03.うちの生徒会長が土下座してきた


 いくらなんでも彼女があんなガチ勢さんのわけが――


「私だって答えがわかっていたんだけどなぁ」

「え?」


 背後で力強く扉が閉められると、鍵のかかる無慈悲な音が響いた。

 こつこつと近づく靴音に悪寒が走る。はやくここから逃げろと誰かが僕に警告するが、足が棒のようになっていた。会長の気配が真後ろにある。彼女の吐息が首に触れ、うなじの毛がちりちりと逆立つのを感じた。


「九条さん……。まさかとは思いますけど、カルルピのイベントに参られましたか?」


 恐怖のあまり謙譲語と尊敬語を使い間違えていたけれど、そんなことはどうでもいい。返答のない彼女へ振り返ろうとした瞬間……


「もう気付いているんでしょう、遙輝お兄ぃちゃぁぁん?」


 耳元で囁かれ絶叫した。突っ走って脱出をはかるもドアノブは鎖でぐるぐる巻きにされ南京錠までついていた。いったいどこでこんなものを準備したんだ? っていうかどこから取り出したんだ?


「開かない、開かないよぉ! 誰か、誰か来て下さぁぁい!」

「お願い根岸くん、アレを私に譲ってよ、なんでもするからぁ!」


 獣のごとき跳躍力で飛騰し、着地と同時に土下座する会長。必死に逃げるも、ラガーマンのごとき突進を受けて壁ドンされてしまう。おまわりさんこっちです、助けて下さい。


「な、なんて身体能力だ!」

「当たり前よ、私茶道部にも入ってるもん!」

「はい?」


 茶道をしているとこんな動きができるようになるのか? っていうか茶室でこんな動きをするのか? そんなふうに点てられたお茶なんて絶対に飲みたくない!


「答えがわかっていたんだから私にだって受け取る権利があるはずでしょ!」

「そ、そうかもしれませんが……」

「そうかもじゃなくて、そうなの!」

「唾を飛ばさないで下さい!」


 頬を膨らませた真っ赤な顔が鼻先に近づいてくる。

 さっきの叱責の比でないぞ。輪郭が変わるほどの顔面崩壊だ。

 けれど、目尻を濡らして頭から湯気を出す姿からはいつもの芸術品のような美しさがない反面、感情を爆発させて幼児のように我儘をうったえる彼女は、可愛らしくもあった。なんだか、凛に似ているな。


「あれが景品を手に入れる最後のチャンスだったのに! 全国の会場を巡って、ようやく指名されて、正解できたと思ったのにぃ!」

「そこまでしてほしかったんですか……?」


 涙を拭う会長を前に、胸が締めつけられた。

 学校では自分の趣味を抑えているのだろう。だからこそ人目のない屋上で扉を施錠したのだ。はからずとも大切な機会を奪ってしまったことは心苦しい。

 しかし、家族りんの大切なものを差し出すわけにはいかない。自分の行動をすぐに訂正し、謝れる彼女ならわかってくれるはず。きっと気が動転しているだけだと信じて、ゆっくりと語りかけた。


「ごめんなさい会長、あれは凛のものなんです。だから――」


 突如鳴ったアラームの音が、僕の台詞を遮った。


「大変、時間だわ! 今から帰らないとカルルピが見られなくなるの!」

「え、カルルピの放送って、日曜の朝ですよね?」

「CSの再放送を見てるのよ! あぁぁ~~ん、誰よ、扉をこんなふうにしたのぉ!」


 扉の前で地団駄を踏む会長。鎖で縛ったのは他ならぬ貴女なんですけど。


「無茶しないで下さい! 絡まったイヤホンを解くみたいにゆっくり――」

「ふんっ!」

「――嘘っ!」


 会長は南京錠をへし折り、引き剥がした鎖をするすると鞄へ収めた。

 分厚い鎖をいれても鞄は四次元ポケットのごとく形を変えない。

 扉を開くと彼女は後ろ髪を払いつつ、呆気にとられる僕へ振り返る。「では根岸くん、ごきげんよう」と、爽やかな微笑を浮かべるお顔は見目麗しきものに戻っていた。


「明日から生徒会役員のお仕事、一緒に頑張りましょうね?」


 開いた口がふさがらない。

 なんということでしょう。こんなビフォーアフターは前例がない。

 会長が屋上を去り、一人残った僕はへなへなとその場に座り込んだ。

 さっきまでの出来事が現実とは思えない。もしかして悪夢でも見ていたのだろうか?


