恋とはどんなものかしら ~当て馬令嬢の場合~
鈴音さや
第1話 当て馬令嬢
「お嬢様、城からの返信です。『多忙のため登城には及ばず』、と」
「そう、王太子ですもの。忙しくされていて当然ね」
もういいわ、と。ヴィクトリアはどうということはないという顔で、気の毒そうな目をする侍女を退室させた。
「婚約者だからといって、急にお茶にお誘いしたりするのは失礼よね」
誰もいない部屋で零れる呟きは、まるで自分に言い聞かせているようだ。
「すぐに新学年が始まって学院でお会いできるのですもの」
今回の長期休暇では一度も会えなかったけれど。右手を上げて固い感触を確かめる。緑石の髪飾り。王太子の瞳の色をあしらったそれは、婚約が結ばれた時に贈られたもので。以来、いつでもヴィクトリアの銀の髪に輝いていた。
「ヒルメスさま……」
最近は専ら彼女の隣にいるので、思い出の中でしか見ることができなくなった笑顔を想う。
「大丈夫、婚約者は私なのだから」
髪飾りを外し、飾り棚にしまう。寝台に入っても、緑の輝きが見えるように。
「大丈夫」
もう一度呟いて、眠りについた。
「ヴィクトリア、君との婚約を破棄する。共に幼い頃から支えあってきたと思っていた君が、ルナを虐げるような人間だったなんてとても残念だよ」
広間にさざめく貴族たち。黄金を溶かしたような金の髪に、深い緑の瞳をした男性が、険しい顔で私に指をつきつけている。突き刺さる幾百もの軽蔑の視線。恐怖に締め上げられて息ができない。苦しい。息をしなければ、息を……。
「ハッ」
自分が息を吸い込む音に目が覚めた。二度、三度、肩で息をする。見慣れた天井。見渡すと、やはり見慣れた自室。窓からは明るい月明りが差し込んでいる。
「夢、なの……?」
ぐっしょりと夜着を濡らす汗が冷たい。
「違う、夢じゃない……」
私は思い出した。あれは春の訪れを寿ぐ王宮の舞踏会。一年後に起こる私の断罪劇。私の前世で見た、私の未来。私は異世界転生をしてしまったようだ。
『野ばらのセレナーデ』
前世で好きだった乙女ゲームだ。王立学院に優秀な庶民の少女ルナが特待生として入学してくるところから始まる。孤児院育ちで、教会の庇護を受けた主人公は、貴族や富裕層だらけの学園で右往左往しつつも、その優秀さを認められて執行部に入る。そこで王子や公爵令息といった攻略対象たちと様々な事件や苦難を乗り越えながら絆を深め、ハッピーエンドを迎えるというものだ。
ヴィクトリアはいわゆる悪役令嬢。いや、当て馬令嬢かな。王子と同年代の中で一番家格が高い公爵家の娘、という理由で選ばれた婚約者だ。見かけは美しいが冷淡で気位が高く、王子と親しく振舞うルナにきつく当たり、嫌がらせをしたりする。クライマックスとなる城の舞踏会で王子に婚約破棄を言い渡され、気を失って退場。その後は実家の領地で静養という名の幽閉となる。庶民になるとか、国外追放になるといった、いわゆる『ざまあ』はないこともあり、ユーザーの間では『悪役にもなれない当て馬』と呼ばれていた。
そして現在。私、ヴィクトリアは17歳。明日から学院の二年生となる。
「どうしてもっと早く思い出さなかったんだろう」
私は枕に顔を埋めて呻いた。
そう、ルナは同級生。昨年入学してこの一年で大分王子たちと親しくなっている。
ルナが学園での生活に馴染み、攻略対象たちと出会う一年を終え、明日、いや、もう今日か。新学年では執行部の役員となる。ここから『様々な事件や苦難を共に乗り越えて絆を深める』のだ。それはヴィクトリアにとって針の筵の始まりだった。
「庶民落ちや国外追放がないってわかっていても、学院でこれから二年もギスギスした生活を送らなくちゃいけないなんてねえ」
今でさえ既に『王子の寵愛を失った婚約者』という憐れみの視線を受け始めているというのに。
前世の私はよくいる会社員だった。両親は忙しく、教師の子どもとして恥ずかしくないようにと言い聞かされた。多忙で留守がちだったから、学校を休まず、それなりの成績を維持しながら家でおとなしく勉強をしているふりをしていればそれ以上はうるさくいわれなかったので。私は自室で勉強道具を広げながらこっそり乙女ゲームに興じていた。同じ教師になれという親から、教育大学に行くといって都会に逃げ、そのまま普通に就職して気楽な一人暮らしを満喫していたことは覚えている。その後の私がどうなったのかは思い出せないけど。
