第25話 約束
巨大樹の太い枝の上に、グラムとセバスは少し距離を開けて腰掛けていた。
「此度の教皇訪問は、姫様の見事な立ち回りのお陰で終始順調に進んだ。未だ国のあちこちで護衛の騎士や教徒たちが魔族の痕跡を探し回っているが、貴様が大人しくしていたお陰で何とかなった」
セバスは遠方にそびえ立つ王城に視線を注ぐ。
「しかしまぁ、よく静かに過ごせたな? 貴様のことだから、騒ぎの一つや二つ起きるだろうと覚悟していたが」
「失敬な奴め。俺が騒動の中心にいることが多いのは認めるが、お前たちが想定していない騒ぎを起こしたことは今まで一度も無いぞ」
「何をバカなことを────」
セバスはグラムの言葉を否定しようとしたが、ふと冷静になって考えてみるとそれが間違いではないことに気が付いた。
「……言われてみれば、そうだな? これは意外だ」
「まぁな…………俺がお前だったら、きっと同じ感想を抱くだろう」
セバスは豆鉄砲を喰らったような顔をした。
そのまま少しの間、二人の間に沈黙が訪れる。
「フッ……」
不意にセバスが苦笑した。
「何を笑っている」
グラムはリンゴを齧りながら横目でセバスを見る。
「いやなに、らしくない答えだったのでついな」
「?」
セバスはくつくつと面白そうに笑っている。
「貴様、随分と丸くなったじゃないか」
「馬鹿も休み休み言え。俺は俺のままだろうが」
セバスの言葉にグラムはムッとした顔で反論する。
「どうだか。この三日間私はずっとお前の動向を監視していたが、終始あの二人と仲良くしていたじゃないか。姫様に報告したら悔しさと嫉妬が混ざったような凄い顔をされていたぞ」
「おい、何が言いたい」
一方的に話を薦められていることが気に食わず、グラムは少し苛立ちを覚えた。
「これは仮定の話だが…………もし何らかの事情であの二人を殺さなければならない状況に陥ったとき、お前はあの二人を殺せるか?」
「もち女から命令されたらな」
グラムは言葉を濁した。
「三年前のお前なら、得意げな顔をして「二秒で殺せる」と答えていただろう」
「…………」
グラムは肯定も否定もしなかった。少しの間沈黙すると、おもむろに脇に置いていた手を付けていないリンゴを一つ、セバスに投げ渡した。セバスは驚くこともなく、片手で難なく受け止める。
「ふむ、これは?」
「食え」
セバスは疑問を表情に滲ませながらリンゴを齧った。
「ただのリンゴだな」
「だが、美味いだろう」
「? あぁ」
セバスは頷いた。
「そのリンゴは人間が手間暇かけて作り上げたものだ」
グラムは語り始めると、王国近郊の農耕地帯、その一画を独占する広大なリンゴの果樹園に目を向けた。
「リンゴは種を植えてからこの赤い実がなるまでに五年以上も掛かる。実がなるまでの間は毎日のように面倒を見なければならん。害虫の駆除や健康状態の管理は勿論だが、枝の剪定や日光量にすら気を配る必要がある」
「……」
「一度だけ種から育てようとしたことがあったが、あの小娘の親戚だというリンゴ農家からこの話を聞いて俺は諦めた」
セバスはまじまじと渡されたリンゴを見つめる。話を聞いているうちに、軽々持つことができるリンゴの重みがグッと増したような錯覚を覚えた。
「やろうとも思えなかった。そんなことをするくらいなら、売られている物を買った方が効率が良い」
グラムの肩に、一羽の白い小鳥が羽を降ろした。小鳥はそのまま毛繕いを始め、リラックスしている。
「俺がこの先リンゴを食い続けるにはリンゴを育てる人間が要る。そしてどの人間がリンゴを育てることが出来る人間なのか、俺には皆目見当がつかん。ならば不用意に殺すのは悪手。だから殺さないことにした」
「嘘だな。殺さないのではなく、殺せなくなったんだろう?」
セバスは見透かしたような顔で息を吐く。グラムはゆっくりと顔をあげて、セバスを見た。
「……嘘を見破る魔法を使ったのか?」
