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マニマニ

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 ガリ、と音がする。ふと見ると指が爪を剝がしながらアスファルトを掻き続けている。頬には硬く、ざらついた感触が押し付けられているが、所々生温かくぬるついている。呆然と手を眺める。下肢には同様に生温かいものが染み出しているがそれは粘性もなく水に近い。起き上がろうにも手のひらを押し付けたまま指がバタつくだけで、欠けた爪がアスファルトの間に挟まってはまた剝がれかけている。脚を丸めようとすると膝があらぬ方向に曲げられているようで戻すことができない。腰を上げようとするもただ左右に振れるだけでどこにも連動している感覚を得られなかった。

感覚?

目の前の手が自身のものであると認識する。そこで初めて自分の全身を信じがたい痛みに襲われていることに気が付いた。痛い。頭の下のぬるついた感覚は打ち付けられて破れた皮膚から流れ出ている血液によるもので、もう一度起き上がろうと蠢く下半身には何も命令が行き届かない。痛い。ただ全身が自動車の事故実験に使う人形のように打ち捨てられ、血液やそのほか様々な体液と一緒に生命が流れ出ていることだけが分かる。痛い。冷えた指先は粒子の大きい石油性の砂にまみれているがもはやその痛みが生きている証だった。痛い。必死に思い出す。痛い。自分が選んだ場所は繁華街の中で、ここは人通りの多い道のはずだ。痛い。しかし誰も立ち止まらない。痛い。人々の足を覆う靴たちが近づいては離れていく。痛い。自分の血の上を踏んだスニーカーがあった。痛い。その靴裏は砂に黒く汚れるばかりで足跡はない。痛い。自分の指の上を低いヒールが踏んだ。痛い。踏んだはずだった。痛い。ただゲームのCGが貫通するようにヒールは突き刺さり抜けていく。痛い。この道を通る誰もがこの体を透過して進む。痛い。俺に何が起きている?痛い。誰か助けてくれ。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。



>カード番号をリストから選びますか?

 >Yes

  No

番号を選ぶ。入力。購入。哀れな誰かがこの金を払う。大した額じゃないから気づく奴も少ない。購入したタイトルをクリックする。スタートボタンを押す。

案内に沿ってシナリオを進める。行方不明者の詳細が表示される。このクエストの目的は生還であってこの人物を探し出すことではない。粗い画質の写真風のイラストはVHSの画面のようで味がある。いいね、怖いじゃん。時刻はリアルと同じく0時を回ったあたり。舞台は繁華街の古いオフィス。施錠もオートロックなんてものはなく、ただのピッキングで容易に開く。玄関の奥には非常階段の緑色の光が白々しく照らす廊下が伸びている。照明を点ける。二度、三度と明滅を繰り返して廊下は隅々まで照らされるが陰鬱な雰囲気のままだ。どの部屋から探索しようか。そんなことを考えていると不意に廊下の照明が明滅しだした。ヘッドフォンからはパチ、パチと微かな音も聞こえる。それに混じって、何か咆哮のような音と重い足音が聞こえてきた。これは怖い。ひとまず手近なドアに入るか。足音が近づいてくる。暗い室内にはドアに取り付けられた磨りガラスから光が差し込んでいる。こちらから向こうは見えるが、向こうからこちらは見えないだろう。照明の明滅が激しくなる。

パチ

「おいなんだよ」

自室の照明が切れた。ゲームをポーズ画面にしてヘッドフォンを外す。立ち上がる。

>照明を点けますか?

 >Yes

  No

「電気点けねえと見えねえだろ」

照明のボタンをカチカチいじる音に混じって遠くで犬の吠える声がする。照明は点かなかった。

もう替え時かもしれない。明日やろう。スクリーンの明かりをたよりに表面の合皮が剥がれかけたゲーミングチェアに座る。ヘッドフォンを着けてゲームに戻る。

足音が近づいてくる。重い音に混じって荒い息遣いと言葉になりきらないアとかオとか、とにかく母音が聞こえている。足音の主は廊下のドアを一つ一つ叩き出した。最初はささやかなノックだったのがどんどんドアが壊さんばかりの音に変わる。その繰り返し。これ、あいつがいなくなるまで隠れなきゃいけないやつか?そうしているうちにこのドアの前まで来た。照明の明滅が激しい。ガン!とドアが殴られる。磨りガラスには人のようなサルのような目を剥いた顔が張り付いている。うわ怖え!そのままやり過ごそうとキャラクターを屈ませる。クリーチャーはしばらく張り付くと、またゼイゼイと喘ぐような息をしながら、重い足音で去っていった。

ガン!

「うわ!」

今度の音は一人暮らしのワンルームのドアから鳴った。ゲームをポーズ画面にしてヘッドフォンを外す。

ガン!

また鳴った。時刻は0時半を過ぎ。こんな時間にやって来て、インターフォンも鳴らさないなんて、酔っ払いが自分の部屋と間違えているんじゃないか?ここは安アパートで壁も薄い。少し声を出せば他人の部屋であることが分かるだろう。

>声を出しますか?