「っていうか、僕、明日から生徒会役員なの?」


 なぜ入会されているのだろう? 人手不足を解消する為か、それとも標的を逃がさないようにするつもりなのか?

 その問いに答えてくれる人は、誰もいないのであった。



 □■□■□



 空を真っ赤に染めていた陽が沈み、地平線にできた淡い光を最後に町は夕闇に包まれる。街路灯が家路につく人々を照らし、住宅街には晩御飯をつくる美味しそうな香りが漂っていた。

 僕の家は角地にあるごく普通な一軒家だ。

 ガレージには母さんの車が止まっている。今帰ってきたばかりなのか、エンジンが甲高い音を立てていた。


「おかえり遥兄ぃ。そうだ一緒にこれを飲もう。私が作ってあげる」


 ダイニングに座ってタブレットでお絵かきをしていた凛が、あるものを持ってくる。パッケージにカルルピが描かれた乳酸菌飲料だった。


「凛ったら、また余計なものを母さんに買わせたんだろう?」

「ぶーっ! 違うもん、遥兄ぃが喜ぶと思ったんだもん!」


 どうやら帰宅途中の買物で見つけてせがんだらしい。

 凛がコップを机に置き、水と飲料を混ぜ始める。作ってくれるのはありがたいが、すさまじい速度でスプーンを回すものだから中身が飛び散っていた。


「こら凛、もっと静かにやりなさい! 茶道でお茶を点てるみたいにゆっくりと……!」


 つい茶道と口にしてしまい、僕は背中を丸めてしまった。


「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ……」


 今後の学校生活を考えて億劫になっていると、スマホに佐野からのメッセージが届いた。



 佐野:おいネギ、会長とのことを報告しろよ? もちろん承諾したんだろうな?

 遥輝:承諾なんかしてない。そもそも告白じゃなくて生徒会役員への勧誘だった


 佐野:【悲報】告白とはしゃいでたらただの勧誘だった件www

 遥輝:ちなみにその勧誘も断ったよ


 佐野:どうして? もったいないぞ? 会長にお近づきになれるかもよ?

 遥輝:生徒会役員になるぐらいならチアリーダー部のほうがいいかも……



 とにかくあんな恐怖体験は二度ごめんだと、僕はやけになってグラスをあおる。

 今日は厄日だ。とことん呑んで乳酸菌を取り込んでやる。


「そういえばお兄ぃ、前売り券は買ってこれたの?」

「え? あ、すまん、忘れてた!」


 会長のことですっかり忘れていた。

 明日必ず買うと約束するも、そこまで魅力ある特典ではないので無理に買わなくていいらしい。


「それよりもはやく映画を見たいな。ママが一緒に来てくれれば行けるのに」


 凛が天井を見上げながら言う。

 帰宅しても母さんは自室で仕事をしており、夕食まで一階に降りてくることがない。


「今週もママはお仕事になっちゃうのかな?」

「そうかもしれないな。父さんがいればいいけど海外赴任中だし……」


 今週末はカルルピの新作映画が公開されるのだが、初日となればショーよりも大勢の観客が詰めかけるだろう。そんな場所に僕らだけで行くのは不安があった。


「お部屋に入ると怒られるから、アプリで訊いてみようっと」


 凛がタブレットで家族用のグループにメッセージを投稿する。

 それにつられて僕もスマホを手にすると、一件の新着通知があった。

 

『梨香さんにお友だち追加されました』

「え、まさか……!」



 梨香:今日のことは秘密にしてね (;_;)



 ひっと、僕はスマホを落としかける。


「お兄ぃ、どうしたの?」

「な、なんでもない。ちょっと知り合いからの連絡だひょ」

「なんで噛むの?」


 梨香さんって、九条梨香さんのことだよな?

 僕は画面を隠して返事を送った。



 遙輝:どうして僕のIDをご存知なんですか?

 梨香:お友だちに教えてもらったの


 遙輝:え、友だち?

