奏者は終末のラッパを鳴らさない
和菓子パフェ
前奏
0-1…
“トンットンットンッ”
“トンットンットンッ”
正確なリズムが刻まれていく。
時計の代替品として利用できそうなほど、精密極まるリズムが刻まれていく。
何処か人間味を感じさせない、出力された電子音が如きリズムが刻まれていく。
寸分違わぬ、0.1ミリの誤差さえ許さない徹底されたリズムを、青年が刻んでいる。
向き合う机に左肘を付けて、肘より先の腕で頭部を支えるように、手を頬へ添える姿勢が様になっていた。おそらく幾度と繰り返してきた動作なのだろう。
元々は静寂に満ちていた部屋へ音を響かせるのは役割を持っていなかった右手。それを机の端に乗せ、人差し指でキーボードを弾く光景を幻視しながら先端を打ち付けている。
“トンットンットンッ”と鳴らされる音にどんな意味が込められているかは判然としない。
しかし、適当な理由でないことは青年の表情から見え隠れする酷く憂鬱な感情が示していた。
「はぁ」
その深い溜息は、自分の思考すら吐き出してしまったと錯覚させる重苦しいもの。
それでも、気分を切り替えるきっかけにはなったのだろう。
青年は椅子から立ち上がり、周囲を見渡した。
暗い部屋。カーテンが閉め切られて殆ど真夜中と変わらない明るさで、しかし僅かな隙間から漏れ出た自然の光が日の出を告げている。
「“明けない夜はない”とは言うけれど。朝を迎えたら皆が笑顔になるなんて、それこそ楽園の1節だろうに」
何処か、というより。
何処までも自嘲的に、演劇の台詞を読み上げる真似事じみた言葉を揚々と紡ぐ。
その節々で使われた、ともすれば大袈裟な単語こそが青年の心を如実に表している。
楽園は完璧な場所だ。
決して侵されない、完成された箱庭。
だからこそ人が目指した、だからこそ辿り着けない理想郷。
人の矛盾が、全ての原因。
汎ゆる夢が叶うなら。
そんな妄言を連ねて、無為な言葉を空に溶かす。
だが望む通りの、荒唐無稽な“完璧”が実現してしまえば。
それ以上の、先が見込めない“完成”を体現してしまえば。
求めた理想が退屈な日常へ変わる絶望に、きっと人は耐えられない。
例え話をしよう。
完璧なリズムで、完璧な音程で、完璧な歌詞を。
そうして作られた音楽が人を感動させるか、否か。
不可能だと、青年は断言する。
何故って、そこに“心”がないから。
とてもつまらない、ありきたりな結論だ。
だが完璧であるはずなのに、感動を伴わないなら完璧ではないという矛盾した主張こそ、分かりやすく人を証明するだろう。
つまり心に完璧なんて概念を持ち込んだ時点、最初の段階で既に破綻していた。それだけだ。
では。ただでさえ陳腐な意味に成り下がる完璧を、我武者羅に目指して。ついぞ辿り着けなかったのに、心さえ隅へ放り捨てた音楽には。
いったいどんな価値があるのか。
「………。やめよう。無意味な感傷だ。楽園に辿り着くことよりも、目指すことに意味があると僕は知っているはずなのに」
後悔を殺す。現実を見据えて、ただ事実を羅列した。過去や過程は全て経験だ。それがどんなに辛く苦しいものでも、今の自分を形作る基礎になっている。否定するのは、あまり喜ばしいことじゃない。
それに、まだ終わっていないはずだ。
前へ進むために必要な時間も意志も、絶えることなく燃えている。
燃え続けて、少しずつ灰になっていく。
「気分転換が必要かな」
“シャーッ”
窓際に歩み寄り、開け放ったカーテンの向こう。
日は高く昇り、もうじき頂点で一層強く輝く光景が見える位置。
その姿を覆い隠す無粋な雲はなく、だが青年は目を覆い隠す。
なんて目に優しくない光だろう。
痛みさえ覚える現状に、網膜が焼かれていく気がした。
気がした、だけで済んでほしかったところ。
「…あ、れ……」
酷い立ち眩みだ。白か黒かも分からない曖昧な色が目の奥で明滅を繰り返し、現実が急激に遠ざかっていく。幸い倒れ込むほどの被害はなかったが、移動は困難を極めた。
人が感覚の9割を視覚に頼っているらしい、とは実際に視覚が使えなくなれば容易に納得できる話。
自分を支えるつもりで伸ばした手は、窓に大きく指紋を残していた。必要な措置だったと思えば否定する気はないが、後に拭き取る作業が面倒そうだ。
「はぁ。たまには外に出ないと」
再び吐かれた溜息は軽く、気負った様子はない。言ってしまえば日常的な動作に挟まれる“癖”なようなもの。それでも多少の憂鬱があるのは確かだ。