 >Yes

  No

「おい、お前の部屋じゃねえぞ!」

ガン!

ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!

「え、何?こわ」

ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!

ドアの向こうの相手は体当たりでもしているようにドアを揺らす。もうこれは警察を呼んだほうがいい。ヤバイ人だ。110をタップするもなぜか119だったり120だったり101だったりとうまく打てない。思ったよりも動揺している。

ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!

その間もドアは揺れ続ける。こんな安アパートのちゃちなドアじゃ破られてしまうかもしれない。そんな考えが頭をよぎる。

>謝りますか?

  Yes

 >No

「謝るべきはあっちだろ」

ガン!

音が止まった。重い足音が鉄筋の階段を下りていく音がする。しばらく待つとその音は遠ざかっていった。なんなんだマジで。今日はこの部屋にいないほうがいいかもしれない。財布と携帯を持って周囲を窺いながら外へ出た。

 やることもないので繁華街へ向かう。途中の立ち飲みでぬるいビールを飲むと周囲の喧騒が耐え難く外に出る。禄に胃にものを入れていないせいで足元が想像よりもふらついていた。コンビニに入る。スト缶を二つ買うと口をつけながら通りを歩いた。

ふと、一つのビルが気になった。古い雑居ビルで、弱い照明に蛾が集っている。

>入りますか?

 >Yes

  No

「いや入らねえよ」

そう呟きながらも足はビルへと近づいていく。ワイヤー入りのガラスが嵌められた金属フレームのドアに手をかけた。簡単に開く。玄関の奥には非常階段の緑色の光が白々しく照らす廊下が伸びている。街の喧騒に混じって遠くで犬の吠える声がした。ビルの中は死んだように静まり返っている。

>進みますか?

 >Yes

  No

「は?なんだこれ」

帰ろうと心に決めたのに奇妙にしっかりとした足取りで、しかし勝手に階段を上がる。

「いやいや帰るんだよ」

缶を煽ると階段の手すりに手をかけ上半身をひねろうとした。しかし脚は後ろ向きにも階段を上がっていく。え?なんだこれ。転びそうになりながら登っていく脚に体の向きをそろえた。頭はアルコールでガンガンと脈打っている。登りながら勝手に手が二本目の缶に手を付ける。飲みたくもないのに口をつける。噎せこみながら煽る。その間も脚は止まらない。どんどんと上がっていく。血行が良くなってアルコールの回りが良い。また缶に口をつける。飲み干す。不要になった缶を投げ捨てる。どんどんと上がっていく。息が上がるのもお構いなしに脚は動き続ける。階段を上りつめて最後のドアを開けると、そこはコンクリートがむき出しの屋上だった。脚は止まらない。赤錆の浮いた手すりまでやってくる。

>乗り越えますか?

 >Yes

  No

「い、いやだ」

腕に力をこめ、ささくれだった塗装に手のひらを食いこませながら手すりをまたぐ。繁華街の喧騒は遥か足元にある。ビルの反対側は大通りだったようでまだこの時間も人通りが多かった。遠くで犬の吠える声が聞こえる。

>飛び降りますか?

 >Yes

  No

「いやだ、いやだいやだいやだ」

脚は止まらない。


 ガリ、と音がする。ふと見ると指が爪を剝がしながらアスファルトを掻き続けている。頬には硬く、ざらついた感触が押し付けられているが、所々生温かくぬるついている。呆然と手を眺める。下肢には同様に生温かいものが染み出しているがそれは粘性もなく水に近い。起き上がろうにも手のひらを押し付けたまま指がバタつくだけで、欠けた爪がアスファルトの間に挟まってはまた剝がれかけている。脚を丸めようとすると膝があらぬ方向に曲げられているようで戻すことができない。腰を上げようとするもただ左右に振れるだけでどこにも連動している感覚を得られなかった。

感覚?

目の前の手が自身のものであると認識する。そこで初めて自分の全身を信じがたい痛みに襲われていることに気が付いた。痛い。頭の下のぬるついた感覚は打ち付けられて破れた皮膚から流れ出ている血液によるもので、もう一度起き上がろうと蠢く下半身には何も命令が行き届かない。痛い。ただ全身が自動車の事故実験に使う人形のように打ち捨てられ、血液やそのほか様々な体液と一緒に生命が流れ出ていることだけが分かる。痛い。アルコールのせいで血液はだくだくと流れ出る。

あれほどの喧騒が膜を張ったように遠く聞こえる。誰かが叫んでいる。サイレン、声掛け、すべてが遠い。すべてが。

>やり直しますか?

 >Yes

  No


 ふと気が付くとワイヤー入りのガラスが嵌められた金属フレームのドアの前にいた。

嘘だろ、ここからかよ。ドアは簡単に開く。玄関の奥には非常階段の緑色の光が白々しく照らす廊下が伸びている。街の喧騒に混じって遠くで犬の吠える声がした。ビルの中は死んだように静まり返っている。また脚が、意志とは関係なく動き始めていた。

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