第24話 童の詩
王城を追い出されてから二日目。ラヴはいつものように朝一番から商業区へ赴き、袋一杯にリンゴを買い漁っていた。
日課をこなした後は昨日と同じく、ラヴは丘の上の小屋へと向かう。
「はっぴばーすでーとぅーみー!」
不意に高く弾んだ歌声がラヴの鼓膜を揺らした。歌声はさながら風に乗ってきたような微かな音だったが、ラヴが頂上に近づくほど大きくなり、歌っているのはエヴァだということが分かるようになる。
「はっぴばーすでーとぅーみー!」
「? あの小娘、朝から随分と賑やかじゃないか」
ラヴは首を傾げながら丘を登り続け、やがて頂上にたどり着く。そこには勿論エヴァがいた。巨大樹と小屋を繋ぐロープに服や布団を吊るしており、洗濯物を干していることが見て分かる。
「はっぴばーすでーでぃあ私────! はっぴばーすでーとぅーみー!」
「朝から騒々しいぞ。何事だ」
「あっ! おじさん!」
ラヴが声を掛けるとエヴァは作業を中断し、歓喜の笑顔を浮かべたまま駆け寄った。
「やほーおじさん!! 昨日はお迎えありがと!」
「構わん。何か良いことも起きたか?」
「えへへ、今日は私の誕生日なんだ! だから歌ってお祝いしてたの!!」
エヴァは少し気恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「タンジョウビ……生まれた日のことか? それを祝う? ……なぜ?」
生まれた日を祝うという文化に、ラヴは衝撃を受けていた。
魔族には誕生日という概念が定着していない。そもそもの死生観が人間とは全く異なっているからだ。
魔族は老いることも無ければ病を患うこともなく、瀕死の怪我を負っても魔力があればすぐに治る。死ぬときは魔力が尽きたときか魂の契約を破ったときの二つだけ。
死という概念が身近に存在しない故に、生という概念も同じだけ距離が遠い。
生まれた日を大事にするという発想自体がラヴ(グラム)にとって未知であり、それを祝うという文化も未知であった。
「おじさんの誕生日はいつなの?」
「……知らん」
だからエヴァに尋ねられても、知らないとしか答えようが無かった。
「えー?!」
「そもそも俺は捨て子だ」
魔族であることを勘繰られないように付け足すと、エヴァは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「おじさんは、捨てられた子供だったの?」
「あぁ」
「何で捨てられちゃったの?」
エヴァの無垢な質問にラヴは言葉を詰まらせる。
「そんなこと気にしたこともなかったが…………まぁ、産んだのにわざわざ捨てるくらいだ。よほど俺が邪魔だったんだろうな」
ラヴは平然とした様子でそう答えた。
「…………」
しかしすぐ後に、胸の奥で小さな痛みが生じた。
ラヴは気付かない振りをして、少し深く息を吐く。
そんなラヴの顔を見たエヴァは唐突にこんなことを口にした。
「おじさん、泣いてるの?」
「……は?」
唐突な問いかけにラヴは茫然となる。
「だっておじさん、今すっごく寂しそうな顔してたよ?」
「……!」
そういうエヴァは少し悲しそうな顔をしていた。ラヴは思わず自分の表情を確かめるように手で顔を触った。
「そうやって泣かないように、今までずーっと我慢してたの?」
「……」
「おじさん、寂しかったら泣いてもいいんだよ? 私も時々、お父さんとお母さんが恋しくて泣いちゃうから」
エヴァは胸ポケットから取り出したハンカチをラヴに差し出した。
「いや、俺は」
「大丈夫! 誰にも言ったりしないよ! 私とおじさんだけの秘密にする!」
ラヴは断ろうとしたが、エヴァは食い下がらない。
ラヴは嘆息した。
「……生憎だが、俺は強い。涙など流さん。今までも、これからも、ソレが必要になる日は無い」
ラヴはエヴァの小さな肩に手を置いた。
エヴァは心配そうな目でラヴの顔を見上げたが、何を言っても聞かないと悟ったらしく、間もなく引き下がった。
が、すぐに大きな声で告げた。
「私、おじさんが邪魔だなんて思ったことないから! 友達だからね!!」
「!」
ラヴは目を見張った。
友達という言葉に、今まで感じたことのない心地の良さと漠然とした安心感を覚えた。
