1話
僕が好きな小説の冒頭はこんな一文から始まる。
『春が落ちてきた』
それから、その後に、
『「春が落ちてきた」なんて詩的な表現だとか』
『「春は落ちてくるものではないですよ」とつっこまれるかもしれない』
なんて文章に続くわけだけどそれは割愛して。
なら僕はこう言おう。
「月が落ちて来る」
誰に聞かせるわけでもなくそう呟く。
これだって別に詩的表現とかじゃない。
だって。
なぜなら。
僕は立ち止まり、そっちを見る。
水平線に沈もうとしている大きな月。
数年前なら到底信じられないような光景。
何故なら月は普通空に浮かんでるものだ、海に沈むものじゃない。
もちろん実際は沈んでるわけじゃなくて、そう見えるくらい近づいてるということ。
月が水平線に沈むように見えるくらい地球に接近してるということ。
つまりは。
「わぁ、もうこんなに落ちてきてるんだね、お月様」
堤防の上、僕の先を歩く彼女が驚いたように、感心したように言う。
そう。僕が『月が落ちて来る』なんて呟いたのは事実だから。
今僕達に起きている現実だから。
月は地球に落ちて来る。
あと数十年先か、もしくは数年先に落下して衝突する。
そして僕も含めた人は。
人だけじゃない、地球自体が滅亡する、そんな真実。。
「ごめんね。こんなことになっちゃって」
彼女はこっちを振り返ってから申し訳なさそうに。
でも照れながら謝って、また歩き出す。
学校指定のスカートがひらひらと舞い、太ももが月の光で露わになる。
僕は面倒なのでそっちを見ないようにしながら溜め息を一つ吐いて。
本当にどうしてこんなことになったんだろうか。
僕が彼女を見つけたせいか?
なら僕を産んだ両親のせいか?
両親を産んだ祖父母のせいか?
それとも月のせいか? 地球が出来たからか? それを言うなら宇宙があるからか。
理由を上げればキリがなく。かといって理解出来ない事はなく。
でも確実に言えるのは。
月が地球に落ちてきてるのは事実だとしても。
あと何年かで人類は滅ぶのが真実だとしても。
でも確実に現実だと言えるのは。
「私が大地君を好きになっちゃったから」
彼女、望の一言に視線を向ける。
今度はこちらを振り向いたまま。
器用に後ろ向きで歩きながら。
照れたような笑顔で言う。
「月の私が、大地君を好きになっちゃったから」
風が吹く。
夜の海から風が吹く。
肩まである彼女の髪をさらう、さらう。
月の光を反射して、まるで星のように輝く。
「我慢出来ないくらい、会いたくなったから」
自分が原因だと言うのに、満更でもなさそうな笑顔を浮かべて。
「別に、気にしてないよ」
僕は照れもせずにそのまま受け取り。
本当に気にしてないからそのまま返す。
彼女が僕の事を好きになったとしても。
我慢出来ないくらい会いたくなったとしても。
月が落ちて来る現実は変わらない。
自動車に追突されて倒れかけている信号機を見ながら。
そう思った。
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