第5章 ②
学校につくと、校舎内はすごく静かだった。
まだ最終下校時間ではないけど、みんな帰ったり部活に行っちゃったりして人がいないんだろう。
1年生の階に着き、自分のロッカーからジャージを取り出す。
……いや、ジャージじゃなくてこれはただの体操服……。
この時期に長袖長ズボンなんて持ってるわけないよ。
まあ別にいいか、と思い半袖半ズボンを持ってお手洗いに行く。
さっと着替えて、外に出る。
下だけ体操服はちょっと不格好かなと思い、全身着替えた。
夏服だから、ワイシャツとスカートとリボンタイだけで済む。カバンにも入ったし。ブレザーがあったらどうしてたかな。
特に用は済んだし帰ろうかと思ったけど、疲れたし、少しだけ教室で休憩していこう。
カバンを抱いて、教室へ行く。
もしかしたら、誰かいるかも。
なんて考えながら、教室のドアを開けようとしたとき。
「さいってい!!」
中から大きな声が聞こえた。
その瞬間、バチッとなにかを強くたたく音。
「二度とあたしの前に現れないで! さようなら!!」
私とは反対のドアが大きな音を立てて開き、そこから女子生徒が出てきた。
「あ」
その生徒を見て、私は声を上げる。
サラサラのボブ。
買い物したときに梅原くんと一緒にいた人だ。
ドアを開けると、そこには一人。
机に座ってうつむく、梅原くんがいた。
だけど、前髪が顔にかかって表情が見えない。
「誰?」
梅原くんの声。だけどいつもより低い。
……私、場違いだったかも。
「あっ、えと、ご、ごめんなさいっ」
私は頭を下げて、教室を出ようとする。
そのとき。
「……芹菜ちゃん?」
梅原くんが名前を呼ぶ。
私は呼ばれたので、立ち止まった。
「……は、はい」
「やっぱり。おれ、芹菜ちゃんの声わかるんだー」
……ここにいてもいいのかな。
わからないけど、とりあえず出るのはやめた。
でも、なんて声をかけたらいいのか。なんて言うのが正解なのか。
迷っていると。
「あー……こういうの、よくあるから。でも、いったー……。叩くならもうちょい手加減しろよ」
叩く音。
あの人はたぶん、梅原くんのことを。
じゃああの言葉も、梅原くんに向けられたもの?
私は少し悩んだけど、意を決して振り返り。
梅原くんのところへ行った。
「……梅原くん、大丈夫?」
うつむいているせいで隠れている顔を覗き込むと。
私は息をのむ。
……梅原くんの目には、涙が浮かんでいた。
「や、見ないで」
すぐに顔を腕で覆い、見えなくなってしまう。
「あ、ご、ごめんなさっ」
「叩かれた痛みだけで涙目になってるとかはずいでしょ」
「そ、そんなことないよっ。叩かれたら、誰だって痛いと思い、マス……」
フォローしようとするけど、うまくしまらない。
フォローになってないよ……。
だけど、梅原くんは笑ってくれた。
「あはは、ありがとーね」
そう言って、腕をどけた。
梅原くんは言う。
「これは、生理的な涙。だから心配しないで。てか、芹菜ちゃんなんでこんなとこいんの?」
「……梅原くんこそ、なんでこんなところに」
質問を質問で返すと、梅原くんは意表を突かれたような顔をした。
話したことは数回しかない。だけどわかる。
いつも梅原くんは、私に質問ばかりしていた。
……私が人との会話にあんまり慣れていないせいで、聞かれたことだけ答えてたってせいもあるけど。
「……さっきの会話、芹菜ちゃん聞いてた?」
「……えっと、少しだけ」
「まあその会話通りだよ。おれがあの子にフラれたの。まあフラれたっていうか、付き合ってもなかったんだけど。あの子がおれに近づいてきたとき、言ったんだけどね。"彼氏にはならない"って。それでもいいって了承してなおかつ来たのは向こうなのに、あの子の中ではいつの間にか勝手に付き合ったってことになってたみたいで。んで爆発。すげー威力で叩かれた」
ほら、って梅原くんは自分の右頬を指差す。
たしかに、左と比べると不自然に赤くなっていた。
「……梅原くんにとってあの人は、友達だったの?」
「えー? 友達じゃないよ。あー……そうだ、芹菜ちゃんて純粋なんだっけ。じゃ言わないほうがいいか」
……私が純粋だとかそうじゃないかとかは今いいと思うのは、違うかな。
そういえば、梅原くんの言葉はいつも抽象的な表現ばかりで、さっきにみたいに濁したり自
己完結したりが多い気がする。
「でも、なんでそんなこと聞いてくるわけ? おれのこと知って、どうす————」
「私っ!! 梅原くんの生態について気になってるんだ」
言ってしまえ。
声を張り上げて、梅原くんのセリフに自分のを被せる。
「は? 生態?」
「だから、何かあって、誰にも話せないこととかがあったら、話してほしいなんて……。わ、私じゃ役に立たないかもしれないけどっ」
たぶん梅原くんがしていることは、褒められたことじゃないんだって私にもわかる。
だけど……それには、理由があると思うんだ。
理由がなきゃ、こんなリスクのあることしないよ。
「あ、で、でも、必要なければ全然! あの、私帰りますねっ」
急に恥ずかしくなって、慌てて両手を振る。
「まって! 芹菜ちゃん、おれの話聞いてくれるんだよね?」
「……私で、よければ、もうなんなりと」
「じゃあ聞いてってよ」
「……はい」
その瞬間、梅原くんの雰囲気が変わった気がした。
あの日、初めて話した日。
梅原くんって、不思議な人だと思ってた。
突然私にキスをするし、それを日常みたいに捉えてて。
買い物をした日に偶然会ったときも、あんまり話したことないのにまるで友達みたいに質問してきて。
普段あまりしゃべらないクールな律くん以上に、心の中が読めないなって思ってた。
「……梅原くん」
「芹菜ちゃんもさ、おれのこと最低な野郎だって思ってるでしょ」
顔が、また銀色に隠れて見えなくなってしまった。
でも、初めて話したときの梅原くんとは違うんだってことは見える。
「今じゃ当たり前かもしれないけど、おれは片親なのね。小さいころに母親が出てってさ。だけど父親が育児してくれたかといえばそうじゃなくて。兄弟もいなかったから、家ではずっと一人。……で、中学のときに気が付いた。おれは女の子に優しくすれば、女の子も満たされるし、おれも満たされるんだって。そーいうwinwinな関係で、おれは寂しさを紛らわせてたの」
私は、なんて言葉をかけたらいいかわからなかった。
私も今この世にいる親は一人しかいないけど、私を大切に思ってくれるお母さんがいるから、春輝くんがいるから。
それに、お母さんがお父さんのことを幸せそうに話すから。写真だって見せてくれるし、玄関にだって飾ってある。
会ったことがなくても、知っていたから。
でも、梅原くんは……。
余裕で、人気者。コミュ力が高くて、みんなに好かれている。
本当はそんな人じゃないのかもしれない……そんな未来、本人は望んでなかったのかもしれない。
「———どう? おれのこと嫌いになった?」
私を見てそう聞く梅原くんの表情は、ひどく悲しそうだった。
いつも……と言えるほど親しくはないけど、でも、違った。
梅原くんの本当の姿が、少しだけ覗いた気がした。
「……なんで嫌いになるか、わからないよ」
「え、だって、おれ、ほぼ初対面みたいな芹菜ちゃんにあれだけ余裕ぶったキスしといて、実はこんなんでしたーってダサいおれ知ったら、幻滅するでしょ」
「しないよ。それに、人を幻滅するかしないかで見ないと思うよ。……少なくとも私は」
梅原くんの基準が私には理解できなかった。
誰かの恥ずかしいことやダサいと思うことを知って、それで人を嫌いになっていたらキリがない。
そしたら世の中、みんな自分以外好きじゃなくなってしまう。
……もしかして。
梅原くんは自分のことも、好きじゃないのかもしれない。
そう思ったとき、プルルル……とどこからか着信音が聞こえてきた。
ズボンのポケットからスマホを取り出して確認すると、お母さんから電話が。
梅原くんに一礼してから、出る。
内容としては、とりあえず『早く帰って来い』と。
ちらりと時計を見ると、最終下校時刻も近づいてきていた。
「あの、私帰ります。ごめんなさい」
「……あ、うん。またね」
さっきとは違い急によそよそしい態度になる姿に、私は不安になる。
私、なんか上から目線だったし、不快にさせてしまったのかも。
反省……じゃなくてっ!
「……ま、またあした、梅原くん……さようならっ」
高速で手を振って、私は教室を出る。
日は長いけど、きっとすぐ暗くなっちゃうよね。
私は梅原くんのことが気になりつつも、廊下を駆け出した。
「……なに、それ。なんだよそれ」
梅原くんが教室で一人そうつぶやいたことを、私は知らない。
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