「前世も今生も似たようなものか」
『教師の子どもとして』の代わりに、『公爵令嬢として』『王太子の婚約者として』。前世風にいえば、耳にタコができる程言い聞かされてきた。今生の私は素直に信じてしまって、親や家庭教師がいうままに貴族令嬢らしく振舞った。ゲーム内で「冷淡で気位が高い」といわれるのも仕方なかったかもしれない。
だけど。この一年、私はまだルナにこれといった嫌がらせをしてはいない。良い関係を築けていると信じていた王子が段々と離れていくことに不安を募らせ、自分と反比例するように親しくなっていくルナを苦々しく見ていただけ。ゲーム内にはでてこなかったけど、現実の私は、なんとか関係を改善できないかと王子をお昼やお茶に誘っては都合が悪いとやんわりお断りされていた。自分なりに頑張っていたんだよ!
ゲームでは、二年生以降『お妃教育の時間確保を考慮する』という理由で執行部に入ることを許されなかった私が、いつも一緒に過ごすようになる二人に対して行動を起こしていくという展開になる。つまり、これから私が何もしなければいいのだ。もっと早く思い出して婚約者にならないという展開が一番だけれど、でも、まだ間に合うタイミングでよかった。
正直なところ、前世を思い出した今となっては婚約破棄は願ったり叶ったり、だ。眠る前まで、素っ気なくなったヒルメス王子やこれからのことを思って胸を痛めていたのが嘘のよう。夢とはいえ、衆人環視の中であんな顔で怒鳴りつけられて。ゲームのなかでヴィクトリアが気を失っても当然だ。社会人の経験がある私だって無理。そんな息もできない程の恐怖を感じてしまった私の中からは、恋心なんかびっくりして逃げ出してしまったみたい。
だから、ここからの行動はとても難しい。婚約破棄はされたい、でも、断罪はされたくない。だって、確かにゲームでは牢に入れられたり、国外追放されたりということはなかったけれど、今、私の生きているこの世界でも必ずそうなるとは限らない。婚約破棄されるためとゲーム通りにルナに嫌がらせをしてしまえば、処罰を受ける可能性はある。そんなリスクは取れない。
それに、できれば婚約は解消がいい。王子側の有責で! 今は恋心を失ったとはえ、10歳で婚約をして7年。同い年の女の子たちが楽しく過ごしているだろう時間を、私はお城でお妃教育をされていたのだ。学院に入るまではお城の大人たちに仲睦まじいと微笑ましく見守られ、二人で国の将来を語り合ったこともあったのに。心変わりをされた被害者が傷物扱いで領地に閉じ込められるなんてありえない。
責任の所在をはっきりさせて、慰謝料を貰えればベストだけど。ここは厳しい身分社会。いくら公爵令嬢でも、相手はさらに上の王族、しかも王太子。なんとか穏便に婚約を解消できれば合格点かな。だから自分に瑕疵を作らないためにも、嫌がらせはアウトだ。それからお金! 正直なところ、我が家はとても貴族らしい家庭で、家族関係の薄さは前世もびっくりな程。親というより、大人。感覚的には上司って感じがする。差し詰め、私は売り上げが上がらなければ閑職に回されてしまう部下。
上手いこと婚約を解消できたとして、家族が傷心の私に寄り添って慰め、別の幸せな結婚を斡旋してくれる…なんて都合のいい展開になるとは思えない。今より家に都合のいい縁談があるなら許してくれるかもしれないけど、どっちかといえば家の恥だと親の怒りをかって、周囲から隠すために修道院に放り込まれるほうが現実味がある。切ない……。
だから先立つものが必要だ。婚約が破棄だろうと、解消だろうと、卒業後には速やかに私はここから逃げ出さなければならない。将来の王様に睨まれて、実の家族に厄介者扱いされて、ここで幸せに暮らしていけるわけがない。この家を、この国を出て新しい暮らしを手に入れる。だから、お金は大切。慰謝料が貰えれば一番いいけど、それはきっと私個人ではなく家に支払われるものだろう。
つまり、これから私がやるべきことは。
1. ルナに嫌がらせをしない。処罰される理由を作らない。
2. 「冷淡で気位が高い」という印象を払拭する。味方を増やすためだ。
3. 自分が自由にできるお金を増やす!
