第二章 For love's sake

第7話 秘策アリ

 契約を交わしてから二日目となる日の朝、グラムはシャルロットの提案の下、デュランの日常風景を見て回ることになった。見て回ると言っても国をぐるっと一周するだけで、大したものではない。


「小国とは聞いていたが、ここまで田舎とはな」


 日差しが強い田園風景を歩いていた最中、グラムが怠そうな声で呟いた。遠方では頬骨が少し浮き上がった農民たちが小麦の種まきに注力している。


「こ、ここは農耕地帯ですから……中央の方は都市部なので、もう少し我慢してください……」

「かったるい。日差しは強い癖にやたらとのも不愉快だ。馬車はないのか?」


 なおもグラムは気だるげに訴えかけるが、シャルロットはこれを却下する。


「わ、我々が楽をするわけにはいきません! 民は何時如何なる時も働いているのですから」

「そういうお前は日傘で楽をしているがな」


 嫌味たっぷりにグラムは言う。セバスが差す日傘でシャルロットは直射日光から守られているが、グラムだけ見事に仲間外れであった。


「姫様は体が強い方ではない。直射日光に長時間晒されると御身体に障るのだ」

「なら猶更馬車を使えばいい話だ」

「その一点だけは私も同意するが、これは姫様のご意向。我々はそれに従うだけだ」


 セバスの論にグラムは鼻を鳴らして不満を示す。


「ひめさまー! おはようございまーす!」


 不意に農作業をしていた農民たちがシャルロットの存在に気が付き、笑顔で手を振った。


「お、おはようございます……!」


 シャルロットは微笑みながら、少し遠慮がちに手を振り返す。


 その様子をグラムは気持ち悪そうに見ていた。


「なんで俺が、こんな、目が腐り落ちそうなものを見なけれならないんだ」

「やはり貴様は下賤な獣だな。この光景の素晴らしさを理解できぬとは」

「弱者の価値観を俺に押し付けるな」


 セバスの煽りにグラムは青筋を立てる。


「そういう自分本位の傲慢こそ獣だと言っているのだ、愚か者」

「よく吠えるな、負け犬」


 売り言葉に買い言葉。一触即発の空気がセバスとグラムの間に流れ始める。


「こ、こんなところで喧嘩しないでください!」


 それはシャルロットの一声で止められた。セバスはすぐさま身を引き、グラムは不愉快そうに嘆息を吐く。


「……それはそうとお前、こんな所で油を売っているが大丈夫なのか?」

「はい?」

「最後通牒を受け取ったとか言ってただろう。奴らはいつ戦争を仕掛けてくるのだ? 悠長に散歩などしている場合か」


 シャルロットは平然とした顔でこういった。


「昨晩帝国から「沈黙は抵抗と見なす」という旨の伝書と同時に宣戦布告を受けました」

「は?」


 グラムは口を半開きにさせたまま硬直する。


「だから、えっと、もう仕掛けてきてますね」

「本気で言ってるのか?」


 シャルロットの悠長な態度に困惑して、グラムは思わずセバスの顔を見る。


「幸いにも帝国軍は行軍速度は遅い上に距離も相当離れている。仮に帝国軍が一度も止まらず進んだとしても、デュランに到着するのは早くても三日は掛かる」

「ただの誤差ではないか……」


 呆れ果てたグラムは思わず空を仰ぐ。


「一応聞いておくが、この国の軍隊は?」

「騎士団を含めて三千人だ」

「……相手の戦力は」

「最低でも歩兵が約十万。魔法師団や弓兵部隊などを合算すれば十五万は下らないだろう」


 数字にして凡そ五十倍。流石のグラムでも、この状況がほぼ詰みであることは理解出来た。


「何から何まで俺に頼るつもりではないだろうな」

「勿論です。そもそも戦争を行うつもりなどありませんので」

「はぁ?」


 グラムの困惑の声をよそに、シャルロットは遠くで農作業に勤しんでいる農民たちの姿を眺めていた。


「相手は軍事大国のダイン帝国、どれだけ準備したところでデュランに勝ち目はありません。一応、西のベオウルフ公国から義勇軍派遣の申し出を頂戴していますが、それも焼け石に水でしょう」

「ベオウルフ?」


 グラムは疑問を抱く。セバスとの口論の際、彼女はデュランに味方する国などいないと言っていたのを聞いていたからだ。


 しかし今し方シャルロットが言い放ったことは、その前提を崩すものである。


「ベオウルフ公国……デュランが衰退する以前に親交があった大国の一つです」


 シャルロットは言葉を区切り、


「かつてデュランは『楽園の王国』と呼ばれるほどの大国であり、それこそ帝国やベオウルフと肩を並べるほどで、果てにはこの三国で同盟すら結んでいました。ですが、度重なる政争の末にデュランが空中分解したことを機に同盟は廃れ、その頃から帝国は武力によって世界の覇権を握ろうと企み始めたのです」


 グラムは納得すると同時に、退屈そうな顔をする。


「父上の訃報を聞いた帝国はチャンスだと思ったのでしょう。ベオウルフの現君主であるシグルド大公も、我々に味方するというより、単に帝国の好きにさせたくないだけなんでしょうね」


 シャルロットは暗い顔をして俯く。


「しかし!」


 かと思えば、すぐに顔をあげて明るい表情を見せた。


「我々には鬼札とっておきがあります!」


 鼻高々に笑いながら、シャルロットはグラムを指差した。


「少し耳を貸してください。大事な命令を下します」

「?」

 

 グラムは訝しみながらも耳を貸すが、間も無く目を見張り、そして失笑した。


「ふっふっふ……良い考えでしょう?」


 シャルロットは誇らしげに胸を張る。


「腹黒い女だな……」

 

 端的に言えば、グラムは引いていた。しかし教えられた内容はグラムも唸るほどのものだったようで、否定することははしなかった。


「ほ、褒めてくれてもいいんですよ……?」


 シャルロットは期待するような眼差しをグラムに向けた。赤らめた頬のせいか、少し恥ずかしそうに見える。


「己惚れるな」

「あう」


 グラムは嘆息を吐きながらシャルロットの額を指で弾いた。


「それで、決行はいつだ?」

「あ、えと、今すぐです! ────セバス、転移魔法を」

「仰せのままに」


 セバスの懐中時計から魔方陣が浮かび上がると同時、全く同じものがグラムの足元にも出現した。


「い、一時間後にセバスが迎えに来ます。ぼ、暴力と殺しは絶対ダメですからね!」

「意識はしてやる」


 短い会話の後、グラムは魔方陣と共に姿を消した。

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