う。
「もう、変なこと言わないでよ。私は‘健全’なことしかしないんだから」
「ちょっと待て泉、俺たちが交渉する必要ないだろ! そういうのはこいつらの仕事だ!」
部員たちをかき分けて、ドラマーの桑原圭介が僕の前に現れた。運動部に劣らぬ体格の持ち主で、部の実績を後ろ盾に横柄な振る舞いをする悪い噂の絶えない生徒だった。
「おい、今年の予算はいくらなんだよ?」
「それはお渡しした資料に書かれているのでそちらを確認してもらえますか?」
「おい、なんだその言い方?」
しまったと後悔の臍を噛む。
説明を省こうとする言い方では神経を逆なでするのも当然だ。
おまけに低めに設定した予算を伝えたことで、彼はますます声を荒げるのだった。
「はぁ! たったのそれだけかよ、予算は誰が決めたんだ!」
「予算総額は事前に決まっていましたが、各部への配分を決めたのは僕です」
桑原が僕に詰め寄る。
その後ろでは泉を含む部員たちが面白いものを見るかのように笑みを浮かべていた。
なんだい。僕はライオンの檻に入れられたネズミかよ。
しかし、ここで逃げるわけにはいかない。僕が矢面に立たなければ梨香さんたちに迷惑がかかるのだ。
「なんでお前に俺たちの小遣いを決められなきゃいけないんだよ?」
「小遣って、これは活動に充てる為のものなんですが……」
「なんだよ、その納得してない顔は? はぁ、ダメだこりゃ。九条だっけ? アイツに直談判するしかねぇな」
「この件に関して会長は無関係です。それに、少ない費用で耐えているのは他の部も同じです」
つい僕も口調が荒くなってしまった。
「そんなこと知ったことか!」
桑原が廊下の壁に拳を打ちつけた。
毅然とした対応をつとめたが、それがますます怒りを増幅させたらしい。
「なめやがって!」と、彼の拳が僕へ向けられた。
ところが殴られる寸前、僕の背後から佐野が掴みかかってきた。
「おい、今予算って言ったよな! うちの部の活動費もお前が決めていたのか!」
「うわっ、なにするんだよ!」
佐野が怒鳴ると、偶然周囲にいた部員もまくし立ててきた。
僕がもみくちゃにされる様子を前に、桑原は呆気にとられて拳を下ろしていた。
「な、なんだ、コイツら?」
「そのへんにしてあげましょうよ。他の部からも板挟みにされて可哀想じゃない」
「そうだな。こんな奴らにかまっていられねぇや」
泉の言葉に桑原たちは歩き去る。僕は佐野たちに羽交い締めにされながら、部室と逆方向に歩いていく姿に違和感を覚えた。泉に訊くと、最近は他校の軽音部とスタジオをシェアして練習しているらしい。それで部室にいなかったようだ。
「今日の練習が終わったら、代理の子に金額を訊いておくわ」
「あの、急がないと調整が難しくなると理事長に言われておりますので、月曜の朝までに返答をお願いできますか?」
こちらの要望を伝えると、泉は片眉を吊り上げ「わかったわ」と吐き捨てるように返答した。
きっと面倒なやつだと思われたことだろう。
彼女には悪いが、僕は密かに胸を撫で下ろす。期限があれば蔑ろにはされないし、それを過ぎれば相手の落ち度にできる。土壇場で一撃を加えておいて正解だったようだ。
泉たちがいなくなると、佐野に小突かれた。
「危なっかしいな。俺たちに感謝しろ。敵を一ターン休みにしてやったんだからな」
「ありがとう、殴られるところだったよ」
「いいってことよ。他の部活を見下したのには腹が立ったしな。皆、仕返しにアイツらのPCにドス攻撃しようぜ、急いで掲示板で有志を募るぞ」
「こら、変なことしたら本当に予算を減らすぞ」
苦笑いを浮かべつつも彼らに感謝する。
犯罪幇助はできないが、私欲だけに働く悪友が僕を守ろうとしてくれたのが嬉しかったのだ。
佐野と別れて生徒会室へ行くと、梨香さんと立花姉妹がいた。
僕は軽音部に予算の伝達ができたと報告した。
「金額については未確認だったようですが、月曜までが理事長への期限だと伝えたので、それまでには返事がくると思います」
「え、期限なんてあったかしら?」
「そういうことにしておけば無視されないでしょう。それに『できない』ではなく『難しくなる』と伝えただけですから嘘にもなりません」
報告を終えると各々で今日の活動にとりかかった。
立花姉妹は地元情報誌に掲載する紹介文の作成を始め、僕らは送付状とポスターを封入していく。宛先は地元の中学や図書館だ。
作業に没頭していると、隣にいた梨香さんから視線を感じた。
「軽音部のことはありがとう。じつはあの人たちのこと、少し苦手なの。教室も近いから伝えられるチャンスは多いけど、泉さんってなんだか恐くて……」
たしかに泉には近寄りがたい雰囲気があった。
それに加えてパパ活をしているという噂もあり、梨香さんはそれを信じているようだった。
「街で泉さんを見かけたことがあるんだけど、待ち合わせみたいに立ってて、私に気付いたらすぐにいなくなっちゃったの。まさか、本当にパパ活しているのかな?」
「それはないと思いますよ。そもそも住んでいる地域を避けるでしょうし」
「そうだよね。私じゃあるまいし、裏アカで活動なんかしないよね」
「会長、裏アカなんか持ってるんですか?」
「ファンクラブ用のやつ。根岸くん以外には知られたくないから、秘密よ?」
唇に指を当てると、梨香さんは桑原のことも苦手だと告げた。
まさか乱暴されたのかと心配になったが、今まで衝突したことはないらしい。
むしろ彼女は桑原を避けており、昨年の活動においても軽音部への対応だけはアリーシャ先輩を含む、先輩たちに頼っていたらしい。
「今は私が会長だからしっかりしないと。次になにかトラブルがあれば私が対応するわ」
胸をはる梨香さんだが虚勢だろう。僕も関わりたくはないし、先程も佐野たちがいなければ殴られていただろう。だけど、彼女が危ない目にあうのはもっと嫌だった。
「会長、軽音部のことは僕に任せて下さい」
「ダメよ。そんなんじゃ逃げ癖が治らないもん」
「誰だって苦手なことはありますから助け合えばいいんです。予算については僕が窓口になりますから会長は安心して下さい」
「……いいの?」
「もちろんです。チームプレーで乗り切りましょう」
「ありがとう。なんだか私、頼ってばかりだね」
梨香さんがうっすらと頬を染めたので、なんだか僕も気恥ずかしくなってしまう。
だが、嬉しいことばかりじゃない。
引き受けた以上は責任が伴う。泉たちが予算のことを意見しにくれば僕が対応しなければならないし、不手際があれば桑原から暴力を受けることだってあるのだから。
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