しかし外出を行うことで目眩の原因となった“長時間暗い部屋で過ごしているため日光に馴染みがない”ことと現在抱える苦悩の原因となった“納得できるアイディアが浮かばないため気分を変えたい”ことの両方が解決できるとなれば、どうにも不安は薄れるばかり。未来はきっと明るい。
「外出準備、いや、先にチャンネルの確認だけしておくか」
部屋の隅でまとめられ、雑多に絡まる充電機器を含んだコード類。その1つに繋がれたスマートフォンは、そこそこ長い期間放置されていた影響か微弱な熱を帯びている。
当然最大まで蓄えられたバッテリーだが、100%という文字が数分としないで変動する様からは随分と雑な扱いが伺えた。
しかしアプリの操作自体は手間取らず進められており、機械音痴ではないらしい。
青年に言わせれば、部屋に籠もりきりだと高性能なパソコンが置いてある都合からスマホの優先順位が低いだけだとか。
それにしたって精密機器の発熱は適当に済ませていい話ではない。
「だろうね。僕もそう思うよ」
納得と不満、相反する要素が詰め込まれた声。
その言葉が呟かれたのはスマホを手に取ってすぐのこと。
画面に表示される複数の文字列がひたすらに目を滑っていく。
『滅茶苦茶上手いけど、なんか聴きたくない』
『雰囲気が暗すぎて悪い意味で涙出てきた』
『リズム感◎ リズムに乗りたくなる×』
罵詈雑言、あるいは誹謗中傷とも表現できそうな言い草の批評が並べられたのは最近青年が投稿した一本の動画。
“【オリジナル】黄泉往く旅路は軽やかに【蒼天議会】”
何気無い仕草で指を伸ばし、楽曲を再生する。
最初に僅かな空白。
そして奏でられる複数の音色は全て青年が1人で録音、編集したもの。
予定調和のような、しかし何故だか不協和音が滲むメロディ。歪な構想でありながら完成品として成り立ってしまったせいか、余計に酷く聞こえるのは決して錯覚じゃない。
“音楽に引き込まれる”というより“現実から引き離される”感覚が強く、不快感が際立つ。
悪感情を恣意的に露呈している側面もなくはないが、数々の否定的意見は総じて多数派の民意であるようだ。
“チッ”
鋭く尖った音が1つ、青年の口内で打ち鳴らされた。長時間水分を補給していなかった影響か、乾いた響きが余計に刺々しさを増している。
いわゆる舌打ちと呼ばれるその行為は決して褒められたものじゃない。だが青年の現状を思えば咎められるものでもないだろう。
しかし、しかしだ。
忙しなく動く視線はあまりに速く、それら文章の内容に理解が及んでいるかは大きな疑問が残るほど。
そもそも文字を正確に読み取ってすらいないかもしれない。
それはそうだろう。
「未熟だね」
消え入るくらいに小さな声が、青年の本心であり、その心の全て。
“音楽家はいつだって自身が納得できる楽曲を提供しなければいけない”
掲げた理想、己の信念、それに逆らってでも不完全な音楽を投稿してしまったのは成長の過程を残したいという欲求が故。
その結果に酷い後悔だけが残った。
その癖、動画の再生回数だけは過去最も多く2万という数字を記録する。
心が軋む音は鮮明で。
今なら、この音楽よりも更に暗い雰囲気の音楽を奏でることも叶いそうだ。
それでも、この現実を受け入れることに躊躇いはなかった。
◆◆◆◆
『後悔』と『絶望』
そして『安堵』
黄泉は死後の世界だ。
そこに向かう旅路には多大な後悔が付き纏い、旅路の果て、絶望の中で屍を晒すことを恐れるだろう。
だが同時に安堵する。
永遠に続くものを手放しに賞賛できるほど人間の在り方は単純じゃない。
そんなテーマで作成された楽曲だった。
けれど『絶望』の色は他の色を徹底的に塗り潰す濃さを見せて。
しかし『絶望』の濃度を下げることで『後悔』と『安堵』に合わせるような手法を嫌った。
だからこそ、喜ばしい。
どんな形であれ青年は『後悔』した。
その経験が自分の音楽をより成長させると確信できるから。
◆◆◆◆
結局のところ、青年は生粋の音楽家だ。
視聴者の意見が否定的だろうと肯定的だろうと、最終的にはどうでもいい。
決めるのは自分自身。
その目に映った光景が、その耳で聴こえた音楽が、それだけが自分の世界を構成する要素。
青年にとって音楽とは。
命よりも上に位置する、便宜上“楽園”あるいは“黄泉”と同等の、自分の全てを捧げられる……
“愛すべき世界”
1つ結論を出したところで、青年は手元のスマホを机の上に放り投げて身支度を始める。
その表情から一切の懸念が消えていることは、容易に見て取れた。
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