01.学園のマドンナに話しかけられてしまった……


 いったいどんな親子が来るのだろう?


『で、では一番後ろの、ロケットのごとく跳躍されているお方、ステージへどうぞ……』


 む? なぜかお姉さんのテンションが低い。会場も奇妙なざわつきに包まれている。


「今選ばれた人、さっきのお姉ちゃんだよ?」


 僕は目を疑った。

 たしかにあの女性だが、雰囲気がまるで違う。戦場に赴くような堂々たる足取りで、全身からみなぎる闘気が空気をびりびりと震わせているのだ。


『あの、お一人ですか?』


 司会者の問いに、彼女は帽子から垂れる横髪を押さえて頷いた。


「よ、よろしくお願いします……」


 会釈すると、ギンッ! と、音がでるほどの凄みで睨んでくる。凛が怯えないようあえて彼女の近くに立ったのだが、そのおかげでサングラス越しでも分かるほどの鋭い眼光が見えてしまった。


「座席のことは感謝しますが、それとクイズでの勝負は別問題ですからね!」

「しょ、勝負って、もう少し気楽にいきましょうよ?」

「そんなの無理です! だって私、この景品を手に入れる為に会場に来たんですもん!」


 凛に聞こえぬよう密談する。クイズの景品はカルルピの主人公が身につけているペンダントの玩具なのだが、彼女の狙いはそれらしい。


『そ、それでは出題させていただきます! 第十一問! 第一話で、主人公のパールこと葉乃香ちゃんが初めてバロンと出会ったときの台詞はなんでしょう?』


「え? そんなのわかる人がいるの?」


 この難問には他の回答者もお手上げだった。

 ヒントを待つしかなさそうだが、隣の女性だけは違った。


「ふっ。余裕ね。なんでこんな常識を答えられないのかしら?」


 振り向けば彼女は回答ボタンへ手を伸ばしていた。

 っていうか、常識ってどういうことだ? この人はいわゆるガチ勢なのか?

 ボタンが押され、ピコーンと音が鳴った。


「おお、素晴らしい! 即答できる人がいるようです!」


 司会のお姉さんがマイクを運んでくる。

 彼女のもとへではなく、僕たちのところへ。

 マイクを受け取ったのは凛だ。

 誰よりも早く、背伸びをしてボタンを押していたのだ。驚くべき早業だが、正解できるかはわからない。いくら凛でも台詞まで暗記するのは無理だろう。


「『迷子かな? 飼主が来るまで‘見守ろう’かな』だよ」


 ところが凛はマイクを受け取ると、平然とそんな台詞を言ってのけた。


「ほ、本当か?」


 僕だけでなく、客席も固唾をのんで結果を待っている。

 ややあって、お姉さんが手を叩いた。


『せ、正解です、お見事っ!』


 その瞬間、わっと会場から歓声が上がった。背後のプロジェクターには、少女が喋る犬を見つけて同じ台詞を口にする映像が映る。凛は本当に、このシーンを覚えていたのだ。


「カルルピのことなら何でもわかるもん。しかもあれはパールの決め台詞なんだよ?」


 そういえば見守るというのはパールを象徴する台詞だった。

 母貝の中で真珠が宝石としての輝きを得るまで長い年月がかかるという点からきており、葉乃香が選ばれたのは困っていそうな人がいたら優しく見守り、手を差しのべようとする性格からだと言われていたな。