「そんなもの使わなくて分かったよ。というか、その答えは自白したようなものだぞ?」
セバスは失笑した。
「姫様に教わった通りだ。貴様は図星を突かれたり都合が悪いことがあるとそれらしい理論を長々と語って言い訳する癖がある」
グラムは何も言い返せず、サッとセバスから目を逸らした。
「本当に、丸くなったな」
セバスは口の端を上げていった。
「人も魔族も、三年あれば変わるものだ。貴様もそうだが、姫様も見違えて立派になられた」
「生意気になったの間違いだろう。背が伸びただけで自分が強くなったと勘違いしてる愚か者でしかない」
グラムは鼻を鳴らしながら吐き捨てた。
「そういえばお前、まだもち女に魔法を教えているのか?」
「当然。最近は体力も十分付いたから格闘術の指南も行っている」
「ハッ! アイツめ、まだ無駄な努力をしているのか。滑稽を通り越して憐みすら覚えるな」
グラムが嘲笑うと、セバスはニヤリと笑った。
「この前、私が姫様に負けたと言ったらどうする?」
「は? ……冗談だろ」
「いいや、事実だ」
「手加減したな」
「偶然が重なったことは事実だが、私も本気だった」
グラムは噓を見破る魔法を使用した。
黒い瞳は蒼白に光り、真っすぐセバスを見定める。
「信じられん…………」
そして数秒後、瞳の色が黒に戻ったグラムは唖然とした。
「姫様の性格も相まって、自分から攻撃を仕掛けることは苦手そうにしておられた。だが、防御に回るとこれが凄まじい。武器があるなら話は変わるが、徒手空拳なら姫様は私を超えたと言っても過言ではない」
「…………あの軟弱者がか」
「その臆病でか弱かった姫様がだ」
グラムは嘆息を吐く。
かつてセバスと激戦を繰り広げた経験があるからこそ、グラムはあのセバスがシャルロットに負けたということが信じ切れなかった。
「それに…………私もすっかり年老いた。三年前とは色々と訳が違うんだ」
「…………お前、弱くなったのか?」
「そういうことになるな」
セバスは少し淋しそうな顔で笑った。
「じゃあなぜへらへら笑っていられる? 自分が弱くなったんだぞ? 悔しくないのか?」
「あと十年若ければ悔しかったかもしれんが…………今はむしろ、姫様の成長を喜ぶ気持ちの方が強くてな。心地よさすら感じるよ」
「敗北してなお喜ぶか…………軟弱者め」
グラムが苛立たしそうに言う。その声には、確かな失望の響きがあった。
「そういう所は相変わらずだな」
「俺は俺だ」
一際強い風が吹いたのはそのときだった。無秩序な風の音は波紋の如く広がり、木の葉の旋律は雑音に変化した。
「なぁグラム。俺はもう、長くない」
風が鳴り止むのを待たずして、セバスが口を開いた。
「何がだ?」
「命がだ。俺は……もうじき死ぬ」
グラムは目を見開く。小鳥がグラムの肩から飛び去った。
「漠然と分かるのだ。次の春を迎えるころには、俺の命は雪と共に消えているだろう」
「……」
「だからその前に、お前に聞かなければならないことがある」
風が止んだ。
世界の時が止まったような、染み入るような静寂が辺りに満ちた。
「デュランはこの三年の間に甦った。課題はまだ多いが、それでももう『楽園の王国』と呼べる域に到達したと言える。その過程で流れた血は一滴もなく、犠牲者もいない。…………これを平和と言わずして何という!」
セバスの声は震えていた。静かだが、強い感情が籠った声だった。
「なぁグラム、教えてくれ。お前の目には、この平和がどう映っている?」
グラムは目を閉じる。
そのまま一秒、二秒と、沈黙の時間が流れる。セバスは焦ることなく、グラムが口を開くその瞬間を待つ。
「知らん」
「…………は?」
セバスは目を見開いた。
「強いて言うとすれば、「別に」だ」
グラムは脇に置いていた茶色い袋の中身を漁り、リンゴを一つ取り出しながら続けた。
「なっ……!」
「一体何を期待していたのか知らんが、そうとしか言いようがない」
