軽文学だからと託けて徒に著作に長い題を付すのを辞めろ

かいまさや

第1話

 最近になりて侮辱的なほどに徒然と、くだけて瓦解したような下劣なあらましを書き連ね、更に多様な文体をも用いることなく形式ばった表題を付された書籍、殊に軽文学の分野における小説類が惨烈に並ぶのを書店などで目にする。


 かの状況へと成り果てた所以は、私の想像するところに、その数の限りなき先人たちの築きあげた文学の山嶺とも云うべき、不可算に及ぶほどの文字の波うつ海原の一帯において、そのつぶさな存在を示すためであろう。これはある種において商いに則った戦略ともみられるが、そのような本類の並びたる様子は非常に不可解奇妙にて、私は目の奥の痛くなるのを感じることすらもあるのだ。


 みなはある特定の書籍を手にするとき、どのような基準からそれを選び得ているのか。私は少なからず、私自身の書籍に斯の如く表題を付けるのを避けているが、やはり愛読家より在り来りなものとみられるのだろう、売れ筋はしばらくの間地を這って、稀に微小に脈打つ程度である。


 先に述べたように、私もいち小説を手がける者として、表題には愛着や丹精といった思い入れのあるのが好ましく思う。実際、私の小説の内容というのも、彼等長文を題名と載せる者たちと相変わりなく、フィクション作品を書いている訳であるが、彼等と一線を画するところがある。それは空想上の文章にもたらされる現実味の所在である。何を隠そう私には、私の書く小説は見事に現実世界を描画しており、何らの嘘、冗談、虚言は含まれずに在り々と私の所在する世界の様子を書き写しているつもりであるのだが、どうやら世間の評判によると、愚類なる異世界ものと同様に扱われているようで、これは甚だ不服の極みである。


 全く世間の人々の気が知れたことではないが、私も件の如き軽文学の書き手として、一定の印税を受け取りて生活を賄っている余生であるからに、些か不憫に感じるのを抑え込みて凌ぐ他ないであろう。


 はてさて、この頃に私が書き綴るには連作の続きであるが、ここに著作の内容を示しては本分を失いかねぬ為にここでは短絡的な説明に留めておこう。

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