その子供は、惑った時に現れる

逢坂美穂

第1話

 こんな子供は、これまで現れたことがなかった。


「何色……?」

 

 様々な者に訊ねてみても、答えは時によって違った。

 見る者によってはどころの話ではない。見る時分じぶんによって違うのだ。角度や時間帯ではなく、同じ者が見ているのにも関わらず色が変化していく。昨夜はその色に癒されていた者が翌朝になり「怖ろしい」と震えあがることも、そう珍しくなかった。

 ある者は怖れ、ある者は慈悲を受けているようだと言った。

 硝子玉がらすだまのようだと言う者もいた。確かに、硝子は当たる光によって色が変わるという。何も当たらなければ色は闇のまま。光を吸収すればあらゆる色に彩る。中でも光に反射して美しく虹色に光る姿が一番印象的だろう。

 しかし、意志を持つ前からある河のそばに集う事になった彼らの瞳が宿す色はそれと同様――否、それ以上に変化する。角度により変わるだけではなく、見る者によって、そしてまた見る時によって、その瞳はあらゆる色を映し出す。

 ある者には只の漆黒に。

 他のものには色を全く感じない、無色透明に。

 またある者には、美しい蒼色に。

 そしてある者には、血のように深い茜色に。


「……この子はどうなるのでしょうか」

 

 誰とはわからぬ声が胸に抱いた赤子を見つめ、誰とは確定しない相手へと、しくは自分自身へと問いかける。無論、答える者はいない。

 正しくは答えられないのだ。誰も知らない。こんな瞳をした赤ん坊を、誰も見たことがないからだ。

 何も知らない哀れな赤子はただ、自分へと視線を向ける者たちへ視線を送り続けていた。

 ──ある夜更けの事だった。

 おぎゃあおぎゃあとか弱き泣き声が辺りに響き渡り、幾人かが目を覚ました。

 ああまたかと、そのうちの何人もが思った。

 この世界ではよくあることだったのだ。生まれたばかりの赤子の瞳を見ると「そう」かどうか分かる。「そう」だった場合、受け止められない親が決まって成長した赤子を置いて行く場所が、ある河のそばにある穴ぐらだった。

 どんな時でも一定の速さで流れる不思議な河には相応の能力があるらしい。置いていかれた赤子の存在を導いて守るように光り輝き、新たな存在はここに居ると、つどった者たちへ教えてくれる。

 この日も同じように、河は光っていた。

 ぞろぞろと集まってくる者たちの目はただ一点に集中し、憐れな、というようなため息が次々と漏れていった。


「おい、へその緒がまだ……」

「まさか産まれて間もないのか」

 

 そんな風にひそひそと言い合う者たちもいた。

 確かに棄て置かれる子供は決して珍しくない。しかし、産み落とされて一日も経たないような嬰児えいじがこれまで置いて行かれたことはただの一度もなかった。

 大抵は、乳離れをするか否かの頃にぽつんと置かれていくのだ。

 突然母を失いただ呆然としているか泣き喚いている姿も哀れだが、へその緒が未だついたまま、よく見れば肌も赤黒さの残るような嬰児えいじを棄て置いていく―――生みの親はどれ程受け入れられなかったのかと、想像することすら出来ない。

 光に吸い寄せられるように近づいていく幾人かのうちのひとりが、小さな存在あかごに向かって手を伸ばす。その者へ何か小さく声をかけたのは傍にいた女だ。女は持っていた布を河で洗い、ぎゅうとかたく絞ってから赤子の身体を丁寧に拭いた。

 時たま漏れる元気な泣き声は少しずつ静かになり、やがて大人しくなる。

 もうひとりの女が今度は乾いた布で赤子の身体を優しく包んだ。ん、ぶう、などと可愛らしい声があたり一面に響き、小さな手足をぴょこぴょこと動かしていた。

 周囲の者たちは固唾をのんで彼らを見守った。されるがままに大人しくなった赤子はやがてゆっくりと瞳を開けた。


「……ひっ」

 

 女たちに手渡され、赤子を腕の中に抱いた男はその顔を覗き込むと喉の奥を引き攣らせて目を逸らした。

 その異様な様子に何事かと肩へ手をかけてきた者――身体を拭いてやっていた女だ――へと慌てて赤子を渡す。渡された女は首を傾げながらも哀れな赤子を安心させようと微笑みかけ、何かに射抜かれたように身体を硬直させて表情が凍った。声を上げて赤子を落とさなかっただけ、男より耐性があったのかもしれない。

 見かねた他の者たちがどうしたのかと一斉に覗き込むと、息をのんだ。顔を逸らした者や、恐怖のあまり身体を震わせる者までいた。

 既に泣き止み、愛らしい顔をして見つめてくる赤子の瞳。

 右瞳は深く鋭い蒼色。

 そして左瞳は、茜色をしていた。

 しかし赤ん坊を受け取って抱き直したときには、漆黒の闇の色をしていた。どこかを見ているようでどこも見ていないような、不思議な色。

 こんな瞳は、誰も見たことがなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る