 凛はパールから景品のペンダントを首にかけられ、握手もできてご満悦だった。


「よかったな凛!」

「うん、ありがとう遙兄ぃ!」


 しかし、僕らの背後ではあの女性がぷるぷると震えていた。それもボタンに伸ばしかけた手をそのままにして。凛がマイクを受け取ってから彼女はずっと硬直していたのだ。


「さぁ凛、はやくお家に帰ろうな?」

「もう帰るの? 映画の前売り券を買って行くんでしょう?」


 不意にピコーンと音がなった。

 振り返ると女性が回答ボタンに触れていた。


『あ、あの、すみません。もうクイズは終わってしまったので――』

「――わ、私だってわかってました! 答えられますもん、正解を言えましたもん……!」


 彼女の叫びに司会のお姉さんが凍りつく。もう少し早くボタンを押せれば答えられた、だから自分も景品が欲しいと涙ながらにうったえている。


『ほ、他のお客様も見ておりますので別室でのお話しでもよろしいですか?』


 お姉さんが目配せすると、パールが凛の手を繋いで舞台袖へと歩いていった。


『お兄さん、避難して!』と、口パクで告げられ僕は一礼して退場する。パールのもとへ行くと客席への通路を指差してくれた。


「助かりました、ありがとうございます!」

「パールちゃん、また会おうね?」


 客席へ戻る僕らを、パールが手を振って見送ってくれる。

 なんという神対応か。司会者のお姉さんとスーツアクターさんに感謝しないと。

 ステージを出ると、僕は凛を抱えて大急ぎでモールを脱出し、帰りのバスに飛び乗った。


「遙兄ぃ、前売り券は買わないの?」

「公開まで時間があるから今度にしよう。僕が買ってきてあげるから」

「え~~、どうして?」

「君子危うきに近寄らずって、我が家の家訓だろう?」


 本当はモール内の映画館で前売り券を買う予定だったが、帰宅しないと危険だ。


「遙兄ぃ、今日は本当にありがとう!」


 凛の笑顔に、僕はひそかに胸を撫で下ろした。

 きっと会場はカルルピとの写真撮影で賑わっているだろう。それに参加できないのは残念だったけれど、凛が満足できていたのが救いだった。

 帰宅すると、凛がペンダントを身につけて姿見に立った。

 似合っているぞと声をかけるも、なぜか思案顔になっていた。


「会場で会ったあのお姉ちゃん、どこかで見たことがある気がするんだよな~~」

「似ている保育士さんがいるのか?」

「ううん。他の場所で見た気がする」


 凛は首を傾げている。たしかに彼女の正体は僕も気になっていた。


「あっ! もしかしたらあの人、遥兄ぃのお友だちだったりして?」

「それはないよ。びっくりするぐらい交友関係が狭いから。っていうか、高校の人になんて凛は会ったことないだろう?」

「遥兄ぃが持って帰るプリントとか、ホームページで見たことあるもん」

「学校にあんなガチ勢さんがいるわけないさ」


 僕らが話していると、家の外からエンジンの轟音が近づき、ガレージに黒いSUV(ハリアー)が停まっていた。


 あれは母さんの車だ。

 仕事が終わったらしい。今日のショーにも同行する予定だったけれど、急な出勤が入って僕らだけで行くことになったのだ。


「おかえりママ! すごいでしょう、クイズに正解してゲットしたんだよ!」

「あら、よかったわね凛ちゃん! 遙輝くんも今日はありがとうね!」


 玄関で凛がペンダントを見せ、嬉しそうに跳ねる。その姿に僕らは自然と微笑んでいた。

 あの女性のことは恐かったし、気の毒だったけれど、もう会うことはないだろう。

 たしかに声からは同世代のようにも思えたが、あんな熱狂的なファンがいれば学校で目立つだろうし、きっと凛は誰かと勘違いしているのだと僕は考えていた。

 それが間違いであることを思い知ったのは、翌日の放課後のことなのであった……。



 □■□■□



 深緑の枝から漏れる朝日がまぶしい。

 ピンクの衣を脱いだ桜が鮮やかな緑となって通学路を彩り、木漏れ日の差しこむ影の下を生徒たちが歩いている。

 皆が同じ私立旭丘高校の制服姿だ。

 男女ともブレザーで、女子はリボンタイにチェック柄のスカートというザインになっている。可愛らしいデザインにして少しでも入学希望者を増やそうと理事長が考案したらしいが、本当は自分好みの服装の女子を眺めたいだけだろうというのが学校内での噂だった。


 昇降口で靴を履き替えていたとき、一人の女子生徒に声をかけられた。


「根岸遙輝くんですよね?」

「はい、そうですけど?」


 振り返って、息をのんだ。

 そこにいたのは、生徒会長の九条梨香さんだった。


「突然呼び止めてごめんなさい。根岸くんに用があってうかがいましたの」

「僕に、なんの用ですひゃ?」


 驚きのあまり舌を噛んでしまったのが情けないけど、相手が校内で一二を争う美女となればしかたない。

 おまけにこんな間近で艶やかな長髪をはらう仕草をされ、涼やかな瞳で見つめられては、手のひらが汗まみれになるのも当然だろう。


「あの……、できれば二人きりでお話ししたいので、今日の放課後に生徒会室へ来ていただきたいのですが、お時間はありますか?」

「だ、大丈夫です……」


 頬を赤らめて言葉をつづける姿にドキッとしてしまう。

 僕だけでなく、周囲にいた生徒も足を止めており、だんだんと廊下が騒がしくなっていた。


「あ、生徒会長さんだ」「なんか様子がおかしくないか?」「隣の男子だれ?」「アイツに用事だって」「まさか告白か?」「はぁ、ただの勧誘でしょ?」「だよね、あの二人じゃ月とスッポンだし」「ちょ、スッポンに失礼だよ!」


 容赦のない嘲笑に心が傷つく。

 なんだい。僕が爬虫類以下の男だっていうのか。遠くからみれば中の中ぐらいの容姿はあるはずだぞ。たぶん。


「では、放課後お待ちしておりますね? ごきげんよう、根岸くん」と、彼女はみずみずしい唇をほころばせて去っていく。


 僕になんの話だろう?

 廊下にぽつんと残った僕は、彼女の用事とやらを考えていた。

 告白という単語が頭をよぎるが、今まで接点のなかった相手に好意なんて抱かないだろう。そもそもあの人と僕とでは住む世界が違う。

 同学年とはいえ、人気者の生徒会長とモブの生徒だぞ。まさに月とスッポンだ。あれ? さっき誰かに同じことを言われた気がする……。


 とにかく落ち着こう。

 きっとなにかの伝達事項に違いない。

 僕は自分の教室へ向かうと席につき、浮き足立たないよう普段通り過ごすことを心がける。

 幸いなことに、あの現場を目撃したクラスメートはいないらしい。僕は胸を撫で下ろし、鞄からお茶を取り出して喉を潤そうとしたのだった。


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