4. 体力づくり。円満に逃げられるとは限らないし、今後の生活でも体力は重要。
5. 手に職をつける。家からどれだけ持ち出せるかわからない。しっかり収入を得られる術が必要。
うん、すぐに始められることも、これから頑張ることもあるけど。まずはこんなものかな。他に何かできることは……。
「聖魔法、貰っちゃう?」
ルナはゲーム内でなんと、聖魔法をゲットする。そして王都が竜の群れに襲撃された時に王子たちと一緒に大活躍をして聖女とあがめられるようになるのだ。それまで孤児院育ちの庶民が王子や貴族子息に馴れ馴れしくしてと苦々しく見ていた貴族たちも彼女を認め、晴れて二人は結婚に至るというあらすじ。
聖魔法の取得方法は、簡単といえば簡単。学園の裏の森の中にある泉の精を助けて、そのお礼に魔法を授けられる。特に無理難題ということはない。人々に忘れられかけて消えそうになっている泉の精のために、祠を掃除して祈りを捧げればいい。誰でもできることだ。
聖魔法は怪我や病気を癒したり、祝福を贈ることで穢れを払い、運気を上げる効果がある。この先、実家を出ればこの世界で医者にかかるのは簡単ではなくなるし、自分の運気が上がれば将来の就職にも役立つだろう。竜を倒せる程の運気上げだもん、宝くじみたいなものに当たっちゃうかもしれないし!
「でも、私が聖魔法を取っちゃったら、王都がまずいことになるか……」
元々ゲームではなかったことを、『あるかもしれない』と用心するのはいい。でも、ゲームで起きた事件を、何の根拠もなく『なくなるだろう』というのはさすがに無責任だ。まして王都の安全にかかわることなんだし。だけど……。
私は王子の婚約者で公爵令嬢。人は羨むかもしれないけど、実際のところは自分自身で使えるお金も権力もない。誰にも知られずに、確実な力を手に入れる機会を、『王都の安全のために』と見逃せる余裕があるの? ……ない。
「聖魔法を取る!」
決めた。ルナには他にもイベントやアイテムがあるのだから、一つくらいを私が貰っても大した影響はないはず。攻略対象者は4人もいて、みんながルナを守ってくれるんだし。誰とエンドを迎えてもハッピーで何も困ることはない。大丈夫。そして聖魔法を持っていることは内緒にしておく。王都が襲われたら、こっそり陰から迎撃する人達に祝福や治癒を贈ればいい。ゲームで起きたその事件だけカバーすれば、聖魔法取得に付随する責任は果たしたことになる。その後は自分の健康と幸運のために使えばいい。それに。
「隣国だとバレそうだから、さらにその向こうの国辺りまで逃げて。治療院なんか開けば食いっぱぐれないんじゃない?」
教会で雇われ治癒士になってもいい。これで手に職問題も解決だ!
「よし、明るい未来に向かって、頑張るぞ!」
悪夢から目覚めて二時間。ようやく私は再び眠りにつくことができた。
「その髪飾りはいいわ」
「よろしいんですか?」
いつもの髪飾りをつけようとした侍女が不思議そうな顔をした。
「今日から新学年だもの、気分を変えたいの。そうね、リボンにしてくれる?」
鏡の中には学園の制服を着た私。髪は元々縦ロールじゃないよ。今日はハーフアップにしてもらった。侍女が手早くリボンを結んでくれる。
「今日も大変お美しいですわ」
「ありがとう」
私は微笑んだ。鏡越しに、侍女が少し目を見張ったのがわかる。驚いているね。これまではいつも『貴族らしい』すました表情で、使用人にお礼をいったりすることもなかった。私は今日から変わるのだ! 好感度を上げて味方を増やしていく。断罪劇の時に身を挺して庇ってくれるなんてことは望んでいない。悪い評価が流れた時などに同調しないで、そんなことないよ、そんな人じゃないよといって貰えたらありがたい。よろしくね!
