【短編】食杉さんはよく食べる

滝村礼二

1

 本来ならば、梅が香る季節なのだろうが、教室にはニンニクの臭いが充満していた。


 僕は高校生になりたての平凡な男だ。新しいクラスに期待と不安を寄せつつ、覚悟を決めて教室の扉をくぐったのだが、こんなことは想定外だ。


 僕の隣の席に座っていた女性は、二郎系ラーメンを啜っていた。


 山盛りのモヤシ、濁ったスープ、漂うニンニクの香り。そもそも、このラーメンはどこで作って、どのように運んできたのだろうか?何はともあれ、教室には相応しくない光景である。クラスメイトたちは、彼女に直接何かを言うわけではないが、明らかに距離を置いている。


 僕は一度教室を出て、扉に掲示されている座席表をもう一度確認する。廊下から3番目、前から5番目。間違いない。僕の席は彼女の隣だ。彼女の名前は『食杉たべすぎ絵里えり』。ピッタリな名字だ。


 ひとまず、席についた。


 残念ながら、この学校には、中学までに仲良くしてきた友達など、一人もいない。家から遠い高校を選んだ弊害だ。とりあえず座ることしか出来なかった。


 改めて、食杉さんの様子を見てみる。


 長く清潔な黒髪、凛とした容貌、すらりとした体型。教室で二郎系ラーメンを食べてさえいなければ、一目惚れしてもおかしくないほど魅力的な女性だ。


 などと考えているうちに、食杉さんは最後に残ったモヤシの一束を口へ運び、最後にスープを飲み干した。


「ごちそうさまでした。」


 そう言うと、食杉さんは、机の中から袋を取り出した。ラーメンの器をそれに入れ、袋に入れてあったポケットティッシュで口を拭き、食杉さんの朝食は終了した。ラーメンを食べた後にしては、机にはスープの一滴も付着しておらず、清潔そのものであった。


 僕は迷った。教室の中心、周りのクラスメイトたちは、明言こそしないものの、食杉さんにドン引きしている様子だ。なんとなく自然そうに振る舞ってはいるが、「隣のオマエ、ソイツにちょっくら話しかけてみろよ。そんな異常者怖すぎるからよ。普通に話せる奴なのか試してくれよ。」という意思が見え見えである。


「あの⋯なんでラーメン食べてたんですか⋯?」


 褒めてほしい。まさに一世一代の賭け。あからさまな変人に話しかけること以上に勇気のいることなどなかなか無い。怖い。本当に怖かった。人生最大の恐怖体験である。


「寝坊して朝ごはんを食べ損ねてしまったのよ。臭いがキツかったなら謝るわ。」


 その答えは平凡だが要領を得ないものであった。何故教室で物を食べているのかを聞いているのではない。何故ラーメンなのか。それを聞いているのだ。


「朝ごはん⋯ラーメンなんですか?しかも巨大な⋯」


「私は食欲旺盛なのよ。確かに初対面の人には驚かれることが多いのだけれど、何があろうと食欲を我慢することなどできないわ。」


 一応、自分の異常性は自覚しているらしい。それにしても、初対面の人間だらけの空間でいきなり大食いをカマせるメンタルは凄まじい。食杉さんの言葉を信じるなら、その程度の恥では止められないほどの食欲、ということなのだろうか。


 朝のチャイムが鳴った。

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