驚愕の後、セバスは怒りを覚えた。
「き、貴様……! 三年もこの世界にいながら、何も感じないのか!」
「感じるも何も、たった三年しかいないのに一体何を感じろと言うのだ。人間の尺度で話を進めるな」
グラムはリンゴを咀嚼しながら答える。
本音だ。噓を見破る魔法など使うまでもない。
面倒臭そうな態度や抑揚が無いため息交じりな声、そしてあまりにも無関心な目。
どこを切り取っても、演技ではあり得ない雰囲気があった。
「何だ、その顔は。そこまでして俺から答えが聞きたかったのか?」
「もう、良い。少しでも、貴様を信じた私がバカだったよ……!」
それが我慢ならなかったセバスは立ちあがり、グラムに指を差した。
「このまま天寿を全うするつもりだったが、止めだ! 貴様の口から答えを聞くまで、私は死んでも死なんぞ!」
「あっそ。ではあと百年くらい頑張れ。そうすれば答えてやらんことも無い」
グラムは背を向けたまま、リンゴを齧りながら聞き流していた。
「覚悟しろよ貴様!!! 例え死んでも、私は亡霊となって貴様に纏わりついてやるからな!!」
「死んだら大人しく死ね。迷惑だ」
「問答無用!!」
「殺すぞ」
♢
正午、セバスが王城に帰還し、時計台の鐘の音が鳴り響く頃。
別れの時がやって来た。
「私、ここでお姉ちゃんを待つからね! 絶対来てよ!!」
「勿論! 必ず会いに行く!! だからここで待っててね!!」
巨大樹の樹の下で再会の約束を結ぶエヴァとマリー。グラム────ラヴも枝から降りており、近い場所で二人の約束を見届けていた。
「ラヴさんもまた会いましょうね!!」
「機会があればな」
相変わらずそっけない態度を取るグラム。マリーは既に慣れたのか、特に何か言うことも無い。代わりにラヴに歩み寄ると、おもむろに懐から何かを取り出した。
「それからこれ!」
懐から取り出した小さな何かをマリーはラヴに手渡す。
「……なんだこれは? 薄っぺらいリンゴ?」
それはリンゴの形をしたアップリケだった。輪郭は少し歪で、果実の赤色と枝葉の茶色と緑色だけで構成された質素なものだ。
ラヴはそれを人差し指でつまみながら、ひらひら紙を揺らすように動かした。
「エヴァちゃんと一緒に作ったんです。私だと思って大事にしてくださいね! あっ、食べちゃダメですよ?」
「おい」
「フフフ、冗談であります」
マリーは楽しそうに笑う。ラヴは苛立ちを露にしつつも、受け取ったアップリケをズボンのポケットにしまった。
「最後まで不愉快な女だ。さっさと失せろ」
「相変わらずツンツンしてますね。いつか私にもデレてもらいますよ!」
「失せろ!」
ラヴが舌打ちしながら凄むと、マリーは笑いながら引き下がる。
「────それではエヴァちゃん! ラヴさん! また会う日まで!!!」
別れの挨拶もそこそこにして、マリーは丘を下る。エヴァとラヴは隣り合ってその背中を見送った。
「おじさん……また、お姉ちゃんと会えるよね」
マリーを見送っていたエヴァが口を開いた。ラヴが目を向ければ、その顔には不安の色がありありと見て取れた。
「俺に聞くな。それは俺がどうこうする問題じゃない」
「それも、そっか……」
エヴァはそれ以上何も言わず、小さくなるマリーの背中をまた見送る。湧き上がる不安を押し殺すために、エヴァはラヴの手をギュッと握った。
「…………」
ラヴは一瞬だけエヴァに視線を送る。が、そのまま黙ってエヴァの手を受け入れ、視線をすぐに去り行くマリーの背中に戻した。
『本当に、丸くなったな』
不意に脳裏に蘇ったのは、セバスの言葉。
『お前の目には、この平和がどう映っている?』
その答えを、グラムは既に持っている。
「────悪くはない」
その呟きは、風の音と共に溶けて消えた。
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