「お仕度、整いました」
侍女と執事に見送られて馬車に乗り込む。いざ、出陣!
「入学したばかりの頃は一緒に登校したのになあ」
お城から我が家に迎えに来てくれて、同じ馬車に乗って通ったのだ。ある時、忙しくてしばらくいけないといわれて、それっきり。今は一人馬車に揺られている。
「しょうがない! 殿下は婚約破棄をするってわかっているんだから」
婚約した時はまだ幼くて。金の巻き毛に、深緑の瞳。絵本に出てくるような王子様が、私だけの王子様になってくれるんだって嬉しかった。
「絵本じゃなくて、ゲームに出てくる王子様だったんだけどね」
そして、彼女の王子様だった。
彼女は庶民だし、私は婚約者だし。大丈夫だって、今は彼女といるけれど、いずれ私のもとに戻ってきてくれると思っていた。卒業したら結婚するんだから、王子様に恥じない立派なお妃さまにならくちゃって私なりに頑張ってきた。頑張ってこられた。でも、もう頑張らなくていい。立派でなくてもいいんだ。今日からは私のために頑張る。私の未来のために。いつもつけていた緑石の髪飾りも、もう、私の髪を飾ることはない。
「こっそり売ったらいいお金になるかも?」
これまで貰ったプレゼント、みーんな新生活資金の足しにしちゃおう。
馬車を降りる。見慣れた学園だけど、今日の私には懐かしいゲームの聖地にきたような気持ちにもなる。
「おはようございます」
微笑みを浮かべながら、私は教室に入っていった。
「お、おはようございます」
驚きを隠しきれない様子で口々に挨拶を返してくれるクラスメイトたちに、私は笑顔で頷いて席に着いた。ぼっち。王家に嫁ぐ者として、公平性を保つために特定の友人を作ってはいけないといわれてきた私はお友達がいない。これからでも作れるだろうか。
今となっては、殿下と彼女が同じクラスでないことだけが救いだ。できるだけ顔を合わせたくない。面倒くさい。前はね、同じクラスじゃないから気持ちが離れてしまったと思ってたからね。しっかりと勉強をして成績を維持する。真面目な授業態度と、高得点が学校内での私の評判を守ってくれるだろう。
午前の授業が終わり、お昼休みになった。前は殿下と一緒に食べていたけれど、やっぱり、しばらく忙しいといわれて別々になってそれっきりだ。一人で食堂に行った時、殿下やご学友と彼女が楽しそうにお食事中で、回れ右をした。それ以来、私は専用のサロンに引きこもっている。
学院には王族用のサロンがある。男性用は殿下が、女性用は王女が在学していないため私が使っている。逃げ込める場所があってよかったよ。家から持参のお弁当を食べて、いつもは勉強したり本を読んだりして過ごすんだけど。今日は学院内を散歩することにした。体力づくりだ。子供の頃からお妃教育を受けてきたから、本当は学院での授業範囲の勉強はもう修了している。これからは、勉強は授業中に真面目アピールするための手段にして、昼休みは将来のための準備にあてていくつもり。
家の中は使用人の目があって、何か変わったことをすれば親に報告されてしまう。その点、教職員の目はあっても学生のほうが断然数が多い学院は自由がきくのだ。ただ、サロンには専属のメイドがいるから、いきなり運動したりしたら怪しまれてしまう。でもサロンの外まではついてこないから、図書館で国周辺の地図や言語を勉強したり、校内ウォーキングで体力を作っていこうと思う。
殿下さまご一行は食堂で楽しく談笑中だと思われるので鉢合わせる危険はないのだけど。高位貴族令嬢の『またお一人よ』という憐みの視線を浴びるのがいやなので、ひと気がない場所をぶらぶらと歩いた。乙女ゲームの記憶を思い出したから、校内のマップには詳しいよ! 泉の精を助けるイベントはまだ少し先だけど、そのうち一度下見に行っておこうかな。そんなことを考えていたら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます