第8話 絶望襲来
ダイン帝国。
総人口世界一を誇るその国は、屈指の軍事大国だ。魔法師団による理不尽なまでの魔法爆撃の他、独自の魔法兵器や数に物を言わせた人海戦術を駆使して幾多もの敵を蹂躙してきた。
国民の生活にも魔法が当たり前のように浸透しており、少し街を歩けば子供が無邪気に笑いながら魔法で遊んでいる光景が見られるだろう。時折空を飛ぶのは鳥ではなく、魔法によって鳥のように羽ばたいている本である。
そんな帝国の最奥部に位置する宮殿のある一室。帝王に許された者以外近づくことすら出来ない帝王の私室では、二人の若き男女がいた。
「ベオウルフがデュランに義勇軍を派遣しようとしているみたいだ」
窓から帝国を一望していた男がそばに立つ女へ言う。
「そんなの今更ですわ! 帝国の勝利はもう確定事項ですもの!」
紫と黒を基調とする美しい衣装に反して、女の声はとても活発的であった。
「仮に公国が出張ったところで、ダインが誇る魔法師団にかかれば風の前の塵に同じ、ですわー!!」
「そうだねハニー。君の言う通りだ」
愛おしそうな顔で女を肯定するこの男こそがこのダイン帝国を治める若き帝王、ガビル・ダインスレイヴその人である。
「ねぇダーリン? 私達、この戦争が終わったら結婚しましょう?」
「奇遇だね、僕も今同じことを言おうとしていたんだ」
二人は視線を交わした後、幸せそうに笑い合った。活発な女────ルミナス・オブスキュラスは、ガビルの腕に軽く抱き着いた。
二人は互いの体温を確かめるように、しばらくの間はずっとそのままであった。
「随分、仲が良いじゃないか」
不意に、二人へ声を掛ける者がいた。
「当然さ。僕らは二人で一人、魂で結ばれた無力のパートナーなのさ」
「私達の愛の前には、神すらも無力ですわ!」
夢中になっていた二人は、部外者に対してそう言葉を返す。
「ほぉ? 面白いことを言うじゃないか」
ソファに腰掛けていた
「なっ!? だ、誰だ!?」
ガビルが驚き戸惑ったように声を上げる。
あまりにも堂々と声を掛けられたせいで、二人とも反応が遅れたのである。気付いてからはすぐにグラムから距離を取った。
「どこから
「鍵が掛かっていなかったのでな。そこの扉から入らせてもらったぞ」
グラムは開きっぱなしになっている扉を指差しながら、ソファの前のテーブルに置かれていたロックグラスの中身を飲み干した。
「バカな……! け、警備の兵はどうした!?」
「あの役立たず達のことか?」
眉を上げたグラムが空になったロックグラスを片手に聞き返す。扉の向こうの廊下には、数多の近衛兵達が血濡れた姿で力なく横たわっていた。
いずれも重傷だが、辛うじて致命傷は避けてあるらしい。まだ息がある。
「一体何者だ!? 聖教会の差し金か!!?」
「さぁ。自分の胸に聞いてみれば分かるんじゃあないか?」
「答えろ!!!」
「俺に命令するな、阿呆が」
ケラケラとグラムは嘲笑う。ガビルは歯を食い縛った。
「クハハ、そこまで知りたいならそこの女に聞いてみろ」
言いながらグラムは、ルミナスを指差した。
「~~!!」
「は、ハニー……?」
冷汗を流しながら震えるルミナスに、ガビルは心配と不安が入り混じった声を掛けた。
「酷く青ざめているじゃないか。さっきまでの威勢はどうした?」
グラムは愉快そうに嗤っている。
「俺の顔に覚えがあるのだろう?」
魔族グラム。
それは絶望の代名詞。
魔界においてその名を知らぬ者はいない。それは人間界においても同じことだ。
しかしルミナスは、人間以上に知っている。
その絶望の何たるか。
「グラム、王子……!!」
「王子は要らん。不愉快だ」
グラムは途端に顔を顰めた。
「なんで……なんで
「なんでと言われても、そりゃあ召喚されたからとしか言いようがないな」
「契約相手は誰ですの!!!」
ルミナスの悲鳴のような問いかけにグラムは嘲笑を返す。一人状況を理解しきれていないガビルだけが困惑して、視線を何度も
「答えなさい!!!」
「命令するなと言ったはずだ」
グラムの声色が氷点下にまで下がったそのとき、グラムは右手の人差し指をガビルへ向けた。
その指先に緋色に光る極小の魔方陣が出現した刹那、魔方陣から迸った稲妻がガビルの頭を貫いた。
「えっ────」
禍々しい黒い稲妻に貫かれたガビルは、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「ダーリン!!」
悲鳴を上げたルミナスがすぐさまガビルに駆け寄った。
「案ずるな、魔法で仮死状態にしただけだ」
グラムは楽しそうに嗤っている。ルミナスは倒れたガビルの身体を抱きながらグラムを睨みつけた。
「魔法を解きなさい!! 今すぐ!!!」
「断る。だが喜べ、俺は強者を尊重する。この俺を力で超えることが出来たなら、そのときはお前の意志を尊重してやろう」
グラムはまだ手に持っていた空のロックグラスをテーブルに置いて立ち上がった。
「ふざけんな!!!」
あまりにも傲慢なその態度に耐え切れず、ルミナスは思わず言葉遣いが崩れるほどの強い怒りを爆発させた。
「黙って聞いていれば偉そうに!! いくら王子とて許しませんわ!!」
意識のないガビルを優しく地面に置いた後、ルミナスは鬼気迫る表情で立ち上がった。
恐怖も、絶望も、全て怒りに変換されていた。
「いいですとも!! そこまで言うならその勝負、受けて差し上げますわ!!」
ルミナスの背から一対の蝶の如き紫色の翼が飛び出す。戦闘態勢に突入したルミナスは両手でハートを作ってみせた。
それは即ち、印を結ぶ行為に等しい。
「『
固有魔法。
溢れ出したルミナスの魔力が空間を塗り潰す。室内であったはずの空間は、瞬く間に桃色の庭園に変化した。
(領域型の固有魔法か!)
桃色の庭園に閉じ込められたグラムは、少しの驚愕が混ざった笑みを浮かべた。
「私達の愛の前に跪きなさい!!」
────愛が、絶望に立ち向かう。
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