その二つの感覚を、ラヴは知っていた。
『ぐ、グラム様も勿論仲間ですから……!』
頭の中で蘇える記憶は三年前、まだ幼かったシャルロットの言葉。
「…………そりゃどうも」
ラヴは目を閉じて失笑する。その顔はどこか嬉しそうで、いつもの強面からは想像も付かないほど柔らかなものであった。
「おじさん知ってる? 悲しいも寂しいもね、歌えば全部楽しいになるの! だから私と一緒に歌お!」
「断る。そういうのは俺ではなくあの女騎士に頼めばいい」
「えー!! じゃあ、私がおじさんの分も歌っちゃお!」
そうして、エヴァは再び歌い始めた。
「はっぴばーすでーとぅーみー! はっぴばーすでーとぅーみー!」
エヴァの歌はしばらく続いた。途中からは仕事を抜けて様子を見に来たマリーをも巻き込み、二つの歌声が巨大樹の丘に響き渡った。ラヴは巨大樹の太い枝に腰掛け、リンゴを食べながら歌を聞いていた。
♢
「私、明日にはもうバルゼノン教国に帰らなくちゃ行けないんです」
三日目の朝。マリーがエヴァの小屋でリンゴを食べていたラヴとエヴァに別れを告げに来た。
「お姉ちゃん、帰っちゃうの……?」
エヴァの潤んだ目と弱弱しい声に、マリーは罪悪感を覚える。流れてきた雲が輝く太陽を覆い隠した。
「ごめんねエヴァちゃん……で、でもね! 朝一番に教皇様に掛け合って来たから、今日はお昼まではエヴァちゃんとずっと一緒にいるよ!」
マリーは何とかしてエヴァを悲しませまいと明るく振舞うが、エヴァの顔は晴れない。ラヴは一歩距離を置いた場所から二人のやり取りを眺めている。
「……エヴァちゃん! 私、約束します! 一年以内、いや一ヶ月以内にまた会いに来ます!!」
「え……」
「一回だけじゃありません! 一ヶ月毎にここに戻ってきます! お土産も一杯持ってきます!」
エヴァは呆気にとられたような顔をする。マリーはダメ押しと言わんばかりに声を張った。
「だから、お昼まで私と一緒に遊びましょう!! 一ヶ月分、うんと遊びましょう!!」
「……うん!」
その思いが伝わったのか、エヴァは零れそうになった涙を堪えながら笑った。
「一緒にお絵描きしよ! お姉ちゃんが寂しくならない様に、私がお姉ちゃんの似顔絵を描いてあげる!!」
「じゃあ私はエヴァちゃんの似顔絵を描いてあげましょう!」
雲が晴れて、太陽の輝きがまた丘を燦燦と照らす。巨大樹の陰が少し濃くなり、エヴァとマリーの姿が少し見えづらくなった。
「ラヴさんも一緒にお絵描きしましょう!! ほら、こっちにきてください!」
「おじさんの絵も描いてあげる!」
一人巨大樹の陰の外にいたラヴを、マリーとエヴァが手招きする。ラヴは息を吐きながら二人の元に歩み寄ろうとした。
「!」
しかしラヴは、何かに気付いたような顔をして足を止めた。
「ラヴさん? どうしたんですか?」
「……急用を思い出した。後で戻るから先に始めとけ」
ラヴが言うと、マリーとエヴァは互いに顔を見合わせた。
「すぐ戻ってきてくださいねー! できれば私が帰る前に!」
「前にー!」
二人は了承の意を示して、手をつなぎながら小屋の中へと消えていった。それを見送った後、ラヴは背後をチラリと見た。
「……らしくないことをするな、老いぼれ」
グラムが言ったそのとき、何もない空間に突然靄のような歪みが生じた。歪みは見る見るうちに色と輪郭を持ち始め、やがてそれは人型になる。
そして姿を現したのはセバスだった。
「あの女騎士にバレたらどうする」
「だから認識阻害の魔法を掛けていたのだ。お前には当然のように通じなかったがな」
セバスのしゃがれた声がグラムの背中を叩く。
ガラガラとした雑音が混ざっているような聞き取りづらい声だった。三年前のセバスの声はもっと聞き取りやすかったはずとグラムは感じた。
「何しに来た。もち女から命令でもあったか?」
「否」
「ならば何の用だ」
セバスが緊張したように息を吐く。
冷たい風が吹き抜けて、木の葉のさざめきが吐息の音をかき消した。
「腹を割って話がしたい。悪いが付き合ってもらうぞ」
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