 梨香:なかなか既読がつかないから、他のことも教えてもらったわ


 遙輝:どういうことですか?



 冷静になろうと喉を潤し、僕は考える。

 いったい他ってなんだ? まさか僕のスリーサイズでも調べたっていうのか?

 いや、そんなわけない。いかん。全然冷静になれていないぞ。


「う~~ん。ママってばメッセージを見てないみたい。あれ? 留守電が入っているよ? もしかしてパパが帰ってくるのかな?」

「それはないだろう。帰国するのは来月のはずだし」


 凛が再生ボタンを押すと、留守中のメッセージが再生された。


『留守電が届いております。一件目を再生します』

『ご機嫌よう根岸くん、九条です――』

「ぶはっ!」「うわっ、汚い!」


 僕が吹き出した飲み物が、ダイニングに虹を描いた。


「げほっ、ぐげぼっ!」

「どうしたの遥兄ぃ? もしかして病気なの?」

『――根岸くん、今日は予算案の作成ありがとう。立花さんたちからもぜひ入会してほしいと言われてますよ。頼れる先輩になれるよう、一緒に頑張りましょうね?』


 留守電の内容に凍りついてしまう。しかもまだ続いていた。


『留守電の二件目を再生します』

『言い忘れていたんですか、明日も生徒会室にお願いしますね? 放課後には部長たちを集めて予算会議も行われますので』

『三件目を再生します』

『必ず来てね? 必ずよ、逃げないでね……?』

『用件は以上です』


 異常だよ、ホント。

 自宅の番号まで特定されるなんて、いったいどうやったんだ?

 と、佐野からのメッセージに気付いた。


 佐野:そういえば会長にネギのIDと自宅の番号を教えたぞ

 遥輝:お前が元凶かぁぁ!


 佐野:すまん、でも会長が焦っていたし、漏洩防止に暗号コードもあるから心配無用だぞ?

 遙輝:明日の放課後、ゆっくり話そう。どうしても伝えたいことがある……

 


 僕はスマホの電源をきる。家の電話線も切断したかったけれどこれは我慢するしかなかった。


「ねぇ、さっきの電話って女の人? 遙兄ぃ彼女できたの? お家に連れてきたら?」

「ダメだ、悪魔を招き入れるようなもんだぞ!」

「え~~。凛、お兄ぃの彼女を見てみたい!」

「ダメ、ゼッタイ!」


 標的はお前のペンダントだ、下手したら誘拐されるぞ!


「そ、それよりも凛、そろそろ更新の時間じゃないのか?」

「あ、そうだ! カルルピチャンネルの時間だ!」


 凛がお絵かきのアプリを閉じ、お気に入りの動画チャンネルの観賞を始めた。


『皆さんこんにちは。カルルピチャンネルの管理人です。今日は今週末公開の新作映画について解説、考察していきたいと思います! 皆さん最後までご覧になって下さいね~~』


 画面で手を振るのはカルルピに似た衣裳をまとう女性キャラクター。カルルピ界隈では人気のVチューバ―で、これまでの伏線を説明、考察する動画を投稿している人だった。


『予告編やサブタイトルから推測するに、この映画で真の黒幕が現れることでしょう。劇場版は通常放送版の先行公開も含んでいるから、これを見れば今後の展開が予想できるわ! 皆さん、必ず見に行きましょうね? それでは次の動画でお会いしましょう、ごきげんよう!』


「ん? ごきげんようだって?」


 そういえばこの人、動画の最後をいつもこの台詞でしめていた。

 まさかこの人の正体も会長なのではないか?

 いや、さすがにありえないか。

 挨拶が同じだからといって同一人物と断定するのは無理だ。

 ライトノベルじゃあるまいし、人気の動画投稿者が知り合いで、しかも校内の美女だったなんて展開があるわけがない。


 たしかに会長ほどの熱意ある人なら解説動画を作っていても不思議ではないが、そんなものはいくらでも投稿されている。クイズ大会の乱入者につづいてこの配信者の正体がうちの生徒会長のわけがない。


「この人は再放送も見ているんだって。あ、概要欄にコメントしている。今日は遅れそうになったけど、ギリギリ間に合ったんだって」

「はい、なんですって?」


 僕の疑念は、確信へ変